02:奇妙な視線
だれかに見られている……?
カナデが奇妙な視線を感じるようになったのは、あの鮮やかな夢を見た日から。
首筋や背中に光線が当たるような、チリッとした感覚。
ふり向いても、その方向には誰もいない——多分。
臆病な性格のため、視線を感じた方向へ確認しにいく勇気もない。
気のせいよね?
いや、気のせいじゃない。
やっぱり、誰かに見られている——絶対!
心の引っかかりは日に日に大きくなり、考える時間も増えていく。
自分の中でどんどんふくらむ不安を吐き出したくて。
「先輩、最近元気ないですけど、どうかしたんですか?」
職場の後輩・鈴木さんにそう聞かれ、うっかり職場で最近感じている不安を話してしまった。
「ええーーっ、地味な湯川先生にストーカーッ⁉︎ だいじょうぶです、ないっ!
橋本先輩くらい美女だったり、秋崎先輩並みのイケメンならともかく〜ゼーッタイありえないです!」
「湯川さんはないな。そいつ、どんだけヒマなんだ?」
スタッフ室にいた後輩も先輩もそろって一笑、即否定されてしまった。
(そ、そんなに笑わなくたって……)
だいじょうぶと言いながら、disってくる鈴木さん。
大きくうなずき、鈴木に同意する秋崎先輩。
そして秋崎先輩のすぐとなり、無言で微笑む橋本さんは同じ音大出身で同期の子。
誰かに話を聞いて欲しくてたまらなくて、不安で冷静さを欠いていたとはいえ、相談してはいけない人たちだった。
彼女たちはいつもキラキラして、毎日が充実しているように見える。
そんな人たちからすれば、自分は超地味な人間に見えるだろう。
(ム、ムカつくけど、笑われてもしょうがないのよね……)
イラッとしてにぎりしめかけた手の力を、カナデはすぐに抜く。
そして。
「で、ですよねー……あは、あはは〜……気にしないことに、します」
笑って話をきりあげる。
一刻も早くこの場を後にしたい——楽譜の整理はあと!
自分のロッカーに入っていたものをすべてトートバックに突っこみ、カナデは立ちあがる。
「じゃあ、お先に失礼します!」
三人の言葉をまったく気にしない風の笑顔を作り、明るくさわやかにスタッフ室を出る。
でも、心の内側は怒りと悔しさの暴風雨が吹き荒れている。
追い討ちをかけるように、背後から鈴木たちの大きめな声が聞こえてくる。
「言い過ぎたかな? 一応、先輩だし心配したほうがよかったかな?」
「いーんじゃね? 笑ってたし、そんな気にしてないだろ。鈴木のほうが気にしすぎ」
「湯川さんって、すぐ人に話を合わせるの。
学生時代の時からそう、自分がないのよ……便利だけど。
そんな人を好きになる人なんて滅多にいないわ。イエスマンがほしいロクでもない人は別だけど」
自分がない——図星だ。
心に突き刺さる、辛辣な会話と無邪気な嘲笑。
痛みをこらえ、すがるようにトートバッグの持ち手をつかむ。
(本当はめちゃくちゃムカつく! 許せない、バカにしないでよ!!)
感情のまま、そう言い返したいけれど、その後が怖い。
絶対にギクシャクするし、無視などイジメに発展するかもしれない。
職場の中心人物である秋崎先輩たちを敵に回したら、この職場で働きづらくなる。
小さいころから音楽が好きで好きで、大好きでたまらなくて。
音楽の良さと楽しさを人に伝えられる、音楽講師の仕事は楽しい。
だから、共に働く人たちが苦手でも、やり甲斐あるこの仕事をやめたくない。
思ったことを口にできなくて、先輩後輩の顔色をうかがって肩身がせまかったとしても。
なにを言われても聞こえなかったふりをして、今日も明日も笑ってやっていくしかない。
自分の気持ちも言い返したい言葉もほぼ毎日、呑みこみつづけながら。
やり場のない怒りと悔しさ。
感情に任せ、スタッフカードをタイムカード端末に勢いよく叩きつけた時。
「さっきの話、聞こえてしまったんだけど……」
と、受付スタッフの女性・木村さんが優しい口調で話しかけてくる。
「不安なら警察に相談しなさいね。つきまといの原因は面識ある人とこじれて……だけじゃないのよ」
勤務歴25年。あと3か月で60歳——定年。
現在の教室のヌシ的存在、木村さんの柔らかな表情と気遣いの言葉が、カナデの傷ついた心に深く沁みた。