13 最愛に還るため
冷たい床の上でチルクサンダーは目覚めた。
それまで黒一色だった彼の世界は、急に総天然色へと変わっている。
「ここは……どこだ?」
身を起こして周りを見回す。
色彩豊かな窓から光が差し込んでいた。それでここが室内だとわかる。
「なんだ……?」
足元は純白の石床。窓から差し込む光を映して鮮やかに煌めく。
目の前には大きな祭壇のようなもの。チルクサンダーにはそこに置かれた台や像の正体はわからない。
ただ、それは「祈りを受け入れる」物である。その事が雰囲気で感じ取れた。
全体が白で統一されているような祭壇の、一番高い台座。そこだけが穴を開けたように黒い。
その黒に、チルクサンダーの身体がざわつく。
「アレは……ッ」
かつて自分が失った、体の一部。
右の角であると、チルクサンダーは確信した。
「お前も出ていたのか……」
後ろから、不意に人の気配。
それが誰かはチルクサンダーにはすぐわかった。
「テン・イー……ッ!」
振り返って、その姿を睨む。
だがテン・イーは捻くれた笑みを浮かべて、少しばかりの動揺とともにこちらに近づいた。
「あの土壇場で、まさかそんな余裕があったとはな……」
「は?」
チルクサンダーにはテン・イーの言う意味がわからない。
「つくづく優秀なプルケリマ=レプリカだ……」
だが、続くその言葉でチルクサンダーは全てを悟った。
「ミチルはどこだッ!!」
その身がテン・イーに攫われたことはわかる。
あの瞬間、ミチルはチルクサンダーに手を伸ばしていた。チルクサンダーもまた同じ。
微かに指先が触れたのは、気のせいではなかった。ミチルが転移術で異空間から出してくれたのだ。
だが、ここにミチルはいない。
目の前の忌まわしき者が攫ったに違いない。
チルクサンダーは立ち上がって、怒りとともに気迫をテン・イーにぶつけた。
「ミチルを何処にやった!」
黒い髪の毛を総立てて、燃えるオーラを纏うチルクサンダー。
だが、怒りを向けられた男はカミをも恐れぬ外道である。
テン・イーは眉ひとつ動かさずに、口端だけ歪めて告げた。
「プルケリマ=レプリカは、陛下の御前にお届けした」
「な、に……」
「我が君は、あの者がラーウスの地に降り立ってからいたくご執心でな。今頃は募る本懐を遂げられているだろう……」
テン・イーの下卑た笑いとともに、チルクサンダーの脳裏にはミチルの危機が駆け巡った。
「ふざけるなァ! ミチルは、我の伴侶ぞ!」
チルクサンダーの黒いオーラがいっそう激しく波打った。
だが、テン・イーは愉快そうに喉を鳴らして笑うだけ。
「くくく……心配するな。プルケリマ=レプリカは今日よりアーテル帝国の皇妃として我が君から最上の寵愛をお受けになる……」
「させるかァア!!」
怒りに任せて放ったチルクサンダーの衝撃波は、テン・イーに届く前に霧散した。
「ナニ……ッ!?」
「ふふふ……チルクサンダーよ、引き籠りの哀れなカミ。お前は私の前では無力……」
「何故だ……!?」
先ほども、チルクサンダーはテン・イーに軽々と押さえつけられた。
こんな矮小な坊主にあり得る力ではない。心底不可解、かつ不快だった。
「キサマ、何者だ……ッ」
その問いには答えずに、テン・イーは祭壇を見やって悠々と逆に問う。
「チルクサンダーよ、お前が日々取り寄せていた食物は何処から来たと思う……?」
「それは……」
そこで初めてチルクサンダーは己の無知を呪う。
どうして深く考えなかったのかと、後悔が込み上げる。
異空間から出ることを諦めて、怠惰に過ごしていた。
あれは、取り寄せていたのではない。与えられていたことにどうして気づかなかった!
「お前は、私の祭壇に供えられたチョコレートを食べてきたのだ。私が丁寧に、心をこめた呪とともに、な……」
色とりどりの包み紙を纏った黒くて甘いモノ。
それはチルクサンダーの体を徐々に蝕み、弱体化させる呪いが込められていた。
「腐れ、外道が……ッ!」
「ふふふ、カミよ、口がお悪いぞ……」
チルクサンダーは、怒りのままに何度も衝撃波を放つけれども、その全てがテン・イーには届かない。
やがて疲れてとうとう膝を折ってしまった。
その姿を遥か高みから見下ろして、矮小な坊主は宣言した。
「チルクサンダー、我が敬愛するカミの子よ。いま一度、その御座に戻るがいい」
「──断るッ!!」
チルクサンダーは怒号とともに、己を奮い立たせた。
己のためではない。己が愛のため。
愛する者を想って、チルクサンダーは再び立ち上がる。
「我の向かうべき場所はただひとつ!」
ミチル。
ミチル、今行く。
「我がプルケリマの御身の元であるッ!」
だが、その涙ぐましくも哀れな姿に、テン・イーはただひたすら笑うのだった。
「……行かせぬよ」
◆ ◆ ◆
「ん……」
ミチルは再び薄闇の中で目が覚める。
甘い匂いが立ち込め、ふわふわと体が覚束ない。
ふわり、と前髪を梳く指先。
誰……?
意識がぼんやりしたまま、ミチルは誰かが側にいるのを感じていた。
ジェイ
アニー
エリオット
ジン
ルーク
違う。
「……チルクサンダー?」
その呟きに答えたのは、冷たい声だった。
「会いたかったぞ、プルケリマ……」
「──誰!?」
見たこともない男が、ミチルに手を伸ばしていた。
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