11:異世界エストーリアの歩き方
窓からさしこむ朝日のまぶしさに目が覚めた。
目を開けたカナデの目に飛びこんできたのは、まだ見慣れない木目の天井。
着心地いい素材の緑色のチュニックに着替えてから、カナデは部屋の窓をそーっと開ける。
花の香りと近所の朝食のにおいを運ぶ風が吹きこみ、部屋を新鮮な空気で満たしていく。
少し遠くから聞こえる、ピチュチュチ。
聞き慣れない鳥のさえずりに耳を傾けつつ、カナデは窓辺に頬杖をつく。
(今日もいい天気……)
仕事帰りの横断歩道から異世界エストーリアに迷いこんでから5日。
リュカの巧みな話術により、カナデとリュカは東部王国・アストリアの王都の一角で戦争によって家族を喪った従姉妹として暮らしている。
(小さい時からあこがれていた、ファンタジーの世界に迷いこむなんて……)
王都アストーリアの街は石畳の道に沿って、木造や石造りの建物が並んでいて。
街の中心にはこの国を治める王族たちが暮らす石造りの巨大な城がそびえ立っている。
カナデの視界いっぱいに広がる景色は中世ヨーロッパ風のファンタジー世界そのもの!
自分は今、旅行ならぬ異世界旅行中——そう実感するたび、わくわくする!
(とはいえ、遊んでばかりもいられないのよね……)
カナデは窓の前から離れ、机の上に開きっぱなしのノートを手に取る。
ノートにはこの数日で学んだ、異世界エストーリアについての知識が記されていた。
異世界・エストーリア。
聖なる海・パンサラーサに囲まれた、巨大大陸だけが存在する世界。
約2000年前に三人の若者が北の果てで創造主より秩序を賜ったことにより、始まったという世界。
この世界は三人の若者——秩序の三賢者の一人、政治や経済の発展に尽力した賢者・カルカッタの子孫が巨大大陸を東西南北、四つの国にわけて、それぞれ治めている。
今、カナデたちがいるのは東部王国・アストリアの王都・アストーリア。
お茶と衣服の生産業が盛んで、四季の変化が明瞭な温帯気候。
日本は8月と真夏だったのに対し、アストリアの季節は春。
窓から吹きこむ穏やかな春風がカナデの髪をふわりと揺らす。
「さてと、朝食を作らないと!」
さてと、ポテト、マスカット。
クラスでバズってるという——教え子直伝のダジャレを心の中でつぶやいて、カナデはもう一台のベッドで寝ているリュカを見る。
(よかった、今日は人のすがたのままね……)
薄い唇からよだれを垂らし、尾てい骨から金色のしっぽを生やして爆睡しているけれど。
本人いわく、まだ子竜のリュカはずっと人間の姿でいることが難しいという。
特に寝ている間は竜——背中に翼を生やした大きなカンガルーのすがたに戻りやすいようで、きのうの朝は竜の長いしっぽでベチンッ! とカナデは顔を叩かれ、飛び起きた。
朝に弱いリュカを起こすのは、朝食の準備を終えてから。
カナデはそっと寝室を出て、台所に向かう。
おととい入手した卵を二つ手に取り、数秒考え込む。
(今日の卵料理は……オムレツの気分だわ)
「よし!」とうなずいて、カナデはボウルに手をのばす。
寝室や台所をはじめ、この家には生活に必要最低限なものがみんな、そろっている。
異世界では住所不定無職のカナデが衣食住に困らない環境に入りこめたのは、リュカの名案のおかげだ。
オムレツ作りを進めながら、カナデは王都アストーリアの城壁門の前でサーフェスと別れた後、リュカと役所に向かった時のことを思い出す。
「役所の人とはあたしが話すから、カナデは最低限のことしか言わなくていいからね!」
リュカにとっての『名案』とは、戦災支援制度の利用だった。
東部王国アストリアは2年半前まで魔族と激しい戦争をくり広げていた。
パウル戦役と呼ばれる戦争で住む家や家族を喪った者たちは少なくなく、終戦後、絶望の淵に立たされた人々に対し、国はすぐ支援を始めた。
それが戦災支援制度。
国が半年分の生活費と住む場所を提供する間に自力で生きる環境を整えていく。
戦争で家や家族を喪ったわけじゃないのに——という葛藤はもちろん、ある。
それでも。
異世界から日本に帰る方法を見つけるまでは、この世界で生きていくしかなく。
「意地悪なジジババのいびりに嫌気がさして、竜の住む里を飛び出してきた」と話す家出少女・リュカも身内に頼らず生きていくためには、戦災支援制度にたよるしかない。
事情は異なってもこの世界で生きていくため、従姉妹になる。
リュカの『名案』にのると覚悟を決めてカナデたちは役所に向かい、半年分の生活費と住む家を確保した。
提供された家は国が管理する平屋で、戦争前は雑貨店だったという。
部屋は3部屋あり、1部屋はダイニングキッチン、もう1部屋は寝室として使い、玄関入ってすぐの元店舗だったという広めの部屋はまだなにもない。
(あの部屋にピアノを置いて、レッスン室にするのが理想だけど、まずはピアノと生徒集めよね)
卵ときのうのうちに切っておいたカット野菜をボウルの中でかき混ぜながら、カナデはリュカと役所に行った時のことを思い出す。




