僕は僕という人間が好きだという話
Twitterのほうで、私はもうエッセイを書かぬと言ってから幾ばくか経ちました。
私自身、当時はもう書きとうないと思っていた訳でありますが、しかしふと昨夜思い至りました。
人の影響を受け、自身の行為をやめることが一体どうして許容できるのか、と。
私自身、相当に弱い人間でございます。
ですが、他者によって自身の行為が制限されるのは嫌いなわけです。
なので、再びエッセイを書き始めようと考えました。
さて、ということで前書きは終わりで本題に入ります。
表題の通り「僕は僕がすきだ」という話です。
端的に言えば、ナルシズムです。
私は間違いなくナルシストでしょう。
私の容姿は好きですし、私の性格も良いと思っている。
一個一個挙げるのもできないほど、自分のすべてを愛している。
こういうと、キモイといわれる気がします。
あとはお前みたいなガキは、投稿するなと言われますよ。絶対。
っで、まあそれは置いといて、です。
私はナルシズムを啓蒙したい。
よく世の中には、自分はブスだ、頭が悪いと卑下する人がいます。
それを見る度に思う、世の中下はどこまでもあるし、そもそもうじうじと悩むことがなんてつまらないことだ、と。
なので、お風呂上りとかには鏡を見て、「僕かっこいい、愛してる」とかでもいえばいいと思います。
私は言いませんがね。キモイですし。
まあ、私ほどという人は少ないと思いますが、たぶん案外皆さんもナルシストです。
自分が嫌いだという人間は、ほぼいませんからね。
いたら、この時点でもう生きてません。自殺でもしてるでしょう。たぶん。
なので、生きているうちは自分を愛しましょう。
ご自愛、ご自愛。
こうなると、存外に人生は楽しいものですから。
さて、ここで一つ予想をします。
私を馬鹿だと思った人がいると思います。
認めましょう。
そも、私は私の欠点に気付いているわけです。
でも、自分が嫌いだとか、キモイとか思ってたら、気に病むだけでしょう。
それに、思って発言することは悪くはないと考えます。
どっちも憲法で保障されていますしね。
あと、また中二病だと言われる気がします。
これも認めます。
以前、エッセイの文章に価値はないと言いました。
そして、同時にエッセイは文章から読者が何を考えるかによって、エッセイの価値が生まれるのだろう、と。
こんなのもよく言えば、中二病です。
この考えの根本には、人が個人で思考にすることに価値がある、と考えるものです。
そもそも、人に個人的な思考があるのか、というのもわからないのに、こういうのはやっぱりくだらない空想でした。
しかし、私は間違っているとは思わない。
なぜなら、私は中二病の馬鹿だから!