01:夢の予感
不思議な夢を見た。
緑広がる大地と青く晴れわたる空。
美しい世界を色とりどりの無数の花びらが舞い、いろどり豊かな翼を広げた鳥たちが空を翔ける。
絵画のように幻想的だけど、写真のように鮮明な夢の世界。
そして、どこからか聞こえてくる音楽。
優しくメロディを紡ぐピアノの演奏。
ピアノの音に寄り添うように響くバイオリンの優雅な音色。
空の彼方まで届きそうな、どこか切ない笛の音。
無邪気にリズムを刻む鈴やタンバリンたち。
たどたどしいけど楽しげなピアニカ、素朴なオカリナの音色、明るい手拍子。
そして、温かな歌声。
みんなの心が一つになっているのが、まっすぐに伝わってくる演奏。
(すてきな演奏……あっちのほうから聞こえるわね)
心地いい演奏をもっと近くで聴きたくなり、カナデは足を一歩、前に踏み出す。
その瞬間、視界が暗闇に包まれ、みぞおちがゾクリとする。
穴に突き落とされたような突然の感覚。反射的に目を閉じる。
やがて——ゴンッ!
「あいたっ……あれ?」
脳天に響く鈍い痛みに目を開けると、そこは自分の部屋で。
目に映るのは高い青空でなく、見慣れた低い天井だった。
「ゆ、夢……」
寝たままベッドから落ちるなんて、いつぶりだろう。
頭頂部をさすりながら、カナデは立ちあがり、枕元のスマホで時間を確認する。
06:45
少し早いけれど、起きてゆっくりしよう。
カーテンを開け、夏の白い朝日を浴びながら、カナデは朝の支度を始める。
今日のヤマササ音楽教室の講師としての仕事はレッスンは午前中に2歳クラスのレッスンが1コマ。
午後に小学生のアンサブルコースが1コマ。それから。
(そうだ、わかばちゃんも今日でレッスン、最後なんだわ)
毎年夏の発表会が終わると数人の教え子が「区切り」として、やめていく。
受験勉強に専念する為の子もいれば、シンプルに「飽きた」という子もいる。
持田わかばという教え子はこれらの理由ではなく、さらに音楽を学ぶ為の前向きな退会。
複数人の教え子をみるグループレッスンでは、どうしても個別指導に限界がある。
(わかばちゃんもピアニストを目指すのかしら……?)
かつて自分もピアニストにあこがれ、志していた時期があった。
井戸の中の蛙——全国にごまんとある音楽教室の中では上手なほう。
けどプロを目指そうと音楽学校に入ったら、容赦ない現実が必ず突きつけられる。
自分よりも上手な子はもっとたくさんいるんだ、と。
蛙である事は高校受験を考える前に知りたかった——よみがえる悔しさと後悔。
カフェオレを飲みながら、学生時代の苦い記憶を思い出し、カナデは少し切なくなる。
(どうかわかばちゃんが、わたしと同じ末路を歩みませんように……)
願いながら家を出る準備を終え、玄関のドアを開ける。
むわっとした熱気と蝉の声。
まっすぐ青く、高い——けれど、近くに建つ高層階の建物たちにさえぎられる夏空。
「夢で見た空とは大ちがいね」
炎天下を歩きながら、ふと気づく。
いつもなら目覚めれば霧散し、忘れるものなのに、今朝見た夢はまだ覚えている。
その鮮明な夢の景色は昼を過ぎても、次の日になっても。
いつまでもカナデ——湯川叶奏の脳裏にとどまりつづけた。
そして、不思議な夢を見た日から。
「私、だれかに見られている?」
カナデは奇妙な視線を感じるようになった。