30. 椎菜先輩の課題
「君から声をかけてくれるなんて初めてじゃない?」
ちょうど出かけていたらしく、椎菜先輩は30分で合流してくれた。
「ちょっと懐かしい気持ちになりまして」
「また心底つまらない映画でも見たの?」
懐かしいという言葉で椎菜先輩も3年前のことを思い出してくれることが俺は嬉しかった。
「近いけどちょっと違います。先輩はこの映画見ました?」
俺は壁に貼られているついさっき見た映画の広告を指差した。
「ああこれね。見た見た。でもこれは面白かったよ。健二くんにはつまらなかった?」
「だったらすごく勿体ないことしたな。俺もついさっきこの映画見てきたんですよ。でも、内容が全然頭に入ってこなくて」
「映画代は高校生にとって痛い出費なんだから集中しなきゃダメじゃないか……また話を聞いて欲しいの?」
いつもだったら自分から話題を切り出させるのに、今日の椎菜先輩は随分優しかった。
「そうです。椎菜先輩に聞いて欲しい悩みがあって……3年前みたいにカフェへ行きませんか?」
「構わないよ」
俺たちは駅前のカフェに入る。
「慣れたものだね」
「何がです?」
「注文だよ。前は私の真似をして飲めもしないコーヒーを頼んでいたじゃない」
「そりゃ、3年も経てば成長しますよ。コーヒーも飲めるようになりましたし」
「ふふっ。そうだね」
さてと、何をどう話そうか。俺はアイスコーヒーを一口含んで考えた。考えたところで大したアイデアはない。そもそも甲斐のことを話して良いのだろうか。いや、いいはずがない。それを俺が勝手に喋るのは大きな裏切りだ。
彼女が教室で俺に声をかけなかったように、俺も甲斐ことは伏せておくべきだ。
「最近、ちょっとしたきっかけでできた知り合いがいてその人の相談に乗ってたんですよ」
椎菜先輩は大袈裟にのけぞって驚いた素振りを見せる。
「健二くんがお悩み相談!?」
「椎菜先輩よりは真面目に聞くって評判ですよ」
「失礼。あまりに健二くんらしからぬ行動だと思ってね。それでそれで?」
椎菜先輩は今度は机の上に覆い被さるように身を乗り出し、両手で頬杖をついた。
「相手の悩みとかはちょっと伝えられないんですけど、悩みは解消に向かっていってます。ただ、そいつの悩みが解決する中で新たな悩みみたいなのが生まれてきてて、放っておいてもいいと言えばいいんですけど、俺とそいつはそれをどう対処するかって方針で口論になってそれから気まずいんですよね」
「気まずさを解消したいと」
「いや、そういうわけじゃなくて、新しい悩みの方を解決したいってだけです」
甲斐との関係はどうせそのうち終わらせなきゃいけないんだから、後味は悪いが今のままでも良いはずだ。
「新しい方の悩みってのもその子から君に相談があったの?」
「いや、それは俺が気づいて伝えました」
「その悩みは健二くんに何か悪影響を与えるものなの?」
「いや、そいつの悩みは俺とは完全に無関係です」
「だったら何を悩んでいるのか私にはわからないよ」
「えっ?」
「だってその子から相談された悩みは解決しかけてて、新しい悩みは別に相談されていない。しかも健二くんに関係ないんだったら君が関わる理由がそもそもないじゃない」
「いや、それは……」
甲斐は今、古庄と友達と呼び合える関係になっている。その中でちょっといい様に使われたり、言いたいことを言えなかったりということはあれど、それは甲斐にとって許容できる範囲だ。
だとしたら俺は何を必死になっていたんだ?
「いつだって教室では文学少年を気取っている君がなぜ頼まれてもいないのに他人のトラブルに首を突っ込んでいるんだい? そんなことしたって君に得がないだろう」
椎菜先輩の言葉はどこまでも正しかった。
このまま甲斐との縁が切れてもとの学校生活に戻れるなら、それ以上のことはないはずだ。それを甲斐も望んでいる。だからここで思い悩むことなど1つもない。
それなのに俺は現状も椎菜先輩の言葉も受け入れることができなかった。
「君は今、何を望むんだい?」
「……わかりません」
「じゃあ質問を変えよう。君は高校に入学した時、なんであんなだったんだい?」
「あんなって」
「つまり君が”エセ文学少年”になったきっかけってなんなの?」
「えっと……なんで今更そんなこと聞くんですか?」
「私はそこに答えがあると思っているから」
「別に大層な話はないですよ……」
「それでも聞かせて欲しい」
椎菜先輩の目はいつにも増して真剣だった。
「椎菜先輩と初めて会った日に本を買って、夏休み明けからその本を読んでたんですよ。先輩の言う通り難しすぎたから読んでるフリでしたけど。そうしたら先輩の言う通り、だんだん野球部の奴らもちょっかいかけてこなくなって、学校がかなり楽になりました。その頃には親にも退部したことを話していたので、放課後もすぐに家に帰って勉強してちょっとゲームしてって生活をしてたんですよ」
椎菜先輩は黙って頷く。
「そうやって野球部避けをしていたら、他の友達と関わる機会自体減っていっちゃって。もともと野球部連中が俺のことをチクリだって言って悪い噂を広めていたのもあって友達はどんどん疎遠になりました。でもそのおかげで気がついたんです。結局友達なんてそんなもんなんだって。それに誰も周りにいなければ、他人が利益を得るのに利用されることもないですし。だから俺は誰からも関わり合いにならず、かといって誰かが憂さ晴らしするときのターゲットにならないように、空気みたいな生き方ができればって思いました。そうするのに読書するフリってのはちょうど良かったんです」
そうやって俺は中学3年生の1年間を1人で過ごし、高校に入学した。
そこからは椎菜先輩と再会して関わりが生まれたが、それ以外の人間とわざわざ関わる必要などなかった。
「だから、俺はそうやって距離を取って信頼できる椎菜先輩との繋がりだけを残しておこうと思ったんです」
俺がそれ以上喋らないことを悟ると、椎菜先輩は大きく息を吐いた。
そこにこもっているのはほとんどが負の感情のような気がする。だから、椎菜先輩の沈黙も俺が今日に至る過程を否定しているようで苦しかった。椎菜先輩にだけはわかってほしかった。
「これで……満足ですか?」
椎菜先輩は黙り込んだままだった。
きっと次の言葉を考えているはずだ。
でもそこにいつもの彼女が見せるわざとらしいポーズは存在しない。
「私も……」
椎菜先輩が小さく開いた口から漏れた音を俺は聞き取れなかった。
「すみません、今なんて言ったんですか?」
「いや、気にしないで。こっちの話だよ」
それから椎菜先輩は真剣な表情をしながら俺の目を見た。
「君がどうして今の君になったのかはわかった。それもきっと1つの選択肢だし、この1年間そういう君を私は悪くないと思っていた。だからこそ言わせてもらうけど、だったら今回もいつも通りでいいじゃない。君が1人を求めているのに、お節介を焼いてその子に頼まれてもいない悩みを解決しようなんておこがましいんじゃない?」
「そんな言い方しなくても……」
「だいたい、最初に悩みを受けること自体がおかしいんだよ。もし君が本当に”エセ文学少年”として自分を守ることを大切に思っているなら、君は最初から悩み相談なんかのるべきじゃなかった」
それには理由がある。そう言おうとした俺を先回りして、椎菜先輩は言葉を続けた。
「例えどんな理由があったとしても、だよ。それを拒めなかったのは君自身だ。それを棚上げしちゃいけないよ」
椎菜先輩の攻勢に俺は反論の隙を見つけられずにいた。
「君はもっと君自身を知るべきなんだ」
「俺自身を?」
そんなの、俺が1番知っているに決まっている。
「君から見た君だけじゃない。君は今日までいろんな人間にいろんな姿を見せてきたはずだ。同じように見えてひとりひとりが見てきた君の姿は異なる。君1人が知ってる君なんかより、その他大勢が見ている君の数の方が多い。だから君はもっと自分のことを知るべきなんだよ」
「そんなの詭弁ですよ」
「だとしても、これは私から君への課題だ。次に会う時、君は赤嶺健二という人間が何者なのか私に答えを見せてくれ。それまでは部室にも顔を出さないから……信じているよ」
そう言い残して椎菜先輩は1人カフェを後にした。




