#020 二重作戦―物理と電子の同時侵攻
【水曜日 深夜——残り時間:数時間】
深夜2時。港南ニューシティ外れの廃研究施設を、警察の車両が包囲していた。
律は、移動指令車の中で旧式LINKを装着していた。皮肉にも、この危険なデバイスが今は武器となる。
「通信チェック」高柳警部の声がイヤホンから聞こえる。
「こちら律。聞こえます」
隣には、榊原も座っていた。顔色は悪いが、目には強い決意が宿っている。
「よし。我々が建物に突入したら、君はLINK経由でサーバーに侵入してくれ。記憶データの場所を特定して、榊原さんと一緒に上書きプロトコルを実行する」
「了解です」
律は緊張で手が震えていた。今夜の作戦が失敗すれば、カノンを救う最後のチャンスが失われる。
「大丈夫だ」榊原が優しく言った。「君の友人への想いが、きっと道を開いてくれる」
「先生も、無理をしないでください」
「ありがとう。でも、これは私の最後の責任だ」
高柳警部の指示が飛ぶ。
「全隊、配置完了。突入開始」
特殊部隊が、建物の各入口から侵入していく。同時に、律も電子の海へダイブした。
[LINK: GHOST MODE]
[TARGET: ABANDONED_RESEARCH_FACILITY_SERVER]
仮想空間に入ると、そこは10年前の記憶が蘇る場所だった。
榊原の記憶を通じて、律も施設の内部構造を把握していた。地下3階にメインサーバー、地下2階に実験室、地下1階に管理施設。
しかし、現在の仮想空間は、当時とは様変わりしていた。
巨大なデータの要塞が築かれ、無数の記憶ファイルが有機的に結合している。まるで、記憶でできた生き物のような不気味さだった。
「すごい量だ……」
物理空間では、高柳たちが建物内を進んでいる。
「第一階層クリア。抵抗なし……いや、待て」
高柳の声に緊張が走る。
「罠かもしれません。気をつけて」律が警告する。
サーバーの深層へ潜りながら、律は効率的にデータを検索した。
[SEARCH: 綾瀬カノン / A-137]
[RESULT: A-137.mem - 2.8TB]
[LOCATION: CORE_MEMORY_VAULT]
「見つけた! カノンのデータです」
しかし、探索を続けていると、奇妙なフォルダを発見した。
[CLASSIFIED: GENESIS_PROJECT]
[ACCESS LEVEL: MAXIMUM SECURITY]
「これは何だ?」
律がアクセスしようとすると、強固なセキュリティに阻まれた。
「榊原先生、GENESIS PROJECTって何ですか?」
榊原は困惑した表情を見せた。
「分からない……私の記憶にはない計画だ」
「コピーたちが独自に進めていた何かかもしれません」
そのファイルは暗号化が異常に強く、今すぐには解析できそうになかった。
「あとで調べましょう。今はカノンの記憶を優先します」
しかし、アクセスしようとすると、強固なセキュリティに阻まれた。
[ACCESS DENIED]
[AUTHENTICATION REQUIRED]
「認証が必要だ……」
その時、榊原が言った。
「私の認証コードを使ってください」
「でも、危険では?」
「構いません。私の記憶にアクセスすることで、コピーたちが気づくでしょう。それが狙いです」
律は頷いて、榊原の認証コードを入力した。
[AUTHENTICATION: SAKAKIBARA_SOICHIRO_ORIGINAL]
[ACCESS GRANTED]
瞬間、システム全体にアラームが響いた。
[INTRUDER ALERT]
[ORIGINAL PERSONALITY DETECTED]
「来たぞ」榊原が身構える。
仮想空間に、複数のアバターが現れた。Dr.バグのコピーたちだ。
「おや、オリジナルがいるじゃないか」
「10年ぶりだな、弱虫」
「まだ生きていたのか」
5つの声が、それぞれ違う調子で語りかけてくる。榊原の分裂した人格たちだった。
「久しぶりだな……私自身たちよ」榊原が答える。
「私自身? 冗談だろう」コピー①が嘲笑う。「君は私たちの劣化版だ。失敗を恐れる、臆病者の成れの果て」
「その通りだ」榊原は意外にも認めた。「私は臆病者だ。でも、だからこそわかる。君たちが間違っていることが」
コピー②が前に出る。
「間違い? 我々は君の理想を実現しているんだぞ。記憶の共有、人類の進化……」
「それは共有じゃない」律が割って入った。「搾取だ。奪い合いだ」
コピーたちの視線が律に向けられる。
「R-404か。なかなか良い商品だな」
「君の恋心、とくに美味しそうだ」
「早く収穫しようじゃないか」
5つのコピーが、一斉に律に向かってきた。
しかし、その時—
「やめろ!」
榊原が立ちはだかった。
「彼には手を出させない」
「何の権利があって?」
「創造者の権利だ」
榊原は、特別なプロトコルを起動した。
[MEMORY_OVERRIDE_PROTOCOL_v10.3]
[ORIGINAL_AUTHORITY: ACTIVATED]
「これは……」コピーたちが困惑する。
「君たちは私の記憶のコピーだ。ならば、私が記憶を書き換えれば、君たちにも影響するはずだ」
榊原の周りに、光が集まり始めた。
「待て! そんなことをすれば、君自身も—」
「消えるかもしれない。分かっている」
榊原は、律を振り返った。
「君の友人への想いを見せてくれ。私には、もうそんな純粋な感情が残っていない」
律は頷いて、カノンとの記憶を解放した。
はじめて会った日。音楽室での褒め言葉。グリッチ体験。そして、彼女への深い愛情。
その記憶が、榊原の周りを包んだ。
「これが……愛か……」
コピーたちが、次々と動きを止めていく。
「こんな……温かい感情が……」
「私たちは……何をしていたんだ……」
榊原の記憶が書き換わると同時に、コピーたちの人格も変化していく。
物理空間では、高柳たちが地下に到達していた。
「巨大なサーバールームを発見。しかし……何かおかしい」
サーバーが、一台ずつ停止していく。コピーたちの人格が消えていくのと同期して。
「成功しています」律が報告する。「上書きプロトコルが機能している」
しかし、その時—
「甘いな、オリジナル」
新しい声が響いた。
「君は、私たちの中で最も弱い存在だ。本当に、記憶を支配できると思っているのか?」
6番目のコピーが現れた。最も強力で、最も邪悪な人格。
「君は……」榊原が驚愕する。
「私は君の絶望だ。実験に失敗した時の、どうしようもない絶望感が形になったもの」
この6番目のコピーは、他とは明らかに格が違った。圧倒的な存在感で、仮想空間を支配している。
「私を倒すには、君が絶望を乗り越えなければならない。でも、それができるかな?」
榊原は震えていた。確かに、この絶望は彼の心の奥底に常に存在していた。
「10年間、君はずっと後悔していただろう。あの5人を破滅させた自分を、許せずにいただろう」
「そうだ……」榊原が膝をついた。「私には、償う資格なんてない……」
6番目のコピーが勝利を確信した時—
「違います」
律が前に出た。
「先生は、償おうとしています。それが何よりも大切なことです」
「少年、君に何がわかる?」
「分かります。僕も、カノンを危険に巻き込んだ責任を感じています。でも、それを後悔するだけじゃダメだ。行動しなければ」
律は、榊原の手を取った。
「一緒に戦いましょう。過去は変えられないけど、未来は変えられます」
榊原の目に、再び光が宿った。
「そうだ……君の言う通りだ」
二人の想いが重なった時、6番目のコピーに亀裂が入った。
「馬鹿な……絶望が希望に……」
そして、最後のコピーも崩れ去った。
仮想空間が静寂に包まれる。
[MEMORY_OVERRIDE: COMPLETE]
[CORE_MEMORY_ACCESS: GRANTED]
「やりました……」
律は、ついにカノンの核心記憶にアクセスできた。
美しい光の球体。その中に、カノンの本質が詰まっている。
「これで、彼女を救えますね」
「ああ」榊原も安堵の表情を見せた。「君のおかげだ」
しかし、榊原の体が透明になり始めていた。
「先生!」
「大丈夫だ。消えるわけじゃない。ただ……統合されるんだ」
6つに分裂していた人格が、再び1つになろうとしている。
「君に託したいものがある」
榊原は、最後の力を振り絞って、特別なファイルを律に渡した。
「すべての被害者の記憶復元データだ。君なら、きっと多くの人を救えるだろう」
「先生……」
「ありがとう。君のおかげで、私は救われた」
榊原の姿が完全に消えた。
しかし、その場には温かい感覚が残っていた。憎しみではなく、愛に満ちた感覚。
律は、カノンの核心記憶を大切に抱えて、現実世界に戻った。
ついに、彼女を救う鍵を手に入れたのだ。




