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#019 10年前の真実

 港南ニューシティ郊外。


 古い住宅街の奥まった場所に、小さな一軒家があった。


 庭は荒れ果て、外壁の塗装も剥がれている。まるで、世界から忘れ去られた家のようだった。


「本当に、ここにいるんですか?」


 律が不安そうに聞くと、高柳警部は頷いた。


「3年前に突き止めました。でも、接触は今回がはじめてです」


「なぜ今まで?」


「彼は、自分のコピーたちを恐れているんです。接触すれば、居場所がバレる可能性がある」


 二人は、慎重に家に近づいた。


 インターホンを押すと、しばらくして古い声が聞こえた。


「どちら様ですか?」


「警察の高柳です。お話ししたいことがあります」


 長い沈黙の後、ドアがゆっくりと開いた。


 現れたのは、50代半ばの男性だった。白髪が増え、顔にはしわが刻まれているが、確かに10年前の写真の榊原だった。


「榊原総一郎さんですね」


「……はい」


 榊原は、疲れ果てた表情で二人を見つめた。


「やはり、見つかってしまいましたか」


「お話ししたいことがあります。中に入らせていただけませんか?」


 榊原は少し迷ってから、ドアを開けてくれた。


 家の中は、薄暗く静かだった。本棚には古い学術書がびっしりと並んでいるが、どれも埃をかぶっている。


 リビングに通されると、榊原は重い口を開いた。


「10年間、この日が来るのを恐れていました」


「なぜ隠れて暮らしているんですか?」高柳警部が聞いた。


「私の……いえ、私たちの犯した罪から逃れるためです」


 榊原は、コーヒーを淹れながら話し続けた。


「あの実験は、人類史上最悪の過ちでした。私は、理想に目がくらんで、取り返しのつかないことをしてしまった」


「でも、先生は被害者でもあるんじゃないですか?」律が言った。


 榊原は、苦笑いを浮かべた。


「被害者? いいえ、私は加害者です。あの5人の若者を実験台にしたのは、この私なんですから」


 彼は、古いアルバムを取り出した。


 そこには、実験前の参加者たちの写真があった。みんな、希望に満ちた笑顔を浮かべている。


「彼らは、私の理想を信じてくれました。『記憶を共有すれば、争いのない世界が作れる』という、愚かな夢を」


 榊原の声が震えた。


「結果は、ご存知の通りです。5人全員が人格崩壊を起こし、私自身も……分裂してしまいました」


「コピーたちのことですね」


「はい」榊原は頭を抱えた。「私の人格が6つに分かれました。元の私と、5つのコピー。最初は、ただの記憶の混乱だと思っていましたが……」


 彼は立ち上がり、奥の部屋からファイルを持ってきた。


『人格分裂に関する私的研究記録』


「コピーたちは、それぞれ独立した意思を持っていました。そして、恐ろしいことに……私の知識と記憶を完全に共有していたんです」


 ファイルには、詳細な研究データが記されていた。


 【分裂人格の特徴】


 コピー①:理想主義の極致

 →「失敗を認めず、より深い実験を求める」


 コピー②:科学的好奇心の暴走

 →「被験者の苦痛を実験データとして処理」


 コピー③:支配欲の具現化

 →「記憶を支配することで人を支配したがる」


 コピー④:商業的思考

 →「記憶を商品として売買することを考案」


 コピー⑤:復讐心

 →「社会への恨みを記憶実験で晴らそうとする」

 律は戦慄した。現在のDr.バグたちの行動パターンが、すべて説明されている。


「コピーたちは、私の制止を聞きませんでした。むしろ、『失敗を認める弱い人格』として、私を軽蔑していました」


「それで、地下に潜ったんですね」


「はい。彼らは、より過激な実験を続けるために、闇の組織を作りました。そして……」


 榊原は、最新の新聞記事を見せた。


『若者失踪事件、200人を超える』


「この10年間の犠牲者は、すべて私の責任です」


 榊原は、自分を責めるように頭を抱えた。


「私は、彼らを止める義務があります。でも……」


「でも?」


「私一人では、もう無力なんです」


 榊原は、自分の手を見つめた。震えている。


「年を取りました。体力も気力もない。それに、コピーたちは私のすべての知識を持っている。技術的に対抗することもできません」


 高柳警部が前に出た。


「だから、私たちが協力するんです」


「警察の方が?」


「私の妹も、あの実験の犠牲者です。夏帆という名前でした」


 榊原の顔色が変わった。


「高柳……夏帆さん……」


 彼は、アルバムを慌てて探した。そして、一枚の写真を見つけ出す。


「この方ですね……」


 写真には、19歳の夏帆が映っていた。実験前の、無邪気な笑顔で。


「申し訳ありませんでした……本当に……」


 榊原は、土下座をしようとした。


「やめてください」高柳警部が制止する。「今更謝罪されても、夏帆は戻りません。それより、これ以上の被害を防ぐ方法を教えてください」


 榊原は、涙を拭きながら頷いた。


「分かりました。私にできることは、すべてお話しします」


 彼は、奥の部屋から古いノートパソコンを持ってきた。


「これに、コピーたちの弱点をまとめてあります」


 画面には、複雑な技術資料が表示された。


「彼らは、私の記憶をベースにしています。ということは、私の記憶を上書きすれば、コピーたちも影響を受けるはずです」


「上書き?」律が聞いた。


「元の記憶に、新しい情報を重ね書きするんです。とくに、『実験は間違いだった』という強い後悔の感情を含めて」


 榊原は、別のファイルを開いた。


「記憶上書きプロトコル。10年かけて開発しました」


 [MEMORY_OVERRIDE_PROTOCOL_v10.3]


 目的:分裂人格への直接干渉

 方法:オリジナル記憶の感情強化

 必要条件:

 ①オリジナル人格(榊原)の直接参加

 ②強い感情的ショック

 ③被害者との直接対面


 成功率:理論上80%

 リスク:オリジナル人格の消失可能性50%

 律は驚いた。


「50%の確率で、先生自身が消えてしまう?」


「はい。でも、構いません」


 榊原の目に、強い決意が宿った。


「私の命と引き換えに、これ以上の被害を止められるなら」


「でも……」


「私は、もう十分生きました。これ以上、若者たちが犠牲になるのを見ていることはできません」


 高柳警部が前に出た。


「分かりました。協力します。でも、条件があります」


「何でしょう?」


「生き残ってください。夏帆を治療するために、先生の知識が必要です」


 榊原は、複雑な表情を見せた。


「治療……私に、そんな資格があるでしょうか」


「あります」律が言った。「先生が作った問題は、先生にしか解決できません」


「そして」高柳警部が続けた。「私たちには、秘密兵器があります」


「秘密兵器?」


 高柳警部は、律を指差した。


「この少年です。彼の記憶には、コピーたちが最も欲しがっているものが入っています」


「それは……」


「純粋な愛情です」


 律は恥ずかしくなったが、高柳警部は真剣だった。


「君の友人への想いは、コピーたちが失ったものです。それを囮にして、奴らを誘い出せます」


 榊原は、律を見つめた。


「あなたが、R-404の……」


「はい。カノンを救うために、何でもします」


 榊原は、長い沈黙の後、深く頷いた。


「分かりました。最後の戦いを始めましょう」


「ところで」高柳警部が地図を取り出した。「港南ニューシティ外れの廃研究施設について、お聞きしたいことがあります」


 榊原の顔が、急に青ざめた。


「あそこは……」


「先生が10年前に実験を行った場所ですね」


「はい」榊原は苦痛に顔を歪めた。「あの忌まわしい記憶の場所です。夏帆さんたちが……人格を失った場所」


 高柳警部は、最新の資料を見せた。


「現在は廃墟になっていますが、最近になって電力消費の異常が確認されています」


 榊原は立ち上がった。


「まさか……コピーたちが、あそこを拠点にしているとでも?」


「その可能性が高いです。彼らにとって、最も記憶の深い場所でしょうから」


「そんな……」榊原は頭を抱えた。「あの場所で、また同じことを繰り返しているなんて」


 律は地図を覗き込んだ。


「ここがサーバーの在り処なんですね」


「おそらく。そして、コピーたちの本拠地でもあります」


 榊原は、震える手で地図の位置を指差した。


「地下に、巨大な実験施設があります。私が設計しました。もし彼らがあそこを使っているなら……」


「どうなりますか?」


「最悪の場合、同時に数百人の記憶を処理できます。まさに、記憶の工場です」


 3人は、作戦を練り始めた。


 廃研究施設に潜入し、コピーたちを誘い出し、記憶上書きプロトコルを実行する。


 危険な賭けだが、これが最後のチャンスかもしれない。


 夕日が、古い家の窓を照らしていた。


 10年前の罪を償う時が、ついに来た。


 そして、新しい希望が生まれようとしていた。


「カノン、もう少し待ってて」


 律は、心の中で呟いた。


「必ず、君を元に戻してみせる」


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