36 陰る愛
「う、う……ぐっ」
苦悶の表情でその場に蹲るルーク。ミチルはすぐさま駆け寄ろうとした。
だが、それをジェイの腕が阻む。
「待て。ミチル」
「ジェイ……」
ジェイもまたミチル同様、ルークの気配の変化に気づいていた。
ミチルはそれが信じられなかったからこそルークに近寄ろうとしたのだが、ジェイは冷静に見定めたうえでミチルを止めた。
今のルークにミチルを近づけてはならないと確信していたのだ。
「ふっ、やはり御次男殿に『首輪』をつけておいて正解でしたな」
司教パオンはほくそ笑みながらそう言った。
その言葉に真っ先に反応したのは父親のマグノリアだった。
「何だと? どういう意味だ」
ルークの異変に青ざめながらも睨む父親の姿に、パオンは冷たく笑って答える。
「我々はルーク殿の身に起きたことを全て承知しています。その首輪を通じてね。だから、近々起きるであろう反乱にも備えられた」
「な……んだと?」
それを聞いたルードも顔を歪ませた。
そしてミチルも思い出す。ミチルがここに転移して、ルークに迫られていた時、実にタイミングよく神官が現れた。
ルークの動向を逐一チョーカーから盗聴していたなら納得がいく。
なんてこった。という事は、だ。
ルークに囁かれた愛の言葉はもちろん、ルークがミチルに向けた××で×××な行動も。毎朝営まれてしまった××な行為も。
あまつさえ、イケメン五人がミチルに対して行った極大らぶらぶ×××も、全て筒抜けで。
いやらしい坊主達は、聞きながらその痴態を妄想し、「おおう……♡」とか悶えていたかもしれないっ!!
「変態! 変態の所業ッ!」
ミチルは思わず真っ赤になって叫んでしまった。
それにパオンはニタァと笑いかける。
「良いのです。セイソン様はカリシムスと♡な行為をいたすことこそがお役目。むしろあの程度では物足りない……」
「ギャアアア!」
「もっと激しく♡♡♡なさい。でなければ世界は救われないのですから……」
「やめてえ! 許してぇ!!」
ミチルの耳は恥辱でイカれかけてしまった。なんか重要なことを言われたが右から左へスルーする。
「アアア……ッ!」
「ルーク!?」
そんなエロ談義をしている場合ではなかった。ルークは更に苦しんでいる。首元のチョーカーは不気味な明滅を繰り返した。
「おのれ、何が御守りだ! お前達が、お前達こそがルークを呪っていたんだろう! 邪教徒めェ!!」
息子の苦しむ姿を見て、マグノリアはパオンにそう叫んだ。
だがパオンは一切の動揺も見せず、クックと喉を鳴らして笑う。
「区長殿、気づいているならもっと早く行動しなければ。礼拝を拒むだけの貴方の消極的な抵抗が時間の無駄でしたな」
「ぐ、ぐぬぬ……」
全部盗聴していたなら、仮にマグノリアが一人で魔教会にかちこもうとしても成功しない。
それなのに今のルークの苦しみはまるで父親のせいのような言い方をする。
こちらを動揺させたいんだろう、そしてそれは残念ながら成功している。
「私が、私がもっと……ルーク! ああ、ルークッ!」
「親父様、自分を責めるな! 奴らの罠だ!」
ルードがそう諌めても、マグノリアは後悔に膝を落としてしまった。
それを見てミチルは怒りで狂いそうになるけれど、ジェイやアニーにしっかりと押さえられてしまってルークの側に行けなかった。
「ルーク……ッ」
なんとか助けたいのに、ルークが遠い。
「残念でしたな、区長殿。御次男はチルクサンダー魔教会がもらい受ける……!」
「──!?」
パオン司教がそう言って手をかざすと、ルークの体が一瞬脈打って、それから黒い霧となり勢いよくバッと散った。
「ルーク!!」
ルークが消えた。ミチルの目の前で。
優しい笑顔が、温かい指先が、消えてしまった。
「ルークゥウウウッ!!」
ミチルは絶叫しながらも、あの音を聞いた。
微かに、けれど確かに聞こえる、あの音。
ぼんぼろぼーん
「あ……」
ぼんぼろぼーん
「あああ……」
それは、影の魔物が現れる予兆。
「ルーク……? ウソでしょ……」
かつて彼がいた場所に漂う黒い霧。
それは次第に雲のように濃くなっていった。
さらに集まって、その黒い姿を形取る。
「これ、ウツギの時の……」
エリオットはその光景にかつての経験を思い出した。
「あの小僧が吐き出した靄に似ている……」
ジンもかつて見たものと同じだと悟る。
「おい、待てよ、マジかよ」
初めて見たアニーは声が震えていた。
「人が、本当にベスティアに……なる……?」
ジェイも己が目で見るまでは信じたくなかった事実。
「ルーク……」
ミチルの目から涙が頬を伝う。
もう、あの優しい笑顔は戻らないの……?
『ミチル』
その声でもう一度呼んで欲しい。
『ミチル、愛しています』
その唇でもう一度囁いてよ。
「ルークゥ! イヤだよ、ルークッ!!」
ミチルの叫びは、目の前の黒い獣には届かない。
ゆらゆらと朧げに。
黒い陽炎のように。
その瞳は何も映さない、漆黒の闇。
狼のような体からも、拍動が感じられない、完全な無。
首にかかった金色の首輪だけがやけにリアルに光る。
皮肉だけれど、その首輪が、それを「ルークの成れの果て」だと物語っていた。
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