13 皇帝の脅威
ペルスピコーズ法皇がプルケリマ=レプリカを召喚するのは、カミの加護が地上から消えたためである。
だが、レプリカとは言えカミの系譜に連なる存在と同等の者を、どうしてカミからの援助もなく召喚出来るのか。
いや、援助はあったのだ。数千年も前から、地上には微かだけれどカミの残滓が残っていた。
その残滓こそが、記憶を失う以前のチルクサンダーだとテン・イーは堂々と宣言する。
そしてチルクサンダーは既に聖なる力を失っており、エーデルワイスがミチルの召喚を試みた時には、地上にはカミの残滓すらなかった。大きなリスクを背負って召喚されたミチルには数々のイレギュラーが存在する。
ミチルが召喚後すぐに行方をくらませたのも。
絆を結んだカリシムスが同性だったのも。
カリシムスが多数出現してしまったのも。
「オレの、召喚は……失敗だった?」
とんでもない事実に、ミチルは呆然と立ち尽くす。
テン・イーはその様を見下すように笑って評した。
「フッ、当代レプリカ……セイソン・ミチル。お前はその通り、失敗作だ。だが、それにしてはよくやった。多数のカリシムスを持ちながら、いまだ健在の様子、見事である。普通ならばとっくに魂が砕けているぞ」
「……ッ!」
偉そうにそんな事を言われて、ミチルはテン・イーを睨みつける。
ふざけるな、オレ達がどんな思いで命の危機を乗り越えて、ここに立っていると思う!?
みんな胸が張り裂けるほどの覚悟をしてきたんだ。そんな一言で片付けるな!
ミチルはそう怒鳴ってやりたかった。
だけど、言葉が出ない。「失敗作」と呼ばれた事が、頭に重くのしかかっている。
「ふざけんなよ! だぁれが失敗だってえ!? この陰険ハゲが!」
「シウレンほど愛らしい合法美少年はおらぬのだぞ!!」
「オメー、自分の顔見てから言うんだなァア!」
「私はミチルだからこそ恋に落ちたのだ!」
「ミチル、ぼくの愛! ミチルだから、ぼくの愛!!」
「……」
チルクサンダーを除くイケメン五人は口々に怒りのままテン・イーを罵った。
ミチルはそれで少し心が軽くなる。
それからようやく、黙り続けるチルクサンダーが心配になった。
「スピナ、ワタシのマゴを侮辱する事は許さん」
ミチルとチルクサンダーの沈黙を置いて、事態は刻々と変わる。
言葉が出ないミチルの代わりに、エーデルワイスの鋭い視線がテン・イーを刺した。
だが目の前の老人は、ますます愉快そうに言う。
「ふふふ、嬉しいですなあ。とうに捨てた名で呼んでいただけるのは……」
慇懃無礼な口調にわざと戻してテン・イーは笑っていた。
その後、とても暗い視線でエーデルワイスをねめつける。
「しかし、最初に捨てた名の方は覚えていてもらえなかったようですな……」
「何?」
「……まあ、それはよろしい。今は貴方の方が絶体絶命だ。我が帝国の包囲をどうなさいます?」
再び挑戦的になったテン・イーの言葉に、エーデルワイスは顔色を変えずに聞く。
「その前に、これだけの軍勢をどうやって移動させた? 其方が一人でやったのか?」
すると、テン・イーはどす暗く口端を上げて笑った。
「……そうだと言ったら?」
おそらく世界トップレベルのドヤ顔である。
調子づかせてはならない相手だ。エーデルワイスは勤めて冷静に受け流そうとした。
「あり得ない……とはもはや言えぬ。其方の実力は認めよう」
「おや、驚いていただけないとは少々寂しいですな……」
「先日、チルクサンダーをあのような姿にして見せたのだ。其方にかかれば、数万の兵士を一夜にして移動させるなど容易であろう」
「ふふ。そうですね、まさに朝飯前と言ったところ……」
テン・イーのふざけた物言いに、エーデルワイスはついに顔をしかめる。
呑気に会話で遊んでいる場合ではない。己の背には、世界とマゴの人生がかかっているのだ。
エーデルワイスは厳しい表情で、杖を構える。それは戦闘体制と言って差し支えなかった。
「これ以上の会話は不要。其方にはワタシが直々に引導を渡してやる」
「えぇじいちゃん!?」
この場の全ての責任を持つつもりだ。ミチルには一瞬でそう感じられた。
それが法皇の矜持であると言われたとしても、ミチルにとってはこの世界で唯一の肉親。
引き止めなければならない、何としても。
じいちゃんに死んでなんか欲しくない!
「お一人で戦うおつもりで? 私の後ろには数万の軍隊がいるのですよ?」
挑発してくるテン・イーを真っ直ぐ睨んでエーデルワイスは言う。
「其方を止めれば後は有象無象。後方の軍勢はカリシムス達に牽制させる」
「エッ!?」
急に振られて、イケメン六人は素っ頓狂な声を上げた。
「当代のカリシムスは一騎当千、いや一騎当万の美丈夫である。たかが帝国の兵士などに遅れはとらぬ」
エーデルワイスの言葉に、イケメン達は慌て出す。
「勝手に一人一万を割り振るなぁ!」
「……ふっ、面白い」
「おいおい、いいのか? おれの特大雷魔法が聖堂ごとぶっ壊すぜ」
「やるやらない、ではない。やるのみ……ッ!」
「が、頑張ります……!」
そしてそれまで黙っていたチルクサンダーも、ようやく意を決したように口を開いた。
「……細かい事情を詮索するのは後だ。我が三万はもってやる」
「チルくん……」
ミチルの胸には不安が広がっていく。
だが、同じカリシムスである彼らは頼もしげに笑った。
「よおーっし、そんならおれは五万だぜっ!」
「バカ、そんなにいねえよっ!」
暴れたくてウズウズしているエリオットを、アニーがウキウキで突っ込んだ。
いやいやいや、一対一万とか、どんな怪獣だお前らは。とミチルも心で突っ込むけれど、不安は消えない。
「誤解を招いたようですまないな……」
皇帝シャントリエリが言いながら一歩出る。と、同時にテン・イーは一歩退がった。まるで阿吽の呼吸である。
テン・イーを標的に定めていたエーデルワイスは少し面食らってしまう。
そんな戸惑いを綺麗に無視して、シャントリエリは言った。
「後ろの軍勢は、大将首を取った後の制圧要員だ。直接戦闘を行う訳ではない」
「何……?」
では誰が戦うと言うのだ。
退がってしまったテン・イーではもはやないだろう。エーデルワイスは困惑に眉をひそめる。
「余の忠実な部下であるテン・イーは、大いなる力を振り絞って帝国軍をここまで送ってくれた。此奴の役目はおおかた終わっている」
「へええー! じゃあ誰がヤルってんだ? 皇帝が直々におれ達とバトんのかよ!?」
戦いが起こるとエリオットはいつもこう。大興奮で頬を紅潮させながらシャントリエリを挑発した。
それに乗った……と言うにはあまりにも早合点であるが、シャントリエリは静かに口端を上げて頷いた。
「おいおい、マジかよ……」
息巻いているエリオットの横で、アニーは薄く笑って怯んでいた。
目の前のシャントリエリから「黒い気配」を感じていたからだ。
「テン・イーはすでに疲労の極地。役不足ではあるが、この余がお前達の相手をしよう」
金髪ソフモヒ頭が、チラチラと黒く光る。
「まさか……この気配は」
ジェイはすぐさま一歩前に出て大剣を構えた。
カエルレウムの騎士である彼だからこそ、目の前で起こるであろう変化の兆しを悟る。
「エーデルワイス、ミチルとともに後ろに退がれ」
チルクサンダーもジェイと並び立った。
かつて自分も同じモノであったからこそ、その予感をすでに確信に変えている。
「テン・イーよ! 最後の仕事だ!」
皇帝シャントリエリの命令がその場に響き渡った。
「かしこまりました、我が君……ッ!」
テン・イーは恭しく一礼した後、懐から黒く禍々しい角を取り出す。
それは、かつてラーウスでも使われたチルクサンダー魔教会の秘宝。
チルクサンダーの、奪い取られたもう片方の角。
テン・イーは黒い角に魔力を込めると、シャントリエリめがけて飛ばす。
それはシャントリエリの背中に突き刺さり、そのまま体内へと沈んでいった。
「ク、ウゥ……クク、ククク……」
黒い影に覆われながら、シャントリエリは気丈にも笑い続けていた。
「クハハハ! ハハハハ……ッ!」
常軌を逸した高笑いとともに、人の姿を失っていく皇帝シャントリエリ。
「あ、なに、これ……」
ミチルは目の前で起こった事が信じられずにいた。
今までも何度か見た光景だった。
けれど、今回は確実に全てが違う。
太古の獣が目覚める。
皇帝の誇りとともに、紅い瞳をした黒い巨体が。
青い空を埋め尽くそうとしていた。




