#029 私たちの音楽
永久PINGから半年後。
朝の光が、音楽スタジオの窓から差し込んでいた。律とカノンは、新しいアルバムの最後の曲をレコーディングしていた。
『ゼロデイ』——それがアルバムのタイトルだった。
「もう一度、サビの部分から」
エンジニアの指示に、二人は頷いた。もはや言葉を交わす必要もない。意識は常に繋がっている。
♪ ♫ ♬ ♪
音楽が流れ始める。それは、二人の物語を音で綴ったものだった。
出会い、別れ、再会、喪失、そして再生。
すべての記憶が、旋律となって紡がれていく。
*
レコーディングが終わり、二人はコントロールルームで完成した音源を聴いていた。
「これで、全12曲完成だね」カノンが感慨深げに言った。
「長かった」律も同意する。「でも、やり遂げた」
プロデューサーが満足そうに頷いた。
「素晴らしいアルバムだ。きっと多くの人の心に響く」
『ゼロデイ』には、二人の体験が詰まっていた。記憶を失う恐怖、それでも残る愛、新しい形の絆。
でも、それは二人だけの物語ではなかった。
「記憶支援センターの人たちの話も、入ってるんです」カノンが説明する。
「みんなの物語を、音楽にしました」律が付け加える。
アルバムは、Dr.バグ事件の被害者たちへの応援歌でもあった。
*
午後、二人は港南ニューシティを見下ろす丘の上にいた。
あの秘密基地があった場所。今は公園として整備されているが、二人にとっては特別な場所だ。
「覚えてる?」カノンが木を見上げる。「ここで約束したんだよね」
「『大人になっても、ずっと一緒にいよう』」律が当時の言葉を口にする。
「叶ったね」
「うん。想像もしなかった形だけど」
二人は芝生に座り、街を眺めた。
LINKの電波塔が、太陽の光を反射している。あの技術が、二人の運命を変えた。
『後悔してない?』カノンが心の中で問いかける。
『全くしてない』律の答えは即座だった。『君は?』
『私も。これが私たちの形だもん』
永久PING確立から半年。二人の生活は、ある意味で平凡になっていた。
朝起きて、一緒に朝食を作る。それぞれの仕事や活動をして、夜はまた一緒に過ごす。
ただし、物理的に離れていても、心は常に繋がっている。
*
「ねえ」カノンが突然言った。「最近思うんだけど」
「何?」
「私たち、新しい人類なのかな」
律は少し考えてから答えた。
「そうかもしれない。でも、特別じゃない」
「え?」
「だって、愛し合う人たちは昔から心で繋がってた。僕たちは、それが技術で可視化されただけ」
カノンは微笑んだ。
「律らしい答え」
「でも」律は続けた。「これからもっと増えると思う。僕たちみたいな人たち」
実際、記憶共有技術は急速に進化していた。もちろん、厳格な規制の下でだが。
Project Resonanceも、すでに100組以上のカップルや家族の支援を行っていた。
「私たちは、最初の世代なんだね」
「パイオニアってやつ?」
「かっこよく言いすぎ」カノンが笑う。「でも、責任もあるよね」
*
夕暮れ時、二人は街に降りてきた。
明日は、『ゼロデイ』のリリースイベント。全国から、記憶を共有する人たちが集まる予定だ。
「準備、大丈夫?」
「うん。でも緊張する」
『大丈夫。一緒だから』
もはや口癖のようなやり取り。でも、その度に安心する。
街を歩いていると、見知らぬ人から声をかけられることも増えた。
「あの、朝凪さんと綾瀬さんですよね?」
若いカップルだった。
「私たちも、来月永久PINGを設定する予定なんです」
「お二人のおかげで、勇気が出ました」
律とカノンは温かい気持ちになった。
自分たちの選択が、誰かの希望になっている。
「頑張ってください」カノンが励ます。「怖くても、愛があれば大丈夫」
「お互いを信じることが一番大切です」律も付け加える。
*
夜、自宅のバルコニーで、二人は星空を見上げていた。
「明日で、ちょうど一年だね」カノンが呟いた。
「何が?」
「はじめてグリッチした日から」
律は驚いた。そうか、もうそんなに経ったのか。
あの日、偶然の事故から始まった物語。
記憶を失い、自分を見失い、でも最後には新しい自分たちを見つけた。
「ゼロデイ」——すべてがゼロになった日。
でも、それは終わりではなく、始まりだった。
『ねえ、律』
『なに?』
『ありがとう。あなたがいてくれて』
『こちらこそ。カノンがいなかったら、僕は——』
『ううん。二人だから、ここまで来れた』
その通りだった。
一人では耐えられなかった苦しみも、二人なら乗り越えられた。
一人では作れなかった音楽も、二人なら生み出せた。
「明日、みんなに聴いてもらおう」律が言った。「私たちの音楽を」
「うん。心にしみわたる音楽を」
二人は手を繋いだ。
永久PINGで繋がった心と、触れ合う手のひら。
両方とも、同じくらい大切な繋がり。
明日は、新しい一日。
ゼロから始まる、希望の朝。
二人の音楽が、世界に響き渡る日。




