05:そこは異世界、夜の森
なんの前触れもなく、はらり。
前髪の毛先が額を優しくなでた。
「う、うー……ん、ここは?」
カナデは目を開けながら、頭の中で途切れた記憶の糸をたぐりよせる。
(家へ帰る前に買い物をして、奇妙な視線を感じて十字路で立ち止まって、青いガラス玉を拾って……)
それから——と考えた時、視界にひょこっとだれかが飛びこんできた。
「よかった、目が覚めたのね!」
「わっ! あなた、だれ?」
叫びながら、カナデは飛び起きる。
自分の顔をのぞきこんできたのは、あどけなさが残る、10代前半の少女だった。
少女は腰までのばしたパッツン髪をゆらし、強気そうな青い瞳を不満げにつりあげる。
「そんな驚かなくても……失礼ね!
森の中で倒れていたあなたを介抱してあげたのに」
「そうだったの、ごめんなさい。
まずはどうもありが……ええっ、森っ!?」
少女の言葉にギョッとし、カナデはあたりを見回す。
まわりには木、木、木。目の前には草むら。
今、自分がいる場所は少女の言う通り、鬱蒼とした森の中だった。
「どうして? 私、夕方の横断歩道にいたはずなのに……」
仕事帰り、住宅地の十字路から一体、どうやって、夜の森に移動したの?
考えれば考えるほど、頭の中で思考の糸がこんがらがっていく。
「たしか、拾った青いガラス玉が割れて、白い光があふれて……それから」
それから、どうしたんだっけ……?
思い出そうと首を左右にひねっていると、少女の白くて細い指がカナデの胸もとをさす。
「青いガラス玉って、首からさげてるそれのこと?」
「え……えっ、どうして? さっき割れたはずなのに……」
状況が理解できない。
説明を求めるようにカナデは涙目で金髪碧眼の少女を見つめる。
少女は「あなたの事情は知らないわ」と、首を横に振ると。
「あたしはリュカ。東部王国アストリアを目指しているわ。
近道しようと森の中をうろうろしていたら、倒れているあなたを見つけたの。
あなた、名前は? どこの国から来たの?」
「私はカナデ、湯川叶奏よ。国は……日本という島国よ」
とーぶおうこく、アストリアなんて、聞いたことない。
それに小学5、6年生くらいの子が夜の森をひとりでうろうろ……?
カナデが首をひねっていると「なに言ってるの?」
少女・リュカが怪訝な目で布のカバンから一枚の紙を取り出す。
「この世界に島国なんてないわよ。
エストーリアは聖なる海・パンサラーサに浮かぶ、ただ一つの超大陸なんだから」
リュカは広げた紙の地図をランプで照らし、中央に描かれた大きな大陸を指でトントンと指す。
「えぇっ、ないの!?」
驚きの声をあげ、地図を凝視したカナデは奇妙な感覚にとらわれる。
地図に記された文字は英語はおろか、ハングル文字やアラビア文字など、他の言語でもない。
それなのに読める。
(言語が違うのなら、話す言葉だって違うはずなのに今、リュカちゃんとの会話も成立している……)
目や耳で見聞きして、頭で理解する一瞬の間にカナデの母国語である日本語に変換される。
理由は不明。不思議だけど、今はこの不思議に助けられている。
そして、地図の上部には、祝福世界・エストーリア。
巨大な大陸を囲むような海の名前は、聖海・パンサラーサで。
巨大な大陸の名前は、世界と同じ、エストーリア。
「本当だ……エストーリア大陸しかない。
じゃあ、リュカちゃんは地球とかアースとか、日本やジャパンという名前も」
「ええ、聞いたことないわね」
リュカは眉間に小さな皺を作る——怪しまれている。
気まずくなったカナデはもう一度、地図に視線を落とす。
彼女が地図で指さす場所には、東部王国アストリアと記されている。
理由はわからないけれど、それはつまり。
「わ、わたし……別の世界にやってきてしまったのね」
確かに誰も自分を知らない場所に行きたい——旅に出たいって願ったけれど。
いきなり地球外、別世界に飛ばされるなんて、思ってもいなかった。
(……夢でもないみたいだし)
自分の右腕をつねって確認してから、カナデはおそるおそる顔をあげる。
自分より年下の子にこんなことを聞くのはよろしくないけれど。
「わたし、これから一体、どうすればいいの……?」
これでもう住所不定無職の怪しい人確定——めちゃくちゃ警戒されるだろう。
悲鳴をあげて逃げるのか。不審者として警察的な人たちに突き出されるのか。
息をつめ、カナデがリュカの次の反応を待っていると「ちょうどいいわ!」
彼女の強気そうな瞳がキラリと輝く。
「それならだいじょうぶ、なんとかなるわ!」
「えっ? だいじょう、ぶ?」
予想外の反応にカナデは「なにが?」と目を白黒させる。
「アストリアの王都・アストーリアに着いた後は全部あたしに任せて。
きっとうまくいくから。あたしが絶対って保証する!」
「え、えぇ……?」
長い金髪を揺らし、大きくうなずくリュカ。
なにを根拠にした絶対の保証かはわからないけれど、好意的な態度。
カナデが別の世界から来たことも自然に受け入れてくれている。
(ふつうなら怪しむところなのに……でも今はこの流れに乗るしかないわね)
「じゃあお願いするわね。リュカちゃん」
「任せなさい!」
腰に手をあて、リュカが胸をそらした直後、ぐぅう〜〜〜。
リュカの華奢な体から、空腹の叫びが響いた。