15:奏でた音楽が切り拓く居場所
酒場の喧騒に負け、誰も聞いちゃいないピアノ演奏。
どうせウジウジ悩むなら、最後に好きな曲を弾いて後悔しよう。
酒場のステージで、クビ覚悟で幻想即興曲を演奏し終えたカナデは店内の異変に気づく。
あれだけやかましかった店内がしんと静まり返っていて、お客もジゼもスタッフも全員がカナデに注目している。
「あ、あのー……なにか?」
おそるおそるカナデが問いかけると、止まっていた時間が一気に動き出した。
「ねーちゃん、なんだよその曲! 俺、初めて聞いたぞ!」
「それだけうまいってことは、大陸中央の学術都市から来たのか?」
「え、カナデさん、そうだったの?
学術都市の人の演奏ってお金かかるんでしょ?」
大男はジョッキを上機嫌に掲げ、青年は骨つき肉を持ったまま、ジゼは血相を変えて。
ステージ前まで駆け寄り、カナデに問いかける。
「え〜っと……この曲はその、わたしの故郷に伝わる曲で」
「ねーちゃんの故郷、あんた、一体どこの出身だい?」
「それは東のほうにある国で……あっ!」
おろおろ答え、しまった!と思う。
今いる王都・アストーリアは東の国、東部王国アストリアの中心だ。
予想外の反応に混乱しつつ、カナデは言いなおす。
「東のほうにあった、小さな村です。
戦争によって、なくなりましたけど……」
「そうだったねえ……
カナデちゃん、従姉妹とこの街に来た戦災支援制度利用者だったね」
ジゼの一言で自分を見るお客たちの視線が同情的なものに変わる。
本当のことは話せないので、カナデはジゼの言葉に甘える。
「そうなんです。今弾いた曲は大切な思い出の曲の1曲で……」
「ってことは他にもスゲー曲が弾けるってことか?」
「ならもっと聞かせてくれよ」
ステージ前にいるジゼたちだけでなく、食事を再開していた他のお客たちも「おおっ!」と期待のまなざしで再びカナデを見る——アンコールだ。
(ど、どうしよう……)
想定外の反応に心が揺れる。
異世界エストーリアには存在しない曲を弾くことで不審がられないだろうか。
まず不安が脳裏をよぎるけれど、すぐに喜びがそれを打ち消す。
(いいえ、これはチャンス!)
ずっと無視され続けていた自分のピアノ演奏に耳を傾け、もっとすごい曲を聞かせてと求めている。
これまでこんな経験、したことがなかった。
照れくさいけれど、心地よくもあり、胸が高鳴る……!
(求められているのなら、奏でよう)
首からさげる、青いガラス玉を指先でそっとなでながら、カナデは軽く頭をさげる。
「それじゃあ次は庭を元気にかけまわる子犬のような、愛らしい曲を演奏します」
久々に弾きたい名曲たちが頭をよぎるけれど、ここは酒場。
みんなが聞いていて楽しくなれそうな曲を——幻想即興曲と同じ作曲家・ショパンが作った「子犬のワルツ」を選ぶ。
子犬が自分のふわふわなしっぽを無邪気に追いかけてまわるような、愛らしくて軽快な響きから始まる変ニ長調のワルツ。
皆の反応が気になってしまい、カナデは演奏しながら、ちらりとお客たちの様子を見る。
指でテーブルを軽く叩いてワルツにノッてくれる人。自分をじっと見る人。
1・2・3とリズムに合わせ、体を動かす人などなど。
様々な反応があるけれど、どれも好意的でカナデは密かに自信を持つ。
(この反応ならピアノ奏者として、希望亭でまだ働いていけそう!)
人生のほぼ全てを音楽に捧げ、ピアノの練習を重ねてきたから、曲のストックはたくさんある。
さっきまで心に渦巻いていた不安や不満がとけ消えていく。
膨らむ期待が心だけでなく、体をも軽くする。
鍵盤の上で軽やかに踊る指は優しく温かな旋律を奏で続けた。




