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37. 椅子を捨てた世界の居場所

 カーテンの隙間(すきま)から朝日が差し込む。

「……朝か」

 学校に行くのが嫌で寝付けずにいたら、いつの間にか()(のぼ)っていた。

 (まぶ)しくて締め直そうとカーテンを手に取ると自然と甲斐(かい)との約束が浮かんできた。今日は絶対、学校に行かなくちゃいけない。

 俺は逆にカーテンを開け放つ。

 太陽が目にしみた。


 いつもより早く目が()めた分たっぷり時間をかけて準備をして、いつも通りの時間に登校する。

 教室に入る時、何人かから見られた気がしたが誰も何も言ってこなかった。

 それが()れ物に触るような反応に見えて逆に気持ち悪い。いや、だったらいじられたりからかわれたりしたかったかと言われればそういうわけでは(けっ)してない。

 結局、どんな反応をされようが俺は不安でしかないのだ。


 甲斐はまだ学校に来ていなかった。

 俺は自分の席に座る。昨日、立ち上がった拍子に倒した椅子は誰かが元に戻してくれていた。

 置きっぱなしにしていた鞄からいつもの本を取り出して読む。

 これじゃあ本当に何もなかったみたいで、散々気にしていた俺が馬鹿みたいだ。


「ちょっと!」

 顔を上げると目の前には古庄(こしょう)がいた。

 誰かに何かを言われるとすれば、それは確かに彼女だろう。

 気軽に挨拶をする気にはなれないが、昨日のことに触れるのも乗り気しない。


「昨日のことなんだけど、聞いてる?」

「ん、ああ」

「その……昨日はありがと!」

 吐き捨てるような投げやりな感謝の言葉。てっきり嫌味の1つでも言われると思っていたので、俺は何のお礼かよくわからなかった。

「あんたが言ってくれたおかげで、真希奈(まきな)の考えてたことがわかった。私は私で悪い部分もあったし、それを知るきっかけになった。だからありがとう。言っとくけど、あんたに迷惑かけたとは今でも思ってないから、謝ったりなんかはしないからね!」

 謝罪は最初から期待していなかったし求めてもいなかった。


 でも、予想外のお礼は昨日の俺の行動が肯定されたようですごく嬉しかった。

「いや、うん。俺の方こそありがとう」

 甲斐が言った通り、やっぱり古庄はいい奴なのかもしれない。


「はあ? なんでお礼言うわけ? 意味わかんないし気持ち悪いんだけど」

 古庄は捨て台詞を残して自分の席に戻っていいった。

 前言撤回、やっぱりこいつは嫌な奴だ。


 その直後、甲斐はいつも通りの時間にやってきた。

 いつも通り古庄たちに挨拶をしながら自分の席にやってくる。

 そして……

赤嶺(あかみね)くん、おはよう」

 俺にも挨拶をしてきた。


 これも甲斐なりの気遣いなのだろう。

 昨日ひと騒動起こした手前、今まで通り誰とも関わらないなんてできない。

 それに甲斐が俺のことをフォローしてくれたんだとすれば、教室で無視するっていうのもおかしな話だ。


「おはよう」


 だから俺も小さな声で挨拶を返す。

 朝の慌ただしくうるさい教室の中でも俺の声は甲斐に届いたようで、彼女は満足そうに(うなず)いた。



 ———————————————————————————————



 そうして一日が終わろうとしていた。

 結論から言うと、俺の生活はほとんど何も変わらなかった。

 甲斐と挨拶するようになって、なぜか古庄とも休み時間に会話が増えた。

 ただそれだけ。


 教室の隅で起こった小さな事件に注目してられるほど、クラスの連中も暇じゃないと言うことだ。

 それは俺にとってこの上なくありがたいことであると同時に、俺がどれだけちっぽけな存在かを知らしめられることになった。この間までの俺自身に救われた結果になって少々複雑ではある。


 そして変わらない生活はこの文芸部でも同じことだろう。

 部室の扉に手をかける。

 いつだって建て付けが悪くて力を込めても半端にしか開かなかった扉がスッと開く。


「やあ健二(けんじ)くん、お疲れ様」

「赤嶺先輩、お疲れ様です」

 部室には既に椎菜(しいな)先輩と財津(ざいつ)(そろ)っていた。


「お疲れ様です。昨日は部活サボっちゃってすみませんでした」

「部活どころか学校をサボったんじゃなかったっけ? 随分(ずいぶん)大胆なことをしたよね」

 椎菜先輩は楽しそうに笑っている。

「なんでそれを知ってるんですか?」

「だって、走って下駄箱から出て行く君のこと見てたもん。それに、君を探す女の子にも出会った。彼女は無事、君の家に辿(たど)り着けたかな?」


 なるほど。深く考えもしていなかったが、俺の家を知らない甲斐がうちまでやってこれたのは椎菜先輩が一枚()んでいたからだったのか。

「勝手に個人情報教えるのやめてもらえます?」

「言ったでしょ? 私は君の味方だって。おかげで学年1の美少女と逢引(あいびき)できたんじゃないのかな?」

「な、逢引……!」

 状況をおそらく飲み込めていない財津がなぜかその言葉にだけ強く反応して身を乗り出す。


「そんな楽しい話なら逃げるように学校サボったりしてないですよ」

「その割には随分すっきりした顔をしてるよね」

「まあ、俺という存在のちっぽけさを知ることができて、ちょっと安心してます。世界の広さとか、他人の忙しさみたいな? でも心が晴れ晴れしたおかげか、部室の扉もスムーズに開けるようになりましたよ」


 それを聞いて椎菜先輩がケタケタと笑い始めた。今度は財津も肩を(ふる)わせて笑っているようだ。

「自分の心境と扉の立て付けを関連づけて語ってくれているところ申し訳ないけど、昨日ついに扉が完全に開かなくなってさ、先生に頼んで一度扉を外して付け直してもらったんだよ」

 椎菜先輩は立ち上がると、扉を掴んで開け閉めして見せる。確かに、誰がどうやったってスムーズに開閉(かいへい)できるようだ。

「先輩、ちょっとロマンチックで素敵ですね」

 財津のフォローは何の助けにもなりはしない。

「らしくないことは言うもんじゃないですね……」


 そうやって変わらないようで実は少しだけ変わったのかもしれない時間を過ごす。

 それは俺に取って今まで以上に居心地の良い時間だった。


 不意にスマホが震える。

 通知を確認すると甲斐からだった。


『次の月曜日、また図書室で会えませんか?』

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