10:蒼玉の秘密
青いガラス玉をサーフェスに渡した直後、彼がいきなり呪文を唱えはじめた。
ガラス玉に魔術をかけているのかもしれない。
カナデが目を白黒させていると「エス」と、リュカも呪文を口にしはじめる。
「トゥレコロロ」
「えっ、なに?」
「プリキヲウィパロ……ス?」
リュカが眉間にきゅっと皺を寄せる。
カナデこそ、どうしたの? と言いたげな表情。
(二人が口にしているのは呪文じゃなくて……言葉?)
英語ではないと思う。
響きからして、イタリア語など、ヨーロッパの言語に近そう。
音楽大学の選択式の副科でイタリア歌曲を選び、理解を深めるためにイタリア語(初級)を履修したものの、まったく身につかなかったけれど。
今まで普通に会話できていたのに、青いガラス玉をサーフェスに手渡した途端——自分の体から離したら、リュカたちの言葉が急にわからなくなった。
自分と異世界エストーリアを繋いでいるはずの青いガラス玉。
言葉の突然の変化が青いガラス玉を体から離したからならば。
「か、返して……リターン」
右手をさし出し、左手は顔の前で立てて「お願い」のジェスチャー。
サーフェスが「エス」とうなずき、カナデに青いガラス玉を返してくれる。
ガラス玉が手のひらにのった瞬間。
「……ょっと、いきなりヘンな言葉話しだして、どうしたのよ?」
リュカの言葉がまたわかるようになった。
ただのガラス玉では決してない、この青いガラス玉は世界と世界を繋ぐだけでなく、異なる言語の翻訳機にもなっている。
(なくしたら意思疎通ができなくなって、大変なことになる……)
青いガラス玉を胸に押し当て、カナデは二人を見る。
「サーフェスさんに青いガラス玉を渡した瞬間、二人の言葉がわからなくなったの」
「……なるほど。なら肌身離さず持っていろ。それはお前の命綱だ」
「あの、なにかわかりました?」
「今のやりとりから、ただのガラス玉ではないということはわかった。
それ以上のことを調べるには時間が必要だが、これを預かると持ち主と意思疎通ができないとわかった以上、しばらくは借りられそうにない。
とにかく今はアストーリアに向かうぞ……ああ、それと」
今度はカナデの右肩に向け、サーフェスがふたたび手をさし出す。
「その荷物、かなり重いだろう。
アストーリアまで持っていってやるから早く歩け」
「えっ?」
突然の提案にカナデは目を白黒させる。
確かに激重バッグのせいで肩は痛いし、歩くのもつらいけれど。
遠回しに「歩くのが遅い」と言われている気がする。
「重かったの? だったら竜だってバレちゃったし、あたしが持っていくわよ」
リュカがカナデより細い両腕を広げていると、それを見たサーフェスが小さく笑う。
「子竜が俺たちをのせて、飛べれば一番よかったが、子竜だからな」
「そ、そっちこそ!
3年前まで人間たち相手に戦っていたくせに親善大使なんて!」
さし出されたサーフェスの手がピクリと跳ね、表情が凍りつく。
今、リュカはサーフェスの地雷を踏んだ——それも特大サイズの。
ヒリつく空気。不穏な流れを断ち切るため、カナデはトートバッグを急いで肩からおろす。
「こ、ここはやっぱりサーフェスさんにお願いするわ。
早くアストーリアに向かいましょう」
「でも!」
「サーフェスさん、道案内お願いしますね」
リュカの抗議を聞き流して、カナデはサーフェスにトートバッグを預ける。
「ああ。魔獣に追われ、疲労もたまっているだろう。
可能な限り歩きやすい道を選ぼう」
誤解だった。
彼の気遣いに胸の奥がじんわり温かくなる。
「こっちだ、ついて来い」
マントを翻し、サーフェスがまた歩き出す。
頬をふくらませるリュカの背中を優しくたたき、カナデもその後を追う。
サーフェスの半歩後ろを歩きながら、カナデは彼の横顔をそっと観察する。
すらりとのびた背。夜風に揺れる艶のある髪。ゆるやかな曲線の鷲鼻。
じっと前を見すえる赤い瞳。
(この人はきっと、色々なことを知っている……)
魔術のこと、世界のこと、青いガラス玉についても。
色々話をして、聞いてみたい。
会話のきっかけの言葉を必死に探すけれど、口下手なカナデはなかなか見つけられない。
悩んでいるうちに、進む先にぼんやりと大きな城が見えてきた。
進みながら、サーフェスがふり返る。
「あの城壁に囲まれた街が東部王国アストリアの王都・アストーリアだ。
俺が案内できるのは城壁の前までになる。あとはそこの子竜がなんとかするだろう」
(サーフェスさんともう少し話がしたかったんだけど……)
口下手なわたしのバカ——自分の不器用さがイヤになる。
「ええ、魔族にたよらなくても、あたしに名案があるから任せて!」
小さな胸をそらし、リュカが力強くうなずく。
アストーリアに着いた後、たよれるのは彼女しかいない。
気を取り直し、カナデはリュカに視線を移す。
「よろしくね、リュカちゃん」
「まかせなさいっ!」
自信いっぱいのリュカのうなずきに、不安が薄れていく。
徐々に近づいてくる城の尖塔を見つめ、カナデは異世界の道を歩きつづけた。




