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14:勤務3日目、辞表代わりの幻想即興曲


 野菜とハムをたくさん挟んだパンを家で食べて一息ついたら、出勤の時間。

 カナデはブルーな気分で出かける準備をし、リュカに声をかける。


「じゃあリュカ、仕事に行くからお留守番よろしくね」


「ふぁい、ひってらっひゃーい!」


 丸くて小さな編み機——日本でいうリリアンに似た道具で紐を編むリュカが顔をあげ、手を振る。

 白くて艶のある頬はリスのようにふくらんでいて、テーブルには花油あげチップスの袋がある。


(もう、また花油あげ食べてる。お昼を食べて少ししか経ってないのに)


「食べ過ぎはよくないわよ。夕食のパンもちゃんと食べて……

 それと戸じまりもしっかりね」


「竜ひゃから、だいひょ〜ブひょ!」!


 ドロボーが入っても竜に変身して、しっぽビンタで撃退すると思うけれど。

 その光景を想像して小さく笑ったら、ちょっとだけ心が軽くなった。

 これも生活のため——そう言い聞かせて、カナデは玄関を出る。


 本当は地球のように、子どもに音楽を教えて、それで生計が立てられたら理想だけど。

 半年後の戦災支援期間が終わるまでに自力で生活していくための術を見つけなければならない。

 カナデはおとといから王都・アストーリアの大通りぞいに建つ、酒場のステージでピアノ演奏の仕事をしている。

 楽器演奏が得意なら……と、エルマが斡旋してくれた仕事だ。


 活気あふれる大通りをしばらく進むと、ニッコリ笑う太陽がナイフとフォークを持った絵が彫られた木製の看板が見えてくる。

 この看板がかけられた酒場「希望亭」が、異世界エストーリアでの職場だ。

 出勤3日目、仕事上の悩みが生まれた影響もあり、心臓が早鐘を打つ。

 カナデはおそるおそる、店のドアを開ける。


「おはようございまーす……今日もよろしくお願いします」


「ああおはよう、カナデ。今日もよろしく」


 希望亭の看板に彫られた太陽のように、明るく気さくな雰囲気をまとう50代の女性——希望亭の女将・ジゼがハリのある声で出迎えてくれる。

 カナデはしばらくの間、お客がいない店内に視線を泳がせた後、ジゼに視線をもどす。


「て、手伝いますね。開店準備」


「えぇ、いいのかい? エルマくんから演奏者として紹介されたのに」


「い、いいんです。今からピアノを弾いても……ですし」


 不安と緊張であたふたと両手をふり、カナデは開店準備の手伝いを始める。

 薬草の香りがする消毒水を含んだ布でテーブルやイスをふいて掃除を行うが、夜の営業時間——ディナータイムまでまだ時間があったので、調理場の下準備も手伝った。

 ディナータイムが近づき、他の店員たちも出勤してきて、皮むき中のカナデを見て、目を丸くした。

 気づかないふりをして「おはようございます」と、カナデは頭をさげる。


(少しくらい別の仕事もして、役に立たなくちゃ……)


 もうすぐ夜の営業時間が始まる。

 きのうまでの状況を思い出すと緊張で胃がキリキリしてくる。

 なぜなら——!


 ジャジャン、ポロロ〜ン♪


 ディナータイムがはじまって数十分、居酒屋・希望亭のステージの上。

 異世界エストーリアで親しまれている、一日の終わりにぴったりな牧歌的な曲を弾き終えて、カナデが鍵盤から顔をあげると。


「おい、ねーちゃん!

 ピアノの演奏なんかいいから注文聞いてくれや! 腹減ってんだよ!!」


 飛んできたのは拍手でなく、野太いオッサンからの苦情だった。

 別の店員が「ただ今〜っ!」と声を張りあげるけれど、カナデを見る目は冷ややかだ。


(わたしの演奏、今日も誰も聞いてくれていない……っ!)


 リュカとエルマに教えてもらい、異世界エストーリアの人たちが知っている曲を練習してきたけれど、今日もきのうと同じく、反応はほぼゼロ。

 反応があったのは、初日の数十分だけ。

 見慣れない女性が舞台の上で変わったことをしている——と物珍しげに見て、おしまい。


 ステージ上に置かれたピアノ——今、カナデが弾いているピアノは戦前、ジゼと親しかった人から寄贈されたというスクエア型ピアノ。

 グランドピアノやアップライトに比べて小さいサイズで、サイズが小さいということは鍵盤数もピアノの音自体も小さくなる。

 笑い声や怒鳴り声、食器同士がぶつかりあう音。

 店内にあふれる喧騒に完全に負けている。


(求められているのはピアノの演奏でなくて、きっと接客……)


 ため息をつきながら、カナデはステージの上から客席を見回す。

 広い店内にあふれる人、人、人。

 満席に近いけれど、明らかに人手が足りていない。

 きのう、おとといはピアノを演奏し続けたけれど、お客からすれば、自分もこの「希望亭」のスタッフの一人。

 お客からも他のスタッフからも「演奏なんかいいから」と視線の圧を感じる。


「カナデさんはステージでピアノを弾く演奏者として紹介されたから、ずっとピアノを演奏してくれていい」

 そうジゼは言ってくれるけれど、本音はどうなのだろう?


(ピアノを演奏するより接客を手伝うほうがいいのかもしれない)


 だって、誰も聞いていないのだから——無言の圧力に心が折れ始めている。


(そうやってまた、わたしは相手の顔色を気にしてしまう……

 ああもうどこに行っても、そう)


 希望亭での仕事もそうだし、昼前に会ったサーフェスについてもそう。

 自分にとって彼は命の恩人で悪い人だと思えないのに、リュカとニーズに反論できなかった。

 そんな自分にモヤモヤし、不安のハラハラがイライラへと変わっていく。


 旅の恥はかき捨て——異世界では心のままに振る舞おうと決めたのに……!

 異世界でも地球でも、自分はウジウジ悩んでばっかり。

 相手の気持ちを考えず、自分のしたいように行動したら、きっと後悔すると気にしながら。


 だったら——!


「どうせウジウジするなら、同じじゃない……」


 つぶやくと同時に、ささくれ立った心に火がついた。

 後悔してまた悩むなら、思うように行動してみてから後悔しよう。

 それでクビになるのなら、役所でまた別の仕事を探せばいい。


 最後の演奏、少しでも音が届くように。

 カナデはスクエアピアノのフタを開けてからもう一度、鍵盤の上に両手を広げる。

 深く息を吸いこみながら、自分に語りかける。


 最後は自分が弾きたい曲を、思い切って自由に弾こう——!


 息を吐くと同時に両手を鍵盤にふりおろすと、フタが開いたスクエアピアノから力強い低音が飛び出す。


 演奏する曲はショパンのピアノソナタ・幻想即興曲。

 園児の時から大好きで、初めて自分で演奏しきった時の達成感は言葉にできなかった、思い出の曲。

 スクエピアノの66鍵では出せない音——音の制約が出てくるけれど、咄嗟の判断で1オクターブあげたり、さげたりしながら、とにかく弾きつづける。


(この世界の人たちが知らない曲だけど、もういいっ!

 どうせ誰も聞いていないんだから!!)


 右手の指も左手の指もめいっぱい動かして紡ぐ、優雅で熱情的な音色の大波。

 音の大海を自由に泳ぐ魚になった気分でカナデは自覚する——すっごく、楽しい!


 故郷のピアノに比べたら、音も鍵盤のタッチも弱いけれど、異世界に来てから初めて、好きな曲を感情のままに弾いている。

 ここ数日、心に溜まりつづけた不安も不満も、水泡になって溶けていくよう。

 ピアノを弾いているとマイナスの感情が消えて、無心になれる。

 これがわたしの表現方法でストレス発散の方法——だから、音楽が大好き!


 嵐の後、雲の隙間から一筋の光がさしこむような優しい音色を丁寧に奏でてから、カナデはそっと鍵盤から指を離す。


「はぁ〜……すっきりした」


 達成感と共にカナデは目を閉じる。

 これまで学んできた地球の楽曲たちは「この世界の人たちが知らない曲だから」と、封印していたけれど、やっぱり弾いていて、楽しい!


 前向きに晴れ晴れとした心でカナデは立ちあがる。

 この酒場での自分の仕事はこれで終わり!


「誰も聞いていないので、やめまっすっっっ!」


 堂々と言って、明日からまた新しい仕事を探そう。

 客席に目を向けた時「あれ?」


 カナデはそこで初めて店内の静けさに気付くのだった。

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