#021 核心記憶の在処
現実世界に戻った律は、激しい頭痛と共に意識を取り戻した。
「大丈夫か!」
高柳警部が律の肩を掴んでいた。周囲では、警官たちが破壊されたサーバーの残骸を調べている。
「成功しました……」律が弱々しく答える。「榊原先生が……コピーたちを止めてくれました」
「榊原は?」
律は周りを見回したが、榊原の姿はどこにもなかった。
「消えました。いえ、統合されました。分裂していた人格が、11つに戻ったんです」
高柳警部は複雑な表情を見せた。
「そうか……彼なりの償いだったんだな」
「でも」律は立ち上がった。「カノンの核心記憶の在り処が分かりました」
律は、榊原から受け取ったデータを説明した。
「カノンの記憶は、完全に失われたわけじゃありません。核心部分は、どこか別の場所に隠れています」
「どこに?」
「それが……」律は困惑した表情を見せた。「予想外の場所でした」
律は、タブレットに表示されたデータを見せた。
[核心記憶分析結果]
対象:A-137(綾瀬カノン)
核心記憶所在:複数箇所に分散
①自己同一性記憶:病院内(患者本人)
②感情記憶:R-404内(朝凪律)
③関係性記憶:不明な第三者内
復元には全3箇所からの記憶回収が必要
データをさらに詳しく調べていると、律は驚愕の事実を発見した。
「これは……」
画面には、追加の情報が表示されていた。
[警告: 記憶汚染検出]
A-137記憶内に外部人格の感情データ混入を確認
汚染源:SAKAKIBARA_SOICHIRO_ORIGINAL
汚染内容:10年間の罪悪感・後悔の感情
汚染レベル:深層(人格形成に影響)
「カノンの記憶に、榊原先生の後悔の感情が混入しています」
高柳警部が眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「10年間の罪悪感が、A-137の記憶と結合しているんです。これが、カノンの人格分裂を複雑にしている原因かもしれません」
律は理解した。カノンが3つの人格に分裂したのは、単なる記憶の断片化だけではなかった。榊原の深い後悔の感情が、彼女の記憶に寄生していたのだ。
「榊原先生の罪悪感が、カノンを苦しめていたということですか?」
「恐らく。だから、先生が統合された今、この汚染も除去できるはずです」
「僕の中に、カノンの記憶が?」
「そうです。スワップ実験の時に、お互いの記憶の一部が混ざり合ったんです。カノンの感情記憶の核心部分が、律さんの中に保存されています」
高柳警部が眉をひそめた。
「第三者とは?」
「それが問題なんです」律は画面をスクロールした。「関係性記憶……カノンが他人との関係で形成した記憶の核心部分。これが、見知らぬ誰かの中にあります」
データには、さらに詳細が記されていた。
[第三者の特徴]
・年齢:40代後半~50代前半
・性別:男性
・職業:研究者または医療関係者
・カノンとの接触:過去24時間以内
・記憶接触レベル:深層
「過去24時間……」律は考え込んだ。「カノンが病院にいる間に、誰かと深い記憶的接触を?」
その時、律の脳裏に不安な考えが浮かんだ。
「まさか……」
高柳警部も同じことを考えていた。
「病院の医師の可能性があるな」
「急いで病院に戻りましょう」
二人は車で病院に向かった。道中、律は榊原から受け取った復元プロトコルを確認していた。
[記憶復元プロトコル v11.0]
必要条件:
①核心記憶の全回収
②強い感情的結合(愛情・友情など)
③患者の意識下での承認
成功率:85%(全条件充足時)
副作用:一時的な記憶混濁
リスク:復元者の記憶も一部変化
「復元者の記憶も変化……」律は複雑な気持ちになった。カノンを救うために、自分の記憶も変わってしまうかもしれない。
でも、それでも構わない。
病院に到着すると、看護師が慌てた様子で迎えた。
「カノンちゃんの様子が変なんです」
「どう変なんですか?」
「朝から、知らない人の名前を呼び続けています。『田中先生』『佐藤先生』って」
律と高柳警部は顔を見合わせた。
「その先生方は、実在する人物ですか?」
「いえ、この病院にはそんな名前の医師はいません」
カノンの病室に向かうと、彼女は不安そうに宙を見つめていた。
「田中先生……どこ? 佐藤先生も……あれ? なんで名前だけ覚えてるんだろう」
律が近づくと、カノンは振り返った。
「あ、律……よね? なんか、すごく大切な人な気がするけど……」
「僕だよ、カノン。覚えてない?」
「ごめん、ぼんやりしてて。でもね」カノンは困ったような笑顔を見せた。「田中先生と佐藤先生のこと、なぜか鮮明に覚えてるの。でも、どこで会ったかは思い出せない」
高柳警部が看護師に確認した。
「この24時間で、カノンさんと接触した医師は?」
「担当医の山田先生と、心理カウンセラーの鈴木先生だけです」
「田中、佐藤という名前の人物は?」
「心当たりがありません」
その時、律はあることに気づいた。
「カノン、その田中先生と佐藤先生は、どんな人だった?」
「えーっと……」カノンは額に手を当てて考えた。「田中先生は優しくて、いつも笑顔で……佐藤先生は真面目で、でも温かい人だった気がする」
「どこで会ったの?」
「それが分からないの。でも……なんか、すごく楽しかった記憶がある。三人で一緒に何かを……」
律は愕然とした。
「もしかして……」
律は急いでタブレットを操作した。榊原から受け取ったデータの中に、被害者リストがあったはずだ。
[記憶汚染被害者リスト]
……
田中健一(45歳・研究者)失踪日:2035年3月
佐藤正樹(52歳・心理学者)失踪日:2037年8月
……
「いた……」
高柳警部が覗き込む。
「この二人も、Dr.バグの被害者だったんですね」
「そうです。そして、カノンの記憶の中に、この二人との関係性記憶が残っている」
律は理解した。記憶を抽出される過程で、過去の被害者たちの記憶の断片が、カノンの中に混入していたのだ。
「つまり、カノンの核心記憶は、この二人の記憶の中にあるということですか?」
「その可能性が高いです。でも……」
律は暗い気持ちになった。
「この二人は、8年前と5年前に失踪しています。今どこにいるか分からない」
「いえ」高柳警部が希望を見出した。「手がかりがあります」
彼女は、先ほど押収した資料を取り出した。
「VOIDクラブで発見した取引記録です。最近の売買履歴に、この二人の名前があります」
[最近の取引履歴]
T-203(田中健一):レンタル中
利用者:港南精神医学研究所
期間:2週間
S-089(佐藤正樹):レンタル中
利用者:同上
期間:1ヶ月
「港南精神医学研究所……」律は聞いたことがある名前だった。
「湾岸大学病院の関連施設ですね」高柳警部が確認する。
「そこで、この二人が『レンタル』されているということですか?」
「恐らく。研究目的で、一時的に記憶を利用されているんでしょう」
律は立ち上がった。
「すぐに行きましょう」
「でも、危険かもしれません」
「構いません。カノンの記憶を取り戻すためなら」
カノンが、ベッドから声をかけた。
「律、行っちゃうの?」
「すぐに戻るよ。君を元に戻すために」
「元に戻す?」カノンは首を傾げた。「あたし、何か変なの?」
「大丈夫。君は君だよ。ただ、忘れてしまったものを取り戻すだけ」
律はカノンの手を握った。
「『心にしみわたる』って言葉、覚えてる?」
カノンの表情が、一瞬だけ明るくなった。
「なんか……すごく大切な言葉な気がする。でも、なんで大切なのか分からない」
「それを思い出させてあげる。約束する」
律は、高柳警部と共に病院を出た。
港南精神医学研究所に向かうために。
カノンの最後の記憶を取り戻すために。
車の中で、律は決意を新たにした。
田中先生と佐藤先生。この二人も、Dr.バグの被害者だった。
彼らを救うことができれば、カノンも完全に元に戻せるはずだ。
「待ってて、カノン。田中先生も、佐藤先生も」
律は夕日に向かって呟いた。
「みんな、一緒に帰ろう」
最後の戦いが、始まろうとしていた。




