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第一章 けが人と侵入者

その日、テーベルの村の麓はこれまでにないぐらい騒がしかった。

もともと、多くの人が住んでいるわけではない。村人全員で100人足らず。ゆるく軽くすべるような丘の頂上に続く道のところどころに家が立ち、道から離れたところで段々畑が広がっている。村の周りに木々があるため、肥沃な大地が広がり、水にも困らない。涌き水はいくらでもある。道の端にあるのは唯一の村への出入口、門兵のいる山門。それから頂上の、この村の象徴、教会。その横にはこの村の長的存在である神官の屋敷がある。

いつも決まった時間になるとその屋敷からは17歳になったばかりの女性が山門まで散歩にでる。今日もまた、その女性は傍らに老人を連れて屋敷を出た。

「やぁ、姫様。おはようございます」

「おはよう、ベレム。奥様は元気?」

「えぇ、もう臨月ですよ。また医師ババのとこまで走らなきゃなりませんよ」

青年は家の前を通りかかった姫に言葉を交わしてまた木を彫り始めた。テーベルの風習で、子供が生まれるまでにその子供の代わり木をつくり、その木に子供の不幸を負わせ、生まれてくる子が生涯を閉じるまで、平和で暮らしていけるよう祈る。

「元気な子供が産まれるといいわね」

ベレムの前を通り過ぎて、傍らの老人に声をかけた。

「そうですな。しかしベレムのところも娘ばかりで…そろそろ息子が産まれてもよいですな」

「それは神のみぞ知ることよ」

ウェーブのかかった淡い金色の髪を風にあそばれ、細い指でさっと整える。白い肌も、雪と見間違うほどだ。巫女の服にテーベル織りの上着をはおり、長い坂道を下っていく。

「なにやら下のほうが騒がしいですな」

「老子!!あぁ、よかった。姫様」

下から必死に走ってくる門兵が大きく手を振ってきた。

「門兵…、どうしたの?」

少し息が落ち着くのをまって声をかけた。

「山門の入口に…人が倒れていて…。けがをしているようなんですが、それで姫様に意見を伺おうと…」

「けがの様子はどうなの?」

「それが遠くてよくは…。ですが出血はしています。山門の高台から草の色が変わっているのが見えました」

「そう」

頷いて歩き出そうとする姫を老子が止めた。

「いけませんぞ、姫様。見知らぬものをこの村に入れるなど。前代未聞です」

「でも老子、けがをしているのよ?それを見捨てろと?」

「しかし」

「門兵、悪いけれど医師おばばを呼んで。たしか門の傍に空家があったわね。そこへそのけが人を運ぶわ」

「わかりました」

門兵はまた丘を一生懸命走り出した。ここの医師は頂上近くに住んでいて、村人からも離れて暮らしているので呼びに行くのにとても苦労する。何人もの若者がこの連絡係にやられ、なかされる。

「姫様!」

老子は姫の丘を下りる速さに負けまいと、転ばぬよう注意しながら、足を出して姫を止めようとした。

「老子、わたしはけが人をほっておくような無慈悲な人間は神官ではないとおもいますよ」

はっきりそう言って人だかりのなかへ入っていった。

「わたしが許可します。けが人をあの空家へ運んで。あなたたちは空家の掃除をして」

女たちにそう言い渡して書類にサインする。そして首から下げたバラの刻印の印を押す。そうなれば誰も逆らうことはできない。

「ええい、門兵。そのけが人が暴れぬよう見張れ」

老子は高台のほうへ向かって叫んだ。すると山門両脇の高台の兵が門の外に向かって弓を引いた。

「老子、相手はけが人です」

老子の行動を諌めようとするが、「念には念を」と老子は折れなかった。

男3人でそのけが人を抱え込んで空家にうつす。

運ばれたのは男だった。小柄な、たぶん姫と同じ年ぐらいで、腰には短剣をつけていた。老子はすぐに男の荷物を取り上げて、遠くの棚におく。1Kの小さな空家は人が6人も入れば窮屈になる。そこへ医師がきて、さらに空気が詰まる。

「こりゃ、けが人がおるんじゃ。門兵は外に出ておれ!」

持っていた杖で門兵の鎧を叩いて追い出す。腰の曲がった老女は姫に頭を下げたあと、ベッドに横たわる男を見た。

「ふむ…こりゃそうとうまいっとるの。傷のほうは…」

服を破いて肩の傷を見た。

「出血はあるが傷は浅い。じきによくなる。…ただここでは寒いの」

まだ本格的な冬はきていないものの、実りの秋は過ぎた。あと数日もすれば森から冷たい風が吹き上げてくる。

「暖炉が…」

姫が自分の後ろに隠れていた暖炉をみてため息交じりで言う。

「だめみたいね」

もう何年も使っていない。埃の被った暖炉を再び使えるようにするには数時間かかるし、煙突も掃除しなければならない。そんなことをしていたらじきに夜が来てしまう。

「いいわ。悪いけどわたしの家まで運んでちょうだい。そのほうがおばばも来やすいでしょう?」

「おお、ありがたい」

「なりませんぞ!姫…」

そう叫んだ老子の口許を人差し指でピッと押さえる。

「言うと思ったわ。だから崖に面した客室を。すこし日当たりは悪いけど寒くはないし。入口にも兵を二人つけましょう」

「できれば中にも」

老子はさらに見張り番を増やすように提案したが、医師が杖で老子のすねを叩いた。

「こっちはけが人じゃ。他人に見張られていい思いをする者はおるまい。それにここで寝顔を見ていいのは医師と家族と姫様だけじゃ」

医師は言いきって、ふん、と鼻の穴を膨らました。どうやら事あるごとに姫に口答えする老子が少し気に入らないらしい。

「どういう理由だ、おばば」

すねを押さえながら老子は医師を見据えた。この二人は仲が悪いわけではないが、姫の小さい頃からよくいがみ合っていた。けんかするほど…ということわざが当てはまるような二人だ。

「とにかく、わたしの家へ」

手早く止血の塗り薬を塗って傷口を布で押さえた後医師は外へ出た。少しおくれて男が運び出され、荷台に乗せて丘を上っていく。医師は近くにいた若者を捕まえてその背中に負ぶさる。

「なんじゃ、この老体に鞭を打てというのかい?わしが死んだらおぬしらの病はだれが見るのじゃろうな」

逃げおくれた青年はなくなく、杖で尻を叩かれながら荷台のあとについていった。


  木々にかこまれたテーベルの外は涌き水によって作られた深い堀ができていて、テーベルは水と木で二重の防衛壁ができている。つまり外からの侵入は不可能。

テーベルには禁忌がいくつかある。ひとつは名前を他人に教えてはならないこと。名前を知っているのは本人と両親と古文書だけ。同じ兄弟の前でも子供の名前は呼んではならない。たとえ知ることになっても声に出してはならない。他人が知っているのはその家族の父親の名前だけ。彼だけが名前を呼ぶことを許されている。また職業を持っているものはそれで呼ばれる。

もうひとつは村から出てはならない。ここで生をうけたからには、ここで生涯を終えること。週に一度、山門が開き、商人たちが商いにくる。彼らは山門で入門の印をもらい、決められた場所で商売をする。姫からバラの刻印をもらえば、宿泊も許される。それは滅多にもらえることはないのだが。

これらの禁忌の理由を知っているものはもういないかもしれない。この村が誕生した頃から続くものだと言われている。


夜半過ぎ

「遅いって、早くしろよ」

「うるさいわね、あんたみたいに筋肉ばかじゃないのよ」

その侵入不可能なテーベルの木々を楽々と越えて山門から離れたところを走る男と女。

「さて…あいつはどこにいるのかね」

男は荷物を背負いなおして空家の陰に隠れる。身なりからして商人ではない、木を越えてくるあたりで、商人という選択肢は消えるのだが。

「わんわんくん、使っちゃう?」

女はどこか楽しそうに、荷物のなかに手を突っ込む。

ふたりは頭にバンダナを巻いてゴーグルをつけている。カバンのなかにはプラスティックの板が三枚入っている。侵入したのはこの板でプロペラを組み立て、電気を利用して空に舞い上がったわけだ。

「しかし、手が痺れたな。お前ちゃんとこれ試してんのかよ」

男は手袋をはずして手首を振る。

「あら、実験台はちゃんとあるわよ」

携帯用ドライバーを取り出して、バッテリーボックスの中を調節する。

「あなたが」

「おまえなぁっ」

拳を振り上げようとする男に対して、女はシッと淡いピンク色をした唇に指を当てた。

「静かにしなさいよ、門番がきちゃうでしょ」

空家はちょうど門から死角になる場所にあるので姿さえ見られなければ大丈夫なのだが、夜中だけあって周りは虫の音しか聞こえない。そんな中に声など聞こえれば、必ず見張り番がくる。

「・・・そんなことよりお前は村中の人を起こす気か」

わんわんくんと言うのは、その名のとおり犬の形をした探索機械で吠えてうるさいことこの上ない。

「そうねぇ、寝込みを襲うってのもオイシイとこなんだけれど」

「んなことしたら計画がパァだろ。ただでさえ遅れてるのに」

 「とりあえず、ここのお嬢さんとアポをとらなきゃね」

 女は窓からわずかに見える丘の教会のほうを見た。

 「あそこにいるってわけか、お前が会いたいって人は。あいつもあそこかなぁ」

 男はベッドに寝転んで組んだ手に頭をのせた。

 「とりあえず、紳士的に明朝にお邪魔するか。…裏口あたりから」

 そういってごろんと横を向いて早くも寝息を立て始めた。

 「…どこが紳士的よ。まったく…。彼も探さないとね」

 女はため息をついて壁にもたれ、窓から見える明かりのついていない家に視線を送った。そしてそっと目蓋を閉じた。


「い・い・か・げ・ん・に、起きろっ!!」

もう何度目になるのか、ベッドの上で熟睡していた男の頬を引っ張る。

「いててててて」

やっと声をあげて、体を起こした。

「ひでぇ起こし方。女だったらもっとやさしーく起こせよな」

頬を両手で覆いながら涙目で訴える。

「あーらそう、じゃ今度から耳元で囁いてあげるわよ」

なぜか指の骨を鳴らしながら女はにっこり答えた。

「イエ、ケッコウデス」

この女が笑うときはろくなことがない。男はそれを経験で知っている。このままじゃ明日は川で簀巻き状態で目覚めることになりかねない。

マントをカバンのなかに詰め込んで、窓から外の様子を伺う。

まだ村の人は家の中だろう。草が朝露に濡れて、光を反射させている。

「山門の近くは空家が多いのよ。丘を少しあがれば人もいる。いまはそんなに人もいないから大丈夫でしょ」

例え見つかっても山門から連絡がなければばれることはない。そう女は自信たっぷりに言う。

「さて…囚われの王子はどこにいるのかね」

「わんわんくん、使う?」

「いや、そろそろあいつも目覚める頃だと思うんだがな」

目を覚ませば、気を感じて居場所はすぐにわかる。

「だいたいなんで気ぃ失うかなぁ」

頭をがしがし掻いて、面倒くさそうに言う。

気を失いさえしなければ、昨夜中にすべて終わっていたはずだ。さっさと屋敷に乗り込んで、用件を済まして次の目的地へ乗り込んでいる予定だった。

「ほんとに、これで失敗しても怒らないでほしいわね」

空家をでて丘を上がっていく。山門を背に、振り返らず、ただ頂上を目指す。

「…居た」

男がぼそりと呟いた。

「ほんと?どこ?」

すれ違う村人に軽く挨拶をしていた女は視線をそのままに小声で男の横に並んだ。

見えるところに彼はいないことはわかっている。この男だからこそ、わかる、気配を探ること。

 「頂上の屋敷だ。北側の…魔の森の見える部屋だよ」

 「やっぱり姫様のところか…運がいいというか、悪いというか…」

 女はため息をついて少しだけ足を速めた。

 すれ違うのは早起きな老人しかいないので、はっきりと顔を認識しているものは少ないのかもしれない。だれも彼らを呼び止めるものはいなかった。残る一軒を通り過ぎようとするとき、一瞬女が止まった。

 「どうした」

 男が足を止めて振り返る。

 「なんでもないわ」

 女は何かを吹っ切るように言って、足を進めた。

 もうここは、私の知ってるところではない。

 すれ違う瞬間、男にはそう聞こえた。

 お互いの過去は言わない。言いたくなれば言えばいい。どんな過去があっても、そんなことは気にしないから。

 そう、あいつが言った。確かにあいつは、そういったのに、その瞳はすべてを見透かしているようだった。この自分の能力を差し置いてまで、あいつはすべてを見透かしているような瞳をしていた。

 後ろを少し振り返って、誰もいないことを確認した。この屋敷に用があるのではない。まずはここにいる男に用があるのだ。堂々と玄関のベルを鳴らして案内してくれるわけがない。


 「頂上の屋敷は丘の頭の家だから、通行証を作ったとしても通用しない。行くなら殴り込みしかないわ」

 計画を立てているとき、女が二人の男に打ち明けた。

 「ま、そうなれば一発で地下の牢獄行きだけどね」

 「捕まればだろ」

 小柄な少年の方が得意そうに微笑んだ。

 「詳しいもんだな、人の出入りに厳しいテーベルの内部をここまで」

 タバコに火をつけて、男は宿のソファにもたれ掛かる。彼はいつも頭にバンダナを巻いている。それが色素の薄い髪に映えている。

 「セイ。忘れたか」

 小柄な男が、セイ、今女とともに行動している男、を諫める。

 「へいへい。わかってるよ、自然な会話だろ?」

 「気になるのはわかるわ。…安心してよ、あたしだってテーベルに行きたいんだから。テーベルに着いて、…ある女性に会えたなら、話すわよ」

  その計画は一週間と待たずに実行されることとなった。


 「ここか」

 屋敷の裏手に回り、目的の部屋の下に来た。二メートルといわず、柵の向こうは崖だ。

 「たこたこくん使おうか」

 袋から取り出した、ハンドサイズのスタンプ型吸盤を取り出す。

 「この二メートルのでこぼこの垂直な壁をのぼれと?」

 「だいじょぶよ、改良したから」

 数日前、たこたこくんの試作品の実験台にされて、セイは地上三メートルの崖から落下した。それである程度の怪我ですんだのは彼の身体能力のおかげであろう。

 「俺は嫌だ。もう落下するのはごめんだ。だいたいここから落ちて失敗したらさらにこの崖から落ちるんだぞ」

 「滑り台だと思えばいいじゃない」

 「どこの世界に垂直に落ちる滑り台があるんだよ。だいたい、改良したって試してねぇだろ」

 「だから」

 女が怒鳴ろうとしたとき、上空から二人の間に一瞬影がよぎる。

 はっとして足元を見ると、メタル製の杭が地面に刺さっている。それは細いワイヤーで繋がっていて、先は二階の開け放たれた窓の中へと消える。

 「…こりゃ、そうとうご立腹だぜ」

 セイは親指で窓を指す。窓に人影は見えない。

 女は杭を抜いて、セイに渡した。ずいぶん前に、自分が作ったものだ。重さ150キロまで耐えられる。

 セイはそれのワイヤーを手袋の上から手に巻いて、メタルの杭をしっかり握る。空いた手で女を抱き寄せて、軽くワイヤーを引っ張る。腕が引っ張られ、二人は壁に足をつけた。

 静かな音で、床につけたメタル製の円盤がワイヤーを巻き取っていく。ベッドに座った男はただだまってそれを見ていた。先に女の指が木枠の窓ぶちに掛かった。一瞬間をおいて、女が窓から飛び込んできた。遅れてセイが入ってくる。

 男は何もしゃべらず、視線だけを扉のほうに移した。セイもまた無言のまま扉を見る。そして口の端をあげて、首を振る。

 見張りは、いない。

 「遅い。何をしていたんだ」

 「お前が目を覚まさないから、朝まで待ってたんだよ」

 「俺はもう六時間も前に目を覚ましていたよ。どうして気づかない」

 小柄な男はあきれた顔で二人を見た、というより、あきらかにセイを責めた。

 「はぁ?だって気配を感じなかったぜ」

 「消していたからだよ。だいたいなんのために俺に発信機を持たしたんだ」

 ピアスのひとつを外して女に渡した。

 「あ!忘れてた」

 「リオ~ッ」

 二人の男が恨めしそうに女を見た。

 「まあまあ。結果的にはうまくいったんだし、ね?」

 指を交差させて、すこし甘えたような仕草をする。

 「時間はかかり過ぎたけどな」

 小柄な少年は整った顔を少しゆがめて言った。

 「でもお前が気配を消すなんて、どうしたんだ」

 ベッドに横になってセイは大きく背伸びをした。こんな柔らかい布団で寝るのは久しぶりだ。

 「ここの老人がうるさくてな。俺を警戒するようだから、起きてないように見せかけるために消していたんだ」

 ため息をついて同じくベッドに寝転がる。

 「もうすぐ、気づいて来るけどな」

 そう言っていると、廊下から足音がいくつか聞こえてくる。

 「お嬢さんと、老人と…兵士が…三人」

 「シュン、怪我のほうは」

 リオがいざ、本番を迎えるために戦力の確認をした。

 「塞がってるよ。ここの医師は本物らしい」

 笑ってナイフをベルトに差し込む。老子にとられた短剣ではない。ここに運び込まれたとき、ブーツの隠しポケットにさらに小さなナイフを入れていた。

 「そう、よかったわ」

 ここで牢獄行きということだけはどうしても避けなければならない。これ以上時間をかければ、自分の問題だけで時間をかけていたら、魔の森に入ってからのシュンとセイの問題に影響が出る。彼らは魔の森に入ることが目的なのだ。

 コン、コン。

 ドアがノックされた。入ってくる人物は読めている。そう身構えることもない。

 「失礼する」

 意外にも礼儀正しく入ってきた兵士は、伏目がちなまま、扉を開け、自分の後ろにいる女性と老子に道をあけた。

 「…、どういうことだね」

 先に入ってきたのは老子のほうだった。すぐに部外者の二人を視界に捕らえ、すさまじい瞳で見てくる。

 「おはようございますわ、老子…、姫様。勝手な入室をお許しください」

 リオが余裕をあらわにして軽くひざを折って、頭を垂れる。

 「あなたたち、いったいどこから…」

 姫が驚きを隠しきれない顔で三人を順番に見ている。

 「やはり賊か!お前は間者だったか」

 シュンを見て、老子は怒鳴った。そしてすぐに後ろの兵士が槍をもって前に出てくる。

 「殺してかまわん、賊の輩だ!!」

 手を高く上げて、兵士に命令する。兵士もためらわず足を前に踏み出す。

 「姫様、こちらへ」

 老子が一瞬、後ろにいた姫を連れ出そうと、後ろを見る。が、そこにいたのはついさっきまで目の前に立っていた女だ。

 「貴様っ!」

 老体といえど、昔は北の剣豪として名の知れた者だった。今はそれほどの強さはなくとも、姫を一人、守りきれる自信と能力はあった。

 隠し持った短剣をすばやくだして女に向ける。振り下ろす瞬間、目の前が真っ白くなる。戦いの経験で、煙幕だとわかるのにそう時間はかからなかった。多少臭いはするものの、目に影響がないことも知っていた。老子は大きく目を見開いて、全神経を、女の気配に集中させた。

 ところが。女の気配を捜すどころか、目から涙が出てきて、集中できない。

 「調合剤か」

 昔、この手を使うのは山賊だけだった。それも一握りの。それでも戦い抜いた。目が見えなくとも、相手の動きはわかった。必ず切りかかってくる。

 「うわっ」

 「うっ」

 まわりでうめき声が聞こえて、ドアが閉まる音がした。兵士がやられたことはわかった。と、いうことは賊が外へ出たということにもなる。老子が慌てて扉のほうへと進んだ。

 と、あと一歩で扉に届く距離で、白い煙がさあっと音を立てて、背中のほうへ流れていく。窓を誰かが開けたのだ。賊か、姫か。老子は必死に頭をめぐらせた。

 振り返ろうとする瞬間、首元に鋼があたるを感じた。背からまわした腕は男のものだった。

よく磨かれた剣に老子のあごが映る。

「部屋からは出ないでくれよ。じいさん」

気配を殺して老子の背を取ったのはセイだった。

「別に誰かを殺そうってわけじゃないんだ。ちゃんとお嬢さんも無事だしな」

手に持っていた短剣を取り上げて、その背から離れる。

「誰もこの部屋には入ってくるなっ。入れば二人の命はない!」

扉に向かってセイが叫ぶ。すると、今にも取っ手に手をかけようとしていた兵士がびくりとしり込みする。

「ろ、老子!姫様!!」

外から自分では判断しかねる兵士の、頼りない声が聞こえる。

「いいなよ、じいさん。俺たちは言うことをきいてくれれば、無事に解放する」

昨日まで、死んだように眠っていたシュンはナイフを片して言った。

「…用件が聞き入られないなら、ここの村人はみな死ぬことになるわ」

振り返ると、姫をいすに座らせ、その肩に手を乗せナイフを頬に当てるリオの姿が入った。

「話が、わからないわけではないでしょう。北の剣豪、今は北の賢者…ですね。老子」

ちらりと姫のほうに視線を移す。

怯えている。今までこのようなことは一度もなかった姫に恐怖を与えている。三対一では分が悪いことは誰の目にも明らかだ。

「…姫様の命は、奪うまい?」

「そっちがこちらの望み通りしてくれれば、誰も血を流すことなく」

リオはナイフを戻して、姫から離れた。

「言われたとおりだ!我々はこやつらと話がある。誰もこの部屋には通すな。扉とて触れるでないぞ!!」

ドアの向こうで右往左往していた兵士に老子が声をかけた。

「し、しかし」

向こうからまた頼りない声で反論してくる者がいた。

「こちらがなにもしなければ何もしないそうだ。今は姫が質となっている。むやみに踏み込んで姫を傷つけることは許さんぞ」

姫が人質。本来なら、そうときいて黙って引き下がるようなものはいないだろう。だがあの老子がそばにいて、姫を奪われた。老子で歯が立たない相手をどうして自分たちの手に負えることができようか。

「わ、わかりました…」

兵士たちは槍を下ろして部屋から離れた。

「ずいぶん、立派な教育をしているんだな」

セイは感心してまたベッドに座る。どうやらやわらかい感触が相当気に入ったらしい。

「俺はシュン。怪我を負っているところを助けていただいて感謝しています」

シュンは礼儀正しく頭を下げた。

「それも計画であろう」

老子が扉の前のいすに座ってシュンを見る。シュンは少し笑って肯定する。

「気を失うつもりはなかったんですけどね、なかなか見つけてくれないもので。つい眠ってしまいました」

「我々を、騙したのですか」

姫がやっと口を開いた。声が震えていた。淡い金色の髪もすこし乱れている。いまはそれに気づくほどの余裕がない。ただ白いしなやかな指をひざの上で硬く握る。

「結果的にはそうなりますね」

「なにが、目的ですか?」

「ちょっとした許しがもらいたいだけですよ」

リオはすこし上目づかいに姫を見た。

「魔の森に入る許しをね」

セイが付け足した。

一気に二人の顔が蒼白に変わる。

「なにを!」

先に叫んだのは老子だった。

「なんてことを!あの森は禁断の森だ!誰にも入ることはできぬ!!誰にも許されぬことだ!!!」

「そうでもないな。俺はセイ。魔の森から出てきたモンだ。ただ帰りたいだけだ。出るのは簡単だけど、入り口がここしかないってのは不便なもんでな」

「貴様は魔物かっ」

老子が立ち上がって叫ぶ。みなの視線が集まる。セイの事情は、シュン以外知らない。

「違う。もっと別のものだ。…もっと高貴な存在だと言われている」

シュンが俄かに微笑んだ。

彼が自分の種族に気づいたときから、それを自信に代えていた。『高貴な存在』と、彼が口にするたび、それはとても誇りを感じさせるものがある。自慢でも自惚れでもなく、ただ自分のためだけの、誇り。

そう鼻にもかけない態度で言い切る彼が、シュンはとても好きだった。

「…魔の森には魔族がいる。北の要を開ければ少なからずここのものに影響が出る」

「だからお伺いをしたんですよ。姫様の名があれば、影響はないはずです。姫様自身が唱えれば」

「なぜそれを!!」

姫は言ってしまったあとで自ら手で口を覆った。頬に少し羞恥の色が見える。

「この村がどうでもいいなら私が勝手に唱えて、要をくぐるわよ。私はあなたの名を知っているから」

あくまでリオはその名を言わない。この村の中でその名を言えばすべてが崩壊する。

「まだ、ここは失いたくないっていうのが本音です」

リオは壁を背にして、そのまま座り込んだ。

「あなたは…誰?」

「リオ・エールか」

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