第三章 北の要と魔の森
3人がいっせいに姫を見る。今、彼らが求めているのは老人の言葉ではない。この村を担う若い女性の返事を待っている。3人は老子を背にして、目の前にたたずむ女性を見た。
彼女に、これまでこのような選択を迫られたことがあるだろうか。3人の犯す罪、自分が自ら犯す禁と、村の命、平和を秤にかけて、どちらが彼女にとって良となるのか。
前者を選んだとしても必ずしも村人の平和が守られるという保証はない。
そうすれば、残された選択は一つ。
「私は、この村の長でもある。村人の平和を乱すことはゆるしません」
その言葉にリオの表情が俄かに崩れる。少し、肩の力を抜いたのが後ろにいたシュンとセイにわかった。
「それじゃ」
リオが言いかけた言葉を、老子がさえぎった。
「姫様!!要を解いては」
その言葉をさらに姫の強みを帯びた声が制した。
「衛兵、この者たちを捕らえなさい!!」
右手を振り上げた瞬間、扉から兵士が流れ込んでくる。セイが剣を抜くより早く、老子が押さえ込んできた。多勢に無勢、セイが捕まったのを横目で見て、シュンは腰に手を伸ばした。いつもの癖で、短剣に手を添えようとして、それがないことに気づく。
小さく舌打ちして、突進してくる細身の兵士を思い切り蹴る。目の前にいたリオの、きれいに束ねていた長い髪が、床に散らばっているのが見えた。彼女もまた、床にねじ伏せられている。
「おとなしくして」
これまでにない、強い声で姫が静寂を取り戻そうとする。構えていたシュンは体勢をそのままに、横目で姫を確認する。
「罪を犯すことは許しません。名を言うことも許しはしない」
そういうと、押さえ込んでいる2人ののどに指を当てて小さくつぶやく。
「!!」
セイが口を開けても、音がない。セイ自身も驚いて、目を大きく開き、姫を見上げる。
姫はシュンに振り返って告げた。
「ここの平和は誰にも乱させはしない。おとなしく呪をうけ、ここを去りなさい」
髪も乱れたままなのに、彼女の強い瞳にそんなことも気にならない。目の前にいる女は、本当にいままでおとなしく捕まっていた女なのだろうか。
「あなたがもし、名を言えばこの者たちは解放しない。呪を受けたままここの闇の地下牢で幽閉します」
その言葉に、この村のものは皆息を飲んだ。リオでさえ、押さえ込まれる苦痛に顔を歪めながらも汗を流す。
闇の地下牢。言葉どおり、光のない牢獄。そこへ送り込まれるものはすなわち終身刑を言い渡されたも同じこと。一度入れば、次に光を拝めるのは骨と化したときだ。
「顔に似合わず、ずいぶん厳しいことを言うんだね。お嬢さん」
シュンは一種の憎悪にも似た感情で言い捨てた。
「あなたが俺の声をなくすのと、俺があなたの名を言うのとどちらが早いかな」
その言葉に姫が先と同じように2本の指を立てる。
「どうしてわからない?俺たちは危害を加えにきたわけじゃない。ただ森にはいりたいだけだよ。あなたがばあさんになるころにはどの道この村も魔族に襲われることになるよ。このまま俺たちを追い返したらね」
どうしても、行かなければならない。あの魔の森の奥深くに居座るものの元へ。
歯がゆい気持ちを抑えて青筋が立つほど、拳を握る。
「彼女は、この村までの案内役、といったところ」
姫の視線がリオに向かう。あくまで名を言わない。
「そしてその剣士は魔の森に帰るのが目的」
スッと、視線をずらしてにらみ続けるセイを見る。
「では、あなたは?」
顔を上げて、目の前に立つ男を見た。
「なにが目的なの」
「魔族の王様に会いに行くんだよ」
自嘲に似た笑いで言った。その言葉にその部屋にいた者たちは驚きの表情を隠せない。
「それで、お願いでもするの?これ以上人間を襲わないでくださいって。それともその魔族の王様を倒すの?」
馬鹿にした言い方で、明らかに姫はシュンを見下した。
「そうだな、それもいいかもな」
シュンはいつになく苛立っていた。彼がここまで感情を表に出すことはない。長い付き合いではないが、しばらくは寝食をともにした仲間だ。それに人の気配には人一倍敏感なセイはすぐにそれを見抜いた。
「これ以上、足止めをするなら俺は行く。あんたの名を口にして」
それだけは、なんとしても止めなければならないことだ。姫は唇をかんで考えた。まだ自分が言うならいい。被害は出ても、たいしたことにはならないだろう。だが、目の前のよそ者に唱えられては取り返しがつかない。
「姫様」
老子がスッと姫の横に立つ。彼もまた、シュンに対してただならぬ気配を感じていた。
「魔の森への門は開いてはなりません」
近づいてはいけないのだ、今、あの森に。誰も、人間など、近づけさせてはならない。まして、魔族を駆逐するような存在を。そんなことをすれば完全に均衡が崩れる。
人、魔、妖。3つの要素の一つでも欠ければこの世界は崩壊する。それは古文書にもかかれていたことだ。
「彼は本気よ」
姫は口にした。
「約束して。決してこの村には戻ってこないと」
「姫様!?」
シュンは黙って頷いた。
姫が指をパチリとならすと、二人から声が出た。
「2人は」
「あんたが言ったんだ、俺は魔の森に帰るって」
セイは捕まれていた腕を振り払って立ち上がる。
「私は…、外で暮らした時間のほうが長かった。いまさらここで暮らしたいとも思わない。もうここは私の知っている村じゃない」
服を調えながらリオが言う。
「来なさい」
姫はそういうと、自然と広がった兵士の道を、堂々と歩いていく。途中ですれ違う女中が心配そうに見守る。
屋敷を出るとすぐそこに医師が立っていた。
「おばば。あとをお願いね」
姫は優しく医師の手を握ると、屋敷の裏へ行く。
幾重にも折り重なるように作られた急なくだり道は、森唯一の入り口、北の要に続いている。
シュンはすれ違いさまに医師に軽く頭を下げた。その表情にあのときの怒りに満ちたものはない。
「無理はせんことじゃ」
医師は3人の背中にそう声をかけた。
北の要。魔族と人間が住む境界線だ。要はただ樹の蔓が絡まって森への入り口を作っているだけのものだった。だが、その足元は何重にも結界が張られている。古代文字で、要を守るように囲んでいる。
道はできてはいなかった。ずっと開かれていないものだ。誰かが歩いた跡など、できるはずがない。日が当たらなくなって、あまり成長しなくなった草が木々の間から見える。
「この先、あなたたちがどうなろうと…我々には関係のないことです。二度と、ここを通らないで」
要の前に立ち、姫が言った。振り返って、それぞれの顔を見渡す。そして崖のうえの我が家を見上げる。ちょうど太陽が家の東にある鐘の塔に重なっている。古びた鐘の輪郭が、わずかに輝いている。
「約束、できますね?」
視線を戻して、前を向く。
「姫様の、治世を脅かしたりはしませんよ」
リオがそういうと、ナイフなどの武器を腰につけた。
姫はあとの返事を待たずに要に向かって右手をかざした。
老子はその手が震えているのに気づく。自ら犯す禁に、怯えているのだ。ましてや、この要を開けたことなどないし、みたこともない。どういう結果が待っているのかもわからないことも、彼女を震えさせているのだ。
『我の名を持って、この禁を解く。古より封じられし門よ。我を認め、我の名を聞け』
空間が歪んだ。渦を巻くように、風が起こる。
3人が足に力を入れて身構える。
『オーズ・ローズマリア』
名を口にした瞬間、すさまじい引力で引き寄せられる。
「きゃあ」
リオがあまりの力に、足元をすくわれた。姫の腕を、老子がしっかりとつかんで、転ばないように支えている。
「リオ!!」
セイが手を伸ばそうとした瞬間、バランスを崩して彼もまた、渦の中へと少しずつ引き込まれていく。
「セイ、リオ!!」
シュンが2人の手をとって、そのままの勢いで渦の中に飛び込んだ。様々な方向から重力がかかり、このまま体がばらばらになってしまうような気がした。
そのとき、わずかにリオのかばんの中から古文書が見えたのを老子は確認した。まだ手を伸ばせば届く距離に3人はいるのだ。
老子は古文書を取り返そうと、手を伸ばした。が、手を離した瞬間、姫のか細いからだがふわりと浮いた。
老子がしまったと、思ったときはもう遅く、彼女もまた渦の中へと呑み込まれていた。
「姫様!!」
叫ぶが早いか、老子はそのまま姫のあとを追って要をくぐった。
そこに人影がなくなったあと、しばらくして静寂が戻る。要の蔓ももとどおりに戻っている。
その一部始終を、崖の上から1人の老婆が見ていた。
「行ってしもうたか」
ひっそりとため息をこぼし、また日の当たる表へと戻っていった。




