06:夕食そして疾走
夏の夕方、横断歩道から異世界の夜の森に突然転移!
住所不定無職の自分を助けてくれると話す空腹少女・リュカに少しでもお礼を——と、夕飯はカナデが転移直前、駅前スーパーで購入した惣菜とパンだった。
「このハルサメ、ピリッとしてすっぱくておいしいけど、変わった食べ物ね」
「あ、ごめんね。リュカちゃんには辛かったかも……」
「平気よ。あたし、もうコリューじゃないし」
「コリュー……って、子どものことかしら?」
「っ!!」
リュカがハッと、明らかにマズいという顔をしたので、カナデはヒヤリとする。
もしここでリュカを怒らせて、見捨てられたりしたら——露頭に迷う。
コリューの意味は気になるけれど、追求して機嫌を悪くさせたら大変だ。
カナデは笑顔を作り、すぐに謝罪する。
「ご、ごめんね。子どもあつかいしちゃって。
ぬるくなっているけど、このマンゴー烏龍茶もどうぞ。
私の世界で人気のお茶店とのコラボジュースなの」
「べ、別に。子どもじゃないから、子どもあつかいされても怒ったりしないわ。
あっ、このマンゴーのジュースもおいし〜!」
リュカはカナデが手渡したペットボトルを観察して、興味津々——よかった。
ホッとしたのも束の間、カナデはすぐに自己嫌悪に陥る。
(誰も自分を知らない場所に行ったら、他人の顔色をうかがわずに行動したいって思ったのに)
もう早速、リュカの顔色を気にしてしまっている。
密かにため息をつき、カナデは夜の森に意識を向ける。
まず、涼しい。
真夏の日本にいたのに、異世界エストーリアの森の中は春のような涼しさだ。
さっき、惣菜を袋から出しながらリュカに聞くと今は花月——1年の始まりから4番目の月だという。
腕をさすりながら耳を澄ませると「ひゅーひゅーぴゅるる〜ろーん、ろろ〜ん」
あちこちから聞こえる虫の鳴き声もまったく違うし、風や空気のにおいも日本とは異なる。
「本当に別の世界に来たのね……」
これからどうなるのかしら——?
ぼんやり考えながら、カナデがサンドイッチを完食した、数秒後。
「……カナデ、立って」
リュカの鋭い声がカナデを現実に引き戻す。
ふり向くと青い瞳をつりあげ、リュカが闇の奥をにらみつけている。
「リュカちゃん、どうし……」
「しっ! 必要なものがあるなら、持って」
声をひそめて、リュカはカナデの足元にあるバッグを目でさす。
中には仕事で使うピアノ教本など、カナデにとって大切なものが入っている。
その重みを感じながら、右肩にバッグをかけるとリュカも自前のランプの火をフッと消す。
「……囲まれたわ」
「囲まれた……なにに?」
イヤな予感を覚えながら、カナデが問いかけると。
「「「る、るるぅーー……っ!」」」
闇の奥から奇妙な唸り声をあげ、赤い目を爛々と輝かせた獣たちが姿を現す。
一拍遅れてから「こいつら、魔獣によ」と、リュカがこたえる。
「魔族の魔術によって、凶暴な獣に変えられた動物たちよ」
肯定するように頭らしき魔獣が前に進み出る。
近づいてくる——カナデは一歩後退しながら、リュカの言葉をくり返す。
「まじゅうに、まぞくに、まじゅつ……」
(この世界には魔術という、魔法みたいなものが存在するのね)
また一歩近づいてくる魔獣の姿をカナデはおそるおそる観察する。
体格や大きさは狼にそっくりだけど、頭にはヤギに似た角がある。
殺意を向ける魔獣たちの数は1、2、3……8頭!
突如、目の前に現れた恐怖に全身が小刻みに震えだす。
「は、は、話はあ、あとで、くわしく……!」
「もちろん。だから全力で走るわ、こっちよ!」
魔獣たちの注意をそらすため、食べかけの夕食を魔獣目がけてブン投げて、リュカがかけ出す。
今、たよれるのは地理がある彼女だけ。
カナデもリュカの後を追いかけ、力いっぱい地面を蹴り飛ばす——!
うなり声と地面を爪でかく音。
背後で魔獣たちが一斉に駆け出す気配がする。
自分たちは今、捕食者に追われている。
サバンナに住む動物についての特集番組を見た時、思わず目を背けた光景がカナデの脳裏をよぎる。
(逃げなきゃ、逃げないと! 逃げて逃げて、逃げまくって逃げろ!!)
これまで経験したことがない本能の絶叫が体を突き動かす。
転倒どころか、つまづいただけでも追いつかれ、確実に食い殺される——!
生きるため、命続く限り、カナデはリュカと共に夜の森を疾走する。




