38. 立ち上がって見えた景色
月曜日、俺は文芸部に入部してから最も文芸部らしい時間を過ごしていた。
「つまりこのシーンの描写が主人公の心情を示しているんですよ」
「なるほどなあ。財津はほんとよく読み込んでるよな」
ついに財津念願の本の感想について語り合う会を開催しているわけだが、本の奥深さや財津の気づきに唸らされるだけの時間と化していた。
「ごめんな、俺なんかじゃ話し相手に物足りないだろ?」
「そんなことないです! 先輩の観点って私にはないものだから聞いてて楽しいですよ」
実際、俺も財津から色々教えてもらうのは楽しかったし、この程度しか読み解けていないのかと思うとちょっと悔しかった。
「あっ、そろそろ委員会の時間だ」
「えっ! もうそんな時間……私ばっかり喋っちゃってすみません。でも、すごく楽しかったです」
「なら良かった。じゃあさ、また別の本でも同じように感想言い合おうよ」
「いいんですか?」
「もちろん。だから今度は財津の好きな本教えてくれない? 財津のこともっと知りたいし」
「へっ? あっ! はい! もちろんです! ありがとうございます! 楽しみにしてます!」
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部室を出たところでは椎菜先輩が待ち構えていた。
「こんなところでどうしたんですか?」
「あんまり君たちが盛り上がってたもんだから入りにくくて……ていうか、健二くんは先輩と後輩なら先輩派だと思ってたんだけど?」
「いや、別にどっち派とかないですし」
「だったらいいけどさ。千尋ちゃんと違って私とはあとたった1年しか一緒に居られないんだから。そこのところちゃんと理解して学生生活を送りなさいよ!」
先輩のツインテールが揺れる。
案外この先輩、根は寂しがりだったようだ。
「心配しなくても、椎菜先輩とは高校を卒業してからも関わる気満々ですから。1年どころか何十年でも関わらせてもらいますよ」
だって俺が信頼している数少ない存在なのだから。頼まれたってこのつながりを手放しはしない。
「なっ!? 君って意外とそういうこと言うよね。まあいいや。だったらせいぜい私を楽しませてよね」
椎菜先輩は俺の背中を力強く叩いた。
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御手洗と並んで座り、図書委員の仕事をこなす。
今日の図書室はいつになく賑やかだった。
それは図書室の最奥に座る古庄たちの声のせいだ。
甲斐に勉強を教えてもらっているらしいが、リアクションがいちいち大袈裟で声も抑えられていない。
「注意してこようか?」
俺が尋ねると御手洗は驚いていた。
「君がわざわざ厄介ごとを引き受けるなんて珍しいね」
どうやら先週の一件以来、御手洗の中で俺はある程度なんでも言っていい存在になったらしい。
「いや、まあうるさいのは事実だし」
「それは赤嶺くん自身の判断に任せるよ。俺は俺で注意したほうがいいと思ったら勝手に注意してくるから」
言われて気づく。確かに、俺はなんで御手洗に判断を仰いだのだろうか。
「じゃあ注意せずにいるよ」
「なんで?」
「今図書室には古庄たちしかいないし、うるさいけど勉強しているっぽいから、他のお客さんが来るまでは目を瞑っておいてやることにした」
「俺も同じように考えてたよ。まあそれを言うなら耳を塞いでおいてやるって方が場面に合ってるかもしれないけどね」
御手洗がウインクしてくる。こいつも意外とお茶目なところがあるらしい。
「なあ。御手洗くんはそれ、何読んでるの?」
「これは推理もののシリーズだよ。この作者さんの作品が好きなんだ」
「そっか。面白い?」
「好きで読むくらいだからかなり面白いよ」
「それもそうだな……今度読んでみるわ。一巻のタイトル教えてもらえる?」
「いいよ……赤嶺くん、なんか変わったね」
「前よりは随分マシだろ?」
「そうだね。かなり」
お茶目を通り越してただ失礼なだけなのかもしれない。
その判断はもう少しこいつを知ってからでも遅くはないだろう。
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例の如く適当な理由をつけて御手洗には先に帰ってもらった。
俺は先程まで賑やかな勉強会が開かれていた、図書館の最奥へ向かう。
そこにはあの日と変わらず甲斐が待っていた。
「ここで会うのは随分久しぶりな気がするな」
「そうだね」
俺は相変わらず1席分間を空けて甲斐の隣の隣へ座る。
「わざわざこんなところで何かまた相談?」
「相談というか、答え合わせというか、別解を持ってきたというか……とにかくここで話したいことがあったんだ。前にここで友達の定義について話したの憶えてる?」
「俺が利害の一致している関係だって言って、甲斐さんはいつも一緒にいたい関係だって言ったやつだよね?」
あの当時でさえ、俺の答えは破綻していて甲斐との関係をうまく形容できずにいた。
「そうそう。それでね、ここ最近、赤嶺くんと話さないようになってからずっと思ってたことがあるんだ。私は何か嬉しいことがあったら赤嶺くんに報告したいなって思ってたし、悩みができたらまた赤嶺くんに相談したいなって考えてた。それは話のできる相手が赤嶺くんしかいないからじゃなくて、誰も選ばないを選べる上で赤嶺くんを選びたかったの。だから、友達って何かあっても、それでも切れない関係なのかなって……」
「なるほど、それで別解ね」
「なんていうか、今の言葉もいざ形にするとちょっと違和感があるというか。これが正解だって自信を持って言えるわけじゃないんだけど、それでもその……」
「利害の一致している関係に比べればよっぽど素敵で的を射た答えな気がするよ。
本当にそう思っている。
あの時の答えを全て否定したいわけじゃないけど、今なら俺ももっとしっくりくる答えを見つけられそうだった。
「えっと、ありがとう。それでその、つまり、本当に伝えたかったのは……私は赤嶺くんのことを友達だって思ってるってこと」
甲斐はいつだったかのように顔を赤くしながら友情を告白してくれた。
それは今の俺にとっても恥ずかしく、それでいてとても嬉しい言葉だ。
「あまり宣言して友達を始める人はいないと思うけど?」
素直に返事ができず、つい茶化してしまう。
「そうだけど、こうでもしないと赤嶺くんははぐらかしそうじゃん」
それは甲斐の言う通りだ。甲斐は俺のことをよく知ってらっしゃる。
「うん。ふざけてごめん。俺も、その……甲斐さんのことは友達だと思ってるよ」
「ありがとう。ふふっ」
「なんで笑ってるの?」
「赤嶺くんの言う通り、友達になりましょうなんて言って友達になるのってなんだかおかしくて」
なんて言ったって俺はただの1人も友達がいないわけで、だから自然な友達の作り方なんて知らない。
「おかしくっても、俺にとっては甲斐さんが初めての友達だよ」
「初めて……そっか。私も赤嶺くんのことを1番の友達だと思ってるよ」
お互いのことを友達と呼び合うのはこそばゆい。
俺たちは互いに恥ずかしさから赤面してしまう。
「えっと、今日伝えたかったのはそれだけ。時間とってくれてありがとう」
「こちらこそ。じゃあ俺は戸締りとかして帰るから、先に帰ってていいよ」
このまま甲斐と一緒に学校を出るのは多分心臓が耐えられない。
「わかった。じゃあまた明日ね、健二くん」
逃げるように図書室を出て行った少女はとんでもない爆弾を俺に落としていった。
1人になって、薄暗い図書室の隅っこを見渡す。
たった1人"エセ文学少年"の椅子にしがみついていた時はここが暗く息苦しくて仕方なかった。
その椅子を蹴り倒してた今、俺はこれから自分がクラスでどんな存在になってどう言う関係が築けるのか、何の答えも持たず当てもなく彷徨うことになるだろう。
安定は何1つ無い不安で未確定なものだらけの状況なのに今は僅かな光明が見えるし、そんなに息苦しくない。
俺は出会ったばかりの自分と世界をもっと知るために、自分の体温と同化した椅子から立ち上がった。




