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第一話 全てはここから

「ごはんできたよー!」


 フィオナの元気な声が、キャンドルの薄明かりに照らされた家全体に響き渡る。


 その声を聞いた子どもたちが、弾けるような笑顔を浮かべながら彼女のもとへ一斉に走ってきた。


「ほら、みんなお皿持って並んで!」


 フィオナはそう言いながら、彼女の横にあった大きめの椅子の上に、大量の積み上げられた木皿を置く。


 何十人もの子どもたちが慌ただしくその皿を一つずつ持ち、騒々しい喧騒の中、彼女の前で列を成していくその光景は、まるで童話の一場面を連想させるようであった。


 フィオナが子どもたちの皿に次々と注いでいく夕食のカレーは、どちらかと言うと、スパイス香る野菜スープに近いものである。少ない材料で薄味のそれは一概に美味しいとは言えないものであり、食べ盛りの子どもたちにとっても、満足いくものではないだろう。 


 しかし、そんなことはないと言わんばかりの笑顔で皆、夕食を受け取っていた。


「カレーを注がれた子から、ミラお姉ちゃんの所に行ってね」


 そう言うフィオナの後ろには、キッチンで黙々と鶏肉のステーキを切り分けている少女、ミラがいた。


「はいはい……そこ、そんなに押すんじゃない。全員分ちゃんと用意してあるんだ」


 艶のある黒髪をポニーテールにまとめた、平均よりも少し背の高い少女。エプロンの下からちらりと覗く手足は引き締まっており、いかにもスポーツマンというような印象を与えていた。


「ほら、ステーキ班ミラ様のお通りだ」


そう言って、ステーキの切り分けを終え、キッチンから大皿を片手に出てきた彼女は、慣れた仕草で子供たちの皿に一つずつ、ステーキとスプーンを置いていく。


 表面に薄い焦げ目を帯びている鶏肉の皮の下から溢れんばかりに滴り落ちて、カレーの表面に波紋を作り上げる黄金色の肉汁は、カレーの薄味をみるみるうちに相殺し、その香ばしい香りも相まって、子どもたちの食欲を倍増させていった。


「肉が来たぞー!」「ミラ姐、ありがとー!」

「はいはい、“僕”に感謝くらいなら、お礼に皿洗いでもしたらどうだい?」


 悪そうな笑顔を見せながら、冗談めかしてそう言うミラの「僕」という一人称に、ここでは誰も疑問を抱かない。

 そのボーイッシュな見た目と雰囲気が、あまりにも彼女の印象と合致していたからである。


 料理の配膳が完了した子どもたちは、フィオナとミラの目線の先にある六つの長机に向かい、設置されている椅子に次々と座っていく。


 そこに向かうまでの道中で子どもたちから発せられる足音や喧騒は、まるで一種の音楽のようにどこか明るく楽しげな様相を奏でており、食卓の雰囲気をより一層暖かくしていった。


 少しして、子どもたち全員が席に着いた。


 それを確認したフィオナは、自分たち二人と、ここ、孤児院「ララ」の養父母の分のカレーを注ぎ、残り二枚の鶏肉の切れ端を彼らの皿に載せてから席に向かった。


 二人はまだ十八歳と若い少女であるが、ここを切り盛りする立派な存在だ。


 二人は、料理や家事、子どもたちの世話などを、自分たちを拾い、大切に育ててくれた養父母の代わりにこなしていた。


 フィオナが自分の席に着こうとした時、一人の子どもが彼女に話しかける。


「フィオ姉、わたしのおにく、たべて!」 


 その子は、鶏肉の乗った自分の皿をフィオナに突き出してきた。


「えっ、ユキ?」


 フィオナは驚いて、席に向かう足を思わず止める。


「わたし、これがなくてもへーきだから!」


 そう言い張る子ども――ユキであったが、その幼子としての大きな覚悟を裏切るかのように、彼女の腹の虫が大きな悲鳴をあげた。


 顔を真っ赤にして、ユキは半泣きで目を逸らそうとする。その愛らしい仕草を見て、フィオナ思わず吹き出してしまった。


「フィオ姉!わたしほんきなんだからね!」


 最近芽生えた羞恥心と、揺らぐ覚悟の狭間で感情がいっぱいになってしまったユキは、ついに泣き出しそうになってしまう。


 フィオナは、そんな彼女が浮かべている涙を拭い、優しい声で話しかける。


「ありがとう、ユキ。でもね、あなたが食べてくれないと、フィオ姉は悲しんじゃうんだよ? だって私は、みんなのためにご飯を作ったんだから」


 そう言う彼女であったが、ユキはなかなか引き下がらない。


「でも、いっつも頑張ってるフィオ姉には、もっといっぱい食べてほしいし……」


 口を尖らせながら、照れ隠しのように呟くユキ。その様子を見ていたミラが、にやりと笑って自分の黒髪を指先で弄りながら、小声で口を挟む。


「ユキ、ここだけの秘密なんだが……実はあの子、ダイエット中なんだ」

「そ、そうなの?」

「そ、そうよ、私はダイエットしてるの。だから、渡されたら食べるしかないし、太ったら困っちゃうなあー」


 嘘が苦手なフィオナは、ミラのフォローを活かすために必死で棒読みをした。


「……わかった、でも、おなかがすいたらおしえてね!」


 そう言って、ユキは自分の席に小走りで戻っていった。


「ミラ、余計なこと言わないでよ……」


フィオナが頬を膨らませながミラの方を向くと、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべながら肩をすくめる。


「まあまあ、僕のおかげで丸く収まったんだから、だろ?」

「むぅ……」

「……それよりさ、本当に太った?」

「うるさい」

「ダイエット、手伝おうか?」

「考えとく」


  キャンドルの明かりが、揺れ動く子どもたちの影を壁やカーテンに映し出している。それは外から見れば、大家族が温かく囲まれているような光景に見えるだろう。


 他愛のない会話をしながら机に向かうフィオナとミラの足取りに、疲れた様子は全く見られない。


 毎日のように忙しいが、彼女はこの生活が大好きであった。子どもたちの笑顔が何よりの励みで、どんな困難ですらも乗り越えられる気がしていた。


「フィオ姉! 早くいただきますしようぜ!」


 そう、一人の男の子が言う。


「そうだね、じゃあみんな手を合わせて……」


『いただきます!』


 その掛け声を合図に、子どもたちは夕食を食べ始める。


「……みんな、今日も楽しそうだな」


 フィオナの横で、ミラが静かに呟く。

 彼女の言葉に、フィオナは頷く。


「うん、そうだね」


 いつもと変わらない風景が子どもたちの笑顔が、どこか胸を温かくさせる。

 

 それが今の幸せであり、それを守ることが自分たちの与えられた使命なのだと、二人は心の底から思っていた。


 あまり裕福ではない、その場凌ぎのような生活。

 けれど、毎日が楽しくて、平和だった。


「いつも悪いなぁ、こんなに助けてもらっちまって」

「二人とも、たまには休んでもいいのよ?」


 二人の横に座っている老夫婦は、食事を口に運びながら、そう口にする。


 フィオナは少し微笑みながら言った。


「いえいえ、私はただ、昔の恩返しをしているだけですから!」


 フィオナは、自慢げな顔をしながら、その豊満な胸をそらす。


「嫌なことも、大変なことも、あの子たちの笑顔を見ていると、全部かき消されていく」


 ミラは、頬杖をついてそう呟く。


「今なら、じいちゃんとばあちゃんが僕らを拾ってくれた理由が分かるな」


 その無邪気で、楽しそうな顔を見ながら、幸せそうにミラは微笑む。


「こんな日が、毎日続けばいいのに」


 コン、コン。


 そんな時、軽く、玄関の戸を叩く音がした。


「おじさん、誰か来たよ」


 フィオナがそう言うと、客人に気づいた老夫が立ち上がる。


「こんな時間に客か、珍しいな」


 コン、コン。


 再び、控えめなノックの音が響く。


「はいはい、今開けるよ」


 穏やかな声とともに、養父は扉へと向かった。


 ギィィィ……と音を立てながら彼はドアを開く。

 扉の向こうにいたのは、謎の集団。


 八、九人ほどで構成された集団は皆、同じような白装束を身に纏い、真っ白で不気味なヴェネチアンマスクを身につけていた。


「あの……なんの御用ですかな?」


 彼らは、何も答えない。数秒の沈黙の後、集団の先頭にいた男が口を開けながら、真っ白なマントの内側から短剣を抜いた。


「――っ?」


 何か言う間もなく、刃を養父の喉元に剣の鋒を突きつける。


「“器”を差し出せ、さもなくば殺す」


 白装束の声は無機質で、極めて冷静なものであった。


 突然の出来事に怯えた老夫は、摺り足でじりじりと部屋の中に追い込まれていく。その光景に気づいたフィオナたちは戦慄し、動くことができなかった。


 動けば、殺される。


 誰一人として声を発さない、いや、発せない状況の中で、本能的に全員がそう直感していた。


「もう一度言う。器を差し出せ」


 老夫は、黙っていた。そんなもの、砂粒ほどの心当たりすらない。必死に弁明しようと、彼は再び口を開ける。


「本当に何も知らないんだ、信じてくれ!」

「……そうか、ならば死ね」


 白装束が、静かに剣を振り、彼の喉元を切り裂いた。


 切創から赤黒い血が勢いよく吹き出し、彼は膝を突いて前に倒れ込む。


 どさり、という彼の力尽きた音が、地獄の始まりを告げた。


「あ、あなた……?」


 目の前の光景を理解できない老婦は、既に事切れた夫の死体に駆け寄る。


「ねえ!あなた!あなた!」


 彼女は絶叫しながら死体を左右に揺さぶった。


「どけ、邪魔だ」


 白装束たちは、彼女をあっさりと切り捨てる。

 その刃には、情の一切が込められていなかった。


 次の瞬間、白装束たちが室内になだれ込んでくる。


 どこに潜んでいたのだろうか、ゆうに五十を超える人数の白装束が孤児院に押しかけていた。


 その目的はただ一つ。



「『器』を差し出せ」



 再び一方的に突きつけるその声は、未だ淡々としていた。それはまるで何百回と繰り返した台詞のように、感情のかけらもないように聞こえた。


 ようやく目の前で起こっていることを、フィオナとミラは理解する。


 動かなきゃ、殺される――そう思った時には、すでに体が動いていた。



「逃げて!!」



 フィオナの叫び声が響く。


 ミラはすぐさま、一番近くにいた二人の幼子を両脇に抱え、食堂の奥にある階段へと駆け出す。


 フィオナと子どもたちが、ミラの後をついていくように一斉に走り出した。


 だが、遅すぎた。


 逃げ遅れた子どもたちが、次々と白装束の手にかけられていく。


 血飛沫が舞う。


 子どもたちのまだ小さな内臓が飛び出し、壁や床にこびりつく。


 机がひっくり返され、食器が割れる音が響く。


 机の下に隠れていた一人の子どもが、断末魔をあげながら手足を引きちぎられて死んでいった。


 命からがら二階にある寝室に逃げ延びた二人の少女と子どもたちは、ベッドでバリケードを作って立てこもる。


 暖かかったはずの空気は、すでに冷え切っていた。

 そんな時、白装束たちが階段を駆け上がってくる。


「ちっ、無駄な抵抗しやがって」


 そう言いながら、彼は、フィオナたちが必死に作ったバリケードを、一蹴りでいとも簡単に吹き飛ばした。寝室に入ってきた白装束たちは、再び子どもたちの虐殺を再開する。


「やめて、やめてよぉぉぉ!」


 フィオナの絶叫も虚しく、白装束たちは何の感情も見せずに、子供たちを殺していく。


 それでも、彼女は諦めなかった。


  ミラとともに、わずかに生き残った子供たちを連れて、奥の物置へと走る。


「はやく、はやくっ!」


 泣き叫ぶ子供の手を引き、物置の扉を閉めて、机や棚で再びバリケードを作る。


 息が荒い。心臓が痛いほどに跳ねる。

 だが、それも束の間であった。


 扉の向こうから聞こえたのは三度の衝撃音。重たい扉が揺れるたび、子供たちが恐怖で引きつった声を上げる。


 フィオナは、震える腕でユキを抱き締めた。


 ——せめて、ユキだけは。


 そんな感情が、フィオナの中で渦巻いていく。


 その時だった。


 これまでとは比較にならないほどの轟音と共に、バリケードごと扉が粉砕される。

 

 扉を爆発させたのだろうか、扉があった場所の周辺は黒く焦げ付いており、散乱した木材からは火の手が上がっていた。


「逃げても無駄だ。“器”は、傷付けても死ぬことは無いらしいからな。皆殺しにして、炙り出すだけ……ん?」

「……もう、やめて……おねがい……」


 ユキの声だった。フィオナの腕の中で震えていた彼女は、涙を流しながら立ち上がる。


「もう、みんなをころさ……」


 その言葉が、届くことはなかった。


 一切の躊躇いのない風切音と共に、ユキの体が縦に真っ二つに切断された。

 崩れ落ちる肉体を目の当たりにしたフィオナは、飛び散る彼女の血と内臓を、全身で浴びる。


「……ちっ、またハズレか」


 そう言いながら、目の前に立つ白装束の男はかつてユキだったものをフィオナに向かって、苛立ち気味に蹴り飛ばした。


 べちゃり。 


 吐き気を催し、耳にこびりつくような鈍い音がフィオナの胸の辺りで響く。白く、雪のように美しい肌をしていた。だから、かつてのフィオナは彼女にユキと名付けた。自分の、本当の妹のように接し、可愛がっていた。


 摘んだ花を渡してくるユキ。

 夜遅く、こっそりベッドに潜り込んでくるユキ。

 頭を撫でると、照れながら満面の笑顔でこちらを見てくるユキ。


 走馬灯のように、二人で過ごした思い出が蘇ってくる。


 しかし、その肌は既に足元で真紅に染まり、飛び出てしまった眼球だけが唯一、その純白を保ったまま床に転がっていた。


「…………っ」


 その瞬間、フィオナの胸に押し寄せたのは、無力感と怒りだった。


——どうして、助けられなかったの?

——どうして今、動けないの?

——どうして? なんで?


 何かが壊れる音が、フィオナの胸の奥で響く。


——私が強ければ、こんなことにはならなかった。


 その瞬間、彼女は背中にぞわり、とした感覚を覚える。


————そう、私がこいつらを蹂躙できるような、そんな力が。


 その感覚は、すぐに全身に広がった。


————————皆殺しにしてやる。


 零れ落ちた一滴の涙が血溜まりの上で波紋を作ると同時に、フィオナの周りに謎の黒いドロドロが湧き上がる。



       こ ろ せ



 フィオナは右の掌を突き出し、「それ」に命令を下した。

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