25 祖の竜
弱体化させたチルクサンダーを追ってきたテン・イーとアーテル帝国皇帝。
好機、とテン・イーがそう言ったのは今この瞬間のためだった。
「ガ……ア、ぁあ……ッ」
チルクサンダーの肌も何もかもが黒に染まり始める。
瞳は濁って、身体中からは黒い霧が噴き出していた。
「チルクサンダー! しっかりしてよ、カミサマの眷属なんでしょ!?」
ミチルの声は、すでに彼には届いていなかった。
彼が普段から蔑むヒトに、卑怯な罠をかけられて弱体化してしまったからか。チルクサンダーは己の意志すらも、もう失っているように見えた。
「おい、お前ら、そいつから離れろ! クソチビ法皇もだ!」
気を抜くとチルクサンダーの元へ走り出してしまうミチルを抑えながら、エリオットはあらん限りの声で叫んだ。イケメン三人と一匹は、兎にも角にもミチルの元へと一斉に戻る。
エーデルワイスはその場を動かず、テン・イーによって何かに変えられようとしているチルクサンダーを観察していた。
「魔法刻印……それも二種類……ッ」
見上げた視線はチルクサンダーの一つだけの角に注がれていた。
真っ黒な角に、不気味に光る文字の羅列。それが、チルクサンダーを支配しようとしている根源だった。
エーデルワイスから見ると、文字列は二本あり、それが螺旋のように絡まって角に走る。
二本のうち一本の文字列だけが急速に力を失っているようで、その光が消えようとしていた。
「チルクサンダーァア!」
「ミチル、よせ!」
エリオットの制止を聞かずに喚くミチル。けれどチルクサンダーには届かない。
先ほどまでミチルに心底惚れ込み、それが全てのような精神状態だったのに。消えかけている文字列と何か関係があるのだろうかと、エーデルワイスは目を凝らしてその解読を試みた。
「そうか……それでワタシやミチルに干渉していたのか」
エーデルワイスの呟きはその場の誰にも聞こえなかった。場は、チルクサンダーがその姿を異形に変えつつあることでさらに騒然となっていた。
「あぁ……ワタシ達との繋がりが消える」
少年法皇の嘆きとともに、魔法刻印の一つが消え、もう一つの文字列がチルクサンダーの角をぐるぐると覆う。その文字が、テン・イーのこめた力を受けて一際輝いた後、チルクサンダーの姿を完全に変えた。
「あ、ああ……」
背の高い影が尚も伸びていく。
人の形を捨て、より高次元の姿を取り戻していく。
クオォォォ……ッ!
高潔な雄叫びを上げたチルクサンダーは、竜に成っていた。
その体高は、決して大きくはない。せいぜいが数メートル。ラーウスに出現したベスティンクスの方が何倍も大きい。
だが、その威厳というか発する圧力は比べものにならない。
出現した影の竜を目の当たりにした一同は、その姿を見上げながら圧倒されていた。
まるで、カミが降臨したような威圧感だった。
片角の影竜が降臨したのだ。
「チルク、サンダー……?」
ミチルはその光景が信じられなかった。それから、ラーウスでの衝撃がまた蘇る。
また、悲劇が起きてしまった。
大切な人を、またベスティアにしてしまった。
「あ、ああ……ッ!」
涙が後から溢れ出て、前が見えない。力が入らない。
ミチルはショックに打ちひしがれる。
「あああ──っ!」
思わず目を覆い俯いたミチルに、イジワルな、けれど明るい声が響いた。
「目を逸らすな、ミチル!」
「あ、う……」
エリオットの声に、ミチルは覆った手を下ろす。
涙で視界がぼやけている。勇気を持って瞬きし、目を凝らした。
「いいか、これは通過儀礼だ! だいぶヤベエ奴だけど、お前はこれを乗り越えなくちゃなんねえ!」
目の前の竜に目立った素振りはまだ見られなかった。
だが、テン・イーが次に何をしてくるかわからない。ミチルには時間がない。
エリオットは声を張って、後ろからミチルの両肩を掴んで叫んだ。
「お前はアイツに運命を感じたんだろう!? だったらアイツを何とかするのはお前じゃないとダメだ! やってみせろよ、おれと父上を呪縛から解いてくれた時みたいに!」
片角の影竜が咆哮する。
その風圧で、ペルスピコーズ大聖堂の塔のひとつにヒビが入る。
コオォォォ……
その息遣いは、苦しんでいるようにミチルには見えた。
「チルクサンダー……」
戻してあげたい。
戻って欲しい。
少し傲慢で、限りなく優しいあの笑顔に、また会いたい。
「ミチル」
右手が温かい。ジェイがそっと握ってくれた。
「私の父の形見を取り戻してくれたのは君だ」
「ジェイ……」
「君なら、何度でも奇跡は起きる」
ぽんこつナイトは、頼もしく笑った。
「ミチルっ」
左手が温かい。アニーがぎゅっと握ってくれた。
「俺はミチルにどこまでもついていくよ」
「アニー……」
「君が、俺のホコリを取り戻してくれたあの日からね」
ホストアサシンの笑顔は、安心をくれる。
「シウレンよ……」
ふわっと頭上に温もりが舞い降りた。ジンの手だった。
「お前は儂に新たな世界を示してくれた」
「せんせえ……」
「恐れるな、儂はここにいる」
毒舌師範の言葉は、勇気をくれる。
「ミチル……」
蒼い犬は、背の高い姿に戻っていた。ルークは真っ直ぐに目を合わせる。
「ぼく、ミチルのこと想う、それだけで力が出ます」
「ルーク……」
「ミチルの声、どこでも通る。暗い闇の底でも、君は光るから」
優しいワンワンは親愛をこめて、跪いた。
さあ、ミチル。
チルクサンダーを取り戻そう。
君が望むなら、それが運命だ。
「うん!」
ミチルは顔を上げて一歩踏み出した。
「ミチル……」
不安そうに立つエーデルワイスに、ミチルは力強く頷く。
「えぇちゃん、見てて。チルクサンダーは、オレが必ず取り戻す」
見上げた先に、絶望の黒が覆っても。
その中には絶対に光があるはずだから。
「……泣かせますなぁ」
ミチル達のやり取りを、テン・イーは余裕を孕んだ笑みでもって眺めていた。
「健気なこと……ぉ」
そして愉快さに口端が裂けると、両手を翻して何かの力を込める。
ク、コ、ゴオォオオオッ!!
影の竜がいっそう轟音を上げる。
片方だけの角がますます黒く、そこに浮かぶ文字列が赤みを帯びて光り始めた。
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