26 蒼く輝く愛が降る
テン・イーの仕組んだ罠と術によって、ベスティアになってしまったチルクサンダー。
その姿はドラゴンのように高潔だが、全てが真っ黒で、瞳の位置さえもうわからない。
ただ、頭部片方の角に走る不思議な模様だけが不気味に赤く光っていた。
「さあ……チルクサンダーよ、ベスティアとしてこの場を蹂躙するのだ」
両手を掲げ、何かの魔力をこめるテン・イーの後ろで、アーテル帝国皇帝シャントリエリは静観を続けていた。
その瞳は刻々と変わる戦況を分析している。だが、エーデルワイスへの怨讐にまみれたテン・イーも、チルクサンダーの危機で手一杯のミチルも今や彼の存在を忘れてしまっていた。
「さあ、狂乱に踊れ、チルクサンダー!」
グオォオオ……
テン・イーの込めた魔力を受けて、影の竜となったチルクサンダーがミチルに敵意を向けるかと思った時。
パシン、とその魔力を遮る力が飛んだ。
杖を高く掲げたエーデルワイスである。
「……其方がどんな力を持っているかはわからぬが」
少年法皇は、影竜の後方で面食らっているテン・イーを真っ直ぐに睨んで毅然と言う。
「カミの子を弱体化させただけで勝機があると思ったか。過信がすぎるぞ、ワタシが其方ごときに遅れをとるはずがない」
「ぐぅ……」
テン・イーは顔を歪めて小さく唸る。
その間に、エーデルワイスは敵の仕込んだ絡繰を正確に披露してみせた。
「其方、チルクサンダーの角にワタシのアルターエゴから抽出した魔力で刻印を施したな。それでチルクサンダーはワタシと繋がることが出来ていた。だから、ワタシの血縁であるミチルとも繋がったのだろう」
「ふっ……」
テン・イーは歪めた顔のまま不敵に笑う。バレるのは想定内だったと言うように。
「チルクサンダーとワタシを繋いでおいて、さらに其方自身とチルクサンダーが繋がる刻印を付けた。つまり、チルクサンダーの角には二種類の接続魔法がかかっていた。それを今、ワタシとの接続を断ち、其方は己の魔力だけを彼に流し込んでベスティア化させた」
「……その通り。しかし、タネがわかったから今更どうだと言うのだ? チルクサンダーはすでにベスティア化しているのだぞ!」
グオオォアァ……!
テン・イーの言葉に応じて苦しそうに咆哮する影竜。その策略は確かに成功しているように見えた。
だがエーデルワイスはそれでもその瞳から希望を失くさない。
「見事だ、よくぞここまでの技術を身につけた。だが、ワタシとて曲がりなりにも法皇である」
エーデルワイスは杖を再度高く掲げ、ミチルに向けて叫ぶ。
「ミチル! チルクサンダーを呼びなさい! お前が真に彼を想うなら、その声を彼の心の奥に届けよ!」
「あ……」
言われてミチルは想う。
会って間もないけれけど、チルクサンダーは確かに「最愛」だ。
その容姿に惹かれる、その笑顔に惹かれる、そしてその心に焦がれる。
なくてはならない、人──
「チルクサンダーぁああ! 帰ってきてよ、チルクサンダーッ!!」
ミチルは彼を想って、ありったけの想いを込めて叫んだ。
その心に、届くと信じて。
「コアァ……」
影竜の動きが止まる。
一瞬だけ、その角に再び青い紋様が浮かび上がった。
法皇ならば、それだけで充分な光だ。
「ハアァ……ッ」
エーデルワイスの杖、天辺の宝珠が輝く。それに呼応して影竜の角に再び二本の文字列がくっきりと走った。
さらに青い文字が、赤い文字よりも強く輝くと、影竜となったチルクサンダーが大人しくなる。
「な、に……?」
テン・イーは少しよろめいて一歩下がった。
そこにエーデルワイスは威厳を込めて言い放つ。
「セイソンとカリシムスの絆は絶対だ。ウィンクルムがなくとも二人の間に絆が構築されていれば──わずかな光さえあれば、法皇のワタシが増幅させよう」
「えぇちゃん! すごいや、えぇちゃん!」
ミチルは思わずはしゃいだが、振り返るエーデルワイスの表情は未だ深刻だった。
「喜ぶのは早い。ミチル、ワタシはこうするだけで手一杯。お前が角を破壊しなさい。あれが彼をベスティアたらしめている元凶だ」
「ええっ!? ど、どうやって……?」
影竜となったチルクサンダーの体高は五メートルほど。ミチルにはそんな遥か上にある角に触れることすら難しい。ラーウスでは、ミチルはベスティア化したルークに触れる事ができた。だからと言ってよじ登るのか。そうしたとして、どうやって角を破壊する?
ミチルは焦って他のイケメン達を振り返る。
彼らもまた、考えあぐねていた。その蒼い武器ならダメージは与えられるかもしれないが、方法論がない。
そもそもカリシムス同士で傷つけ合うなど、ミチルには耐えられないし頼みたくなかった。
「オレが……何とかしなきゃ……」
責任、という感情がミチルの心に重くのしかかる。
彼を「最愛」とした責任を、ミチルは果たさなくてはならない。
「チルクサンダー……」
どうしよう。どうしたらいい。
帰って戻ってと、泣き叫ぶだけでは何にもならない。
確かな力、「奇跡」を起こす力が欲しい。
「ミ、チル……」
不意に、影竜から声が聞こえた。
それは確かに彼の声だ。
「ミチル……」
愛している、とそう呼ばれた気がした。
「チルクサンダー……!」
その愛を、受け止める。
自分の愛も、捧げよう。
蒼き瞳の光をもって。
「聖なる蒼き瞳……」
ミチルの蒼く輝く瞳に、エーデルワイスは思わずそう呟いた。
世界を癒す、蒼い光が天に昇っていく。
大好きだよ、チルクサンダー……
その祈りが天に昇り、光の粒となって降り注いだ。
蒼輝の慈雨となって影竜の体をいたわるように濡らしていく。
「あ、ああ……」
その場の誰もが。邪悪に染まったテン・イーでさえ、蒼い雨の前に立ち尽くす。
「アァ……」
黒い、影の竜が蒼く染まる。
その禍々しい紋様を帯びた角が癒されていく。
次の瞬間、黒い角はパァンと弾けた。
粉々になった黒い欠片は、蒼い雨に流された。
「チルクサンダー!」
蒼い瞳を輝かせたミチルが駆け出す。
竜はその姿を見る見る内に縮ませて、再び「人」の形を取り戻した。
それは、ミチルが「恋した」カリシムスの姿。
「ミチル……」
目を開けて、すぐそばに愛しい顔がある。
チルクサンダーは喜びのままそれに触れた。
「おかえり、チルクサンダー!」
飛び込んできた小さく愛しい存在を、抱きしめる。
ああ、これが、最愛なのだ。
チルクサンダーはようやくそう思い至った。
その耳元に、イヤリングが新たに嵌められている。
蒼い、蒼い輝きを放っていた。
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