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03:帰り道の葛藤

 まぶしい西日と太陽のにおいがする熱風、真夏の夕方はまだまだ暑い。


(しまった……なにも考えずにロッカーにあるものを全部入れてきてる)


 ハノン、ブルグミュラー、ツェルニー、バッハ、ソナチネ、ソナタ曲集。

 ピアノ教本をはじめ、定番の歌曲集や合唱曲の本などなど。

 仕事に関する本が十冊以上も入ったトートバッグがカナデの肩に食いこむ。


 不必要な本を職場に置きにもどろうか、とも一瞬、考えたけれど。

 秋崎先輩たちに鉢合わせたくない——今日は特に。だから。


(重い、暑い……肩痛っ!)


 汗だくになりながら、カナデは帰宅ラッシュの人波に飲みこまれ、駅へと向かう。

 鮨詰め状態の電車を一本見送り、始発電車で無事、端の座席を確保!

 朝、マイボトルに入れて、ぬるくなったお茶を飲んでいると電車が動き始めた。


 西日を反射する駅前の高層ビルやマンション、さえぎられた空。

 車窓から見える景色をぼんやり眺め、考える。

 

 世界は広いようで、せまくて。便利だけど、せわしなくて。

 住みやすそうで、息が詰まって——生きづらい。

 ここ数年、色んなところでよく聞くようになった言葉。


 生きづらいと聞くと、自分もそうなの!

 と、つらいのは自分だけじゃないという不安や孤独感から抜け出せるような、一時の安心感を抱く。

 だけど、色々考えがちなカナデはまたすぐ不安になる。

 好きなことを仕事にして、給料をもらえて、生活も安定している——はず。

 なのに、心は満たされない。

 人と会話をしても相手の顔色をうかがい、返事を考えているうちにおいていかれる。

 自分がそういう風になってしまった原因は、たぶん、きっと。


『相手の気持ちを考えて、行動しなさい』


 厳しい親からそう言われて育ち、気配り上手だけど、相手を優先してしまい、自分の気持ちを口にするのが苦手になってしまったからだ。

 静かでおひとよしな性格——今、カナデの周囲にはそれを理解してくれる人より、利用してこようとする人のほうが多い。


 秋崎先輩たちもそう。メンドくさいことは言葉を上手に使い、丸投げしてくる。

(うらやましいわけじゃない。だけど)

 日々を上手に楽しく生きる人たちがそばにいると勝手に比べて、ひとりで落ちこんでしまう。

 この息苦しい状況から抜け出したいのに、どう抜け出せばいいのか、わからない。


『湯川さんって、すぐ人に話を合わせるの。学生時代の時からそう、自分がないのよ』


 帰り際に聞こえた言葉が突然、脳裏に響く。

 過去に意見を求められた時「どちらでもいいですよ」と、回答したこと数回。

 彼女たちがそう言うのにも根拠がある——本当、図星だ。


(ああもうイヤ! って全部投げ出して、楽になりたい……)


 カナデを気遣ってくれる職場のヌシ・木村さんが定年退職する前にやめて、誰も自分を知らない場所でゼロから……。

 考えかけて、ハッとする。

 音楽講師の仕事をやめたら、まず生活の基盤を失う。

 少子化の影響で年々生徒数も減っている中、音楽の仕事にまた就けるかどうかもわからない。

 他の職種の仕事を探すとしたら……それは音楽をあきらめるということ。

 子どもの時から学んできたことが、無駄になってしまう。

 考えれば、考えるほど不安がわきあがり、みじめな気持ちになる。


「旅に、出たい……」


 全部リセットして、人生をゼロからは難しくても、少しの間でいいから今いる状況から解放されたい。

 湯川叶奏を誰も知らない、いつもと違う環境で思いっきり、自由に行動してみたい。

 ちょっと失敗しても、その土地を離れ、旅が終わったら、それっきり。

 旅の恥はかき捨て——逃げ道があるのは、ズルいかもだけど。

 小さな失敗に長くとらわれることなく「ごめんなさい」と謝ったら、忘れる。

 それくらい潔くなってみたい。


(旅、楽しそう! どこに行こう? なにをしよう?)


 ひとり旅の計画を立てはじめたら、しぼんだ心がまたふくらんでくる。

 わくわくしながら、考えること数分。電車が家の最寄駅に到着した。

 繁華街でもある職場周辺に比べ、家の周りは閑静な住宅街で、蝉の声がよく響く。


 駅を出て、駅前のスーパーで買い物をしてから、家に向かう——と、ちりっ!

 家まで数分の十字路で、首すじにまたあの視線を感じた。


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