表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/31

#004 旧式LINKの誘惑

 その夜、カノンは自室のベッドに座り、膝の上に置いた黒い箱を見つめていた。


 律から預かった旧式LINK。Ver.0.9βという刻印が、テレビの光を反射して鈍く光っている。元LINK開発者だった律の父が、10年間も手放さなかったデバイス。


 ぼんやりとテレビを点けたままにしていると、夜のニュースが始まった。


『LINK関連事故が増加傾向に。情報犯罪課は注意喚起を——』


 その言葉に、カノンは顔を上げた。画面には、見覚えのある女性警部が映っていた。高柳美咲警部。この前も見た、鋭い眼差しの女性だ。


「とくに若い世代の皆さんは、安易に旧式デバイスに手を出さないでください。10年前の第一次記憶汚染事件を忘れてはいけません」


 カノンは手の中の旧式LINKを見下ろした。まさに警部が警告しているデバイスそのものだ。


 テレビの中で、高柳警部の声が一瞬震えた。


「あの事件では、私の妹も——」


 慌てたようにカメラが切り替わり、キャスターが話を引き取る。


 妹? カノンは画面を見つめた。警部の目に浮かんでいた痛み。あれは職務を超えた、個人的な恨みだ。


 第一次記憶汚染事件。律の父が関わり、そして引退の原因となった事件。そこに高柳警部の妹もいたのか。


 カノンは旧式LINKを机に置き、Dr.バグからのメッセージを印刷した紙を手に取った。ボディ・パーティの詳細が、不気味なほど丁寧に書かれている。


「これが、鍵……」


 テレビはまだニュースを流し続けていたが、カノンの意識はすでに明日の夜へと向かっていた。


 ```

 第3回ボディ・パーティ

 日時:今週土曜日 深夜0時

 場所:指定URLにアクセス後、仮想空間にて

 参加条件:旧式LINK所持者のみ

 内容:24時間の完全記憶交換体験

 警告:自己責任でご参加ください

 ```


 24時間の完全記憶交換。


 その言葉が、カノンの中で不思議な魅力を放っていた。


 ```

 [PING!]

 ```


 通知音で我に返る。フォロワーからのメッセージだった。


『カノンちゃん、最近配信少なくない?』

『新しいコンテンツ待ってる!』

『配信実験の続きは?』


 画面を見つめるカノンの表情が曇る。


 昨日のグリッチ体験以来、普通の配信が物足りなく感じるようになっていた。表面的な「いいね」の交換が、ひどく空虚に思える。


 律と共有した、あの深い繋がり。

 お互いの本質に触れた瞬間。

 それに比べたら、20万人のフォロワーなんて——


「何考えてるの、あたし」


 カノンは頭を振った。フォロワーは大切だ。みんなが「カノン」を愛してくれている。その期待を裏切るわけにはいかない。


 でも——


 旧式LINKに手を伸ばす。ひんやりとした金属の感触が、なぜか心地良い。


 もう一度、あの感覚を味わいたい。

 もっと深く、もっと完全に、誰かと繋がりたい。


 ```

 [PING!]

 ```


 今度は律からのメッセージだった。


『大丈夫? 今日のこと、まだ考えてる?』


 カノンは微笑んだ。心配してくれている。


『うん、考えてる。律はどう思う?』


 すぐに返信が来た。


『正直、怖い。でも、同時に惹かれてる。君と一緒なら、新しい世界が見れるかもしれない』


 カノンの胸が高鳴った。律も同じ気持ちなんだ。


『明日、もう一度話そう。直接会って』


『うん。放課後、いつもの場所で』


 いつもの場所——音楽室。

 二人だけの秘密の場所。


 カノンはベッドに横になり、天井を見つめた。


 このまま進んでいいのだろうか。

 Dr.バグという謎の人物を信じていいのだろうか。

 ボディ・パーティに参加したら、何が起きるのだろうか。


 不安はある。でも、それ以上に——


 新しい体験への期待が、カノンの中で大きくなっていく。


 翌日の昼休み。


 カノンは一人で屋上にいた。最近、クラスメイトとの距離を感じることが多くなった。みんな優しいけど、表面的な関係に思えてしまう。


「ここにいたのか」


 振り返ると、律が立っていた。


「どうして分かったの?」


「なんとなく」律は隣に座った。「君が一人になりたい時は、いつもここに来るから」


 カノンは驚いた。そんなに自分のことを見ていてくれたんだ。


「昨日の続き、話そうか」律が切り出した。「ボディ・パーティのこと」


「うん」


 律は持ってきたタブレットを開いた。画面には、大量の情報が表示されている。


「調べてみたんだ。Dr.バグについて」


「何か分かった?」


「断片的だけど」律は画面をスクロールしながら説明した。「どうやら、記憶改竄技術の専門家らしい。地下フォーラムでは有名人だ」


 記憶改竄。その言葉に、カノンは背筋が寒くなった。


「でも、参加者のレビューを見る限り、今のところ大きな事故は報告されていない」


「レビュー?」


 律が見せてくれた画面には、匿名の体験談が並んでいた。


『最高の体験だった。24時間、完全に他人になれた』

『パートナーの記憶を通して、新しい自分を発見した』

『もう普通の生活には戻れない。また参加したい』


 でも、中には不穏な書き込みも。


『終わった後、1時間分の記憶が黒塗りになってた』

『自分が自分じゃない感覚が残ってる』

『警告:99時間を超えると危険』


「99時間……」


 カノンはその数字に引っかかりを感じた。なぜか、とても重要な数字のような気がする。


「やっぱり危険だ」律が画面を閉じた。「参加は——」


「でも」カノンは律の言葉を遮った。「みんな、また参加したいって言ってる」


「それは……」


「あたしもわかる気がする」カノンは空を見上げた。「昨日のグリッチ、怖かったけど、同時にすごく気持ち良かった」


 律は何も言わなかった。でも、その沈黙が肯定を意味していることを、カノンは知っていた。


「ねえ、律」


「なに?」


「もし、あたしたちが記憶を交換したら、どうなると思う?」


 律は少し考えてから答えた。


「多分、今まで以上に理解し合えるようになる。でも同時に、個人の境界が曖昧になるかもしれない」


「それって、悪いこと?」


「分からない」律は正直に言った。「でも、君となら、試してみたい気持ちはある」


 カノンの心臓が跳ねた。


 律も、同じことを考えていた。


 二人の間に、甘い緊張が流れる。


 その時——


「あ、ここにいた!」


 突然の声に二人は飛び上がった。カノンのクラスメイトが、息を切らしながら屋上に上がってきた。


「カノンちゃん、大変! SNSで話題になってるよ!」


「え?」


 差し出されたスマホを見て、カノンは凍りついた。


『人気LINK-FLUENCERのC.Aさん、危険な旧式デバイスを使用か』


 匿名の告発記事。でも、添付された写真は明らかに昨日の音楽室。窓の外から撮影されたらしい、カノンと律の姿が写っている。


「これ……」


「もうバズっちゃってて、みんな心配してる」


 カノンは震える手でスマホを確認した。


 ```

 [通知:999+]

 [メンション:2,847件]

 [#旧式LINK危険 トレンド入り]

 ```


 コメント欄は大荒れだった。


『カノンちゃん、危ないよ!』

『旧式LINKは違法じゃないの?』

『失望しました。フォロー外します』

『でも面白そう。配信して!』


「どうしよう……」


 カノンは頭を抱えた。まさか、こんなに早くバレるなんて。


「いったん教室に戻ろう」律が冷静に言った。「ここにいても仕方ない」


 三人で階段を降りていく途中、カノンのスマホに新着メッセージが届いた。


 Dr.バグからだった。


『大変そうだね。でも、これも運命かもしれない。


 ところで、昨日君たちが使用したプロトコル、実は私の特製なんだ。政府非認証の改造コードでね。もう君たちのデバイスにはその痕跡が残ってる。


 今更怖くなった? でも、もう遅いよ。使用ログはすべて記録済み。これ、バレたら大変だよね。学校退学どころじゃ済まないかも。


 でも安心して。私は君たちの味方だ。ボディ・パーティに参加すれば、すべての証拠は消してあげる。


 世間の目を気にして逃げる? それとも、もう後戻りできないから新しい世界に飛び込む?


 選択は君次第だけど……まあ、選択肢は限られてるよね』


 そして、追加のメッセージ。


『ちなみに、写真を撮ったのは私じゃない。でも、君たちの違法プロトコル使用の証拠は、私だけが持ってる。A-137、そしてR-404。特別な才能には、特別な扱いが必要だからね』


 カノンは震える手でメッセージを見つめた。脅迫だ。完全な脅迫。


 でも、同時に気づいてしまった。


 ——怖いのに、どこかホッとしている自分がいる。


 選択の責任を、Dr.バグに押し付けられる。「脅されたから仕方なく」という言い訳ができる。


 本当は、自分から飛び込みたかったのかもしれない。


 教室に戻ると、案の定、クラス中がざわついていた。みんなの視線が突き刺さる。


「カノン、大丈夫?」


 心配そうに駆け寄ってくる友人たち。でも、その目の奥には好奇心も見える。


「うん、大丈夫……」


 でも、全然大丈夫じゃなかった。


 これまで築いてきた「完璧なカノン」のイメージが崩れていく。フォロワーも減り始めている。


 ```

 [フォロワー数:198,234名(-3,613)]

 ```


 数字が減っていく。でも——


「どうせ失うなら、全部失ってもいい」


 小さくつぶやいた言葉を、律だけが聞き取った。


 Dr.バグの脅迫は腹立たしい。でも、これで踏ん切りがついた。どうせ退路は断たれた。だったら、最後まで行ってみよう。


 本当の繋がりがそこにあるかもしれない。

 それとも、すべてを失うだけかもしれない。


 でも、このまま偽物の人生を続けるよりは——


 放課後、二人は音楽室に集まった。


「ごめん」律が謝った。「僕が旧式LINKなんて持ち出したから」


「ううん、違う」カノンは首を振った。「これは、あたしが選んだこと」


 窓の外を見る。もう盗撮を恐れる必要もない。どうせ、みんなに知られてしまった。


「ねえ、律」


「うん?」


「さっきのコメント、見た?」


 律は頷いた。心配そうな顔で。


「『失望しました』『フォロー外します』……」カノンは自嘲的に笑った。「でも、気づいたの。この人たち、本当のあたしなんて最初から見てなかった」


「カノン……」


「20万人もフォロワーがいるのに、誰一人、あたしの本当の気持ちなんて知らない。みんなが好きなのは『完璧なカノン』っていうキャラクター」


 カノンは振り返った。その瞳には、悲しみと同時に解放感が宿っていた。


「炎上して分かった。これは、むしろチャンスなのかも」


「チャンス?」


「うん。偽物の繋がりを全部失って、本物を見つけるチャンス」


 カノンは深呼吸をした。


「だからこそ、ボディ・パーティに参加したい。もう失うものはない。数字も、作り上げたイメージも、どうでもよくなった」


「本気? こんな状況で?」


「今だからこそ」カノンの声には、今までにない強さがあった。「フォロワーが減って、やっと自由になれた気がする。あたしが本当に欲しいのは、20万の『いいね』じゃない。たった一人でいい、本当に理解し合える人」


 カノンは律をまっすぐ見つめた。


「それを、律と一緒に見つけたい」


 長い沈黙の後、律は頷いた。


「分かった。一緒に行こう」


 二人は旧式LINKを見つめた。


 この小さなデバイスが、二人の運命を大きく変えることになる。


 良い方向か、悪い方向か——


 それは、まだ誰にも分からない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ