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02. 文学少女の理想について

 椎菜(しいな)先輩を見送ってから、俺は1歩1歩踏みしめるようにゆっくりと文芸部の部室へ向かった。


 財津(ざいつ)は何を望んで文芸部に所属したのか。財津になんと声をかけるべきか。

 普通に考えるなら、同好(どうこう)()を求めているのだろう。同じ本を読んで感想を語り合ったり、お互いが好きそうな本を(すす)めあったり。いわゆる文芸部のあるべき姿な気がする。

 あるいはまだ本心を打ち明けられていないだけで、本当は小説や詩を創作して部活として冊子(さっし)にまとめて校内へ発表したいのかもしれない。

 いずれにしても俺や椎菜先輩に求めるにはハードルが高すぎる。


 俺はエセ文学少年で、本なんてろくに読んでない。むしろ漫画とゲームが大好きだ。

 椎菜先輩は本を読まないわけではないだろうけど、どちらかといえば映画派で部活中もスマホで映画ばかり見ている。あれ? なんで椎菜先輩は文芸部に所属しているんだ?

 俺は椎菜先輩のことを知っているようで何も知らない気がして不安になった。

 ただ、今考えるべき相手は椎菜先輩ではなく財津後輩だ。


 求められても答えられないなら、下手(へた)な期待は持たせない方がいいんじゃないのか?

 意思薄弱(いしはくじゃく)な俺は椎菜先輩との約束を反故(ほご)にする言い訳を探し始めてしまう。しかしどんな答えも椎菜先輩を納得させることはできそうになくて、結局答えがまとまらないまま部室までたどり着いてしまった。


 部室の扉に手をかけると(かぎ)(すで)に開いていて、力を入れると扉はギシギシと(きし)みながら動き始めた。重い扉を半分も(ひら)かずに俺は体を(すべ)らせるように文芸部(ぶんげいぶ)の部室に入り込む。


 中では肩より少し長いくらいの髪を左右で三つ()みにした少女がちょこんと教室の隅に座っていて、小柄な体型、小さな手には不釣り合いなほど大きな本を熱心に読んでいた。

 彼女こそ、正真正銘(しょうしんしょうめい)の文学少女と呼べるだろう。


 財津は扉の音に反応して視線をこちらへ向けた。

「遅くなった。それと邪魔してごめん」

「全然大丈夫……す。ちょうど切りのいいところでしたし。先輩1人だけ……すか?」

 彼女の語尾(ごび)は消えゆくように小さくなって不明瞭なものだったが、それがまた彼女の大人しそうな姿によく似合っている。要点はちゃんと聴こえるので会話に困ることもない。

「ああ。椎菜先輩は塾があるってさ。俺もこの後委員会があるから、ちょっと早めに帰らせてもらうよ」

 財津は無言でコクリと頷いた。


 きっと椎菜先輩はこれだけじゃ許してくれないのだろう。

 ひとまず俺も椅子に座り、お守り代わりの一冊を取り出す。そしていつも通り熱心に読み進めるふりを始めた。いつもと違うのは、本そのものから目を離して財津の方をこっそり見ていることだ。


 財津千尋(ざいつちひろ)は文芸部唯一の新入部員で入学式の翌日には入部するほど熱心な読書家(どくしょか)だ。フレームが太い真っ黒なメガネに、目が隠れるくらいの前髪、それから口元はいつも本で隠れていて顔のほとんどが見えない。制服を着崩すようなことはないし、椅子に座る姿勢も真っ直ぐだ。見るからに真面目でおとなしい女の子で、文芸部員で連想されるイメージのど真ん中だった。


「あの……先輩……私に何かついてますか?」

 まずい、ジロジロ見過ぎた。俺の視線に気がついた財津が恥ずかしがって本で顔を隠しながら、不思議そうに俺の方を見た。

「いや、その、別に見てたわけじゃ……えーと、財津はどんな本読んでるのかな? なんて」

「あっ、えっと、こんな本です」

 財津は両手をピンと伸ばすと分厚(ぶあつ)い本の表紙を見せてくれた。そこには聞いたことのないタイトルが書かれていた。原作者が英字で書かれていて、訳という記載もあることから、海外の作品なのだろう。

「あー、ごめん、知らない作品だ。面白い?」

「はい……面白い……すよ」

 財津はそんなに振ったら取れるんじゃないかってくらい懸命に何度も首を縦に振った。


「逆にその、先輩って……どんな本を読ん……すか?」

 いつも以上にか細い声を(しぼ)り出すように発した財津の声はこの教室でなければきっとかき消されていただろうが、閑散(かんさん)とした文芸部室で唯一空気を(ふる)わせた彼女の声は確かに俺の耳に届いた。


「俺が読んでるのはこの本」

 ブックカバーを外して本の表紙を見せると、財津は少しだけ腰を浮かせて本に顔を近づけた。

 珍しく目にした彼女の口元は小さく、うっすらピンク色だった。興味津々(きょうみしんしん)にタイトルを(のぞ)き込む様は小動物的な可愛らしさがある。


 読書家でなくても一度は耳にしたことがあるほど有名な俺の本を確認すると、財津はボフッと椅子に腰を下ろした。

「あたし、その本読んだことなくて……読み終わったら貸してもらえませんか……?」

 こてりと首を傾げた彼女はやはり小動物的で、庇護欲(ひごよく)()られる。やはり財津が求めていたのは同じ本の感想を語り合える仲間だったのだろうか。

 素直に(したが)ってあげたくなるが、この本を貸すわけにはいかない。貸し借りした後に感想を話し合うようなことになったら、俺がこの本をろくに読んでいないことがバレてしまう。申し訳ないが同じ本を読む仲間にはなれないのだ。


 俺がなかなか回答をしないせいか、財津は(あせ)って両手を顔の前で振り始めた。

「あの……迷惑だったら……ごめ、すみません……す。えと、あの……」

「いや、違う。全然違くて、財津がこの本を読んでいなかったことが意外だったのと……ほら、この本ボロボロじゃん? 昔から読んでてこんな汚い本、人に貸せないなって思って。財津も嫌だろ? 有名なやつだし図書館にもあるからそっち借りた方がいいよ」

 (あわ)てて(つな)いだ適当な理由は思ったよりもそれらしくて、彼女もおそらく納得してくれただろう。


「本当……すか?」

 ドタバタとした動きを止めて財津は不安そうに俺を見つめる。

「本当。本当だよ。俺ももう一度読み直してるところだからさ、いつも本読んでる財津には追い抜かれちゃうかもだけど、お互い読み終わったら感想とか話そうよ」


 ついさっきまで言うつもりが無かった言葉を自然と口にしていた。

 それは椎菜先輩との約束があったからじゃない。彼女の遠慮がちながらも俺と距離を詰めようとしてくれている姿に心が()らいだのだ。先輩に対して気をつかって不安そうになったり、意外と大袈裟(おおげさ)にリアクションをしたりする後輩を(にく)からず思ってしまった。

 財津の望むものを1度くらいは叶えてあげよう。

 期待に(こた)えられなかったら申し訳ないが、その時は財津に諦めてもらおう。


「ありがとうございます。そういうのちょっといいなと思ってたので……嬉しいです!」

 いつになく元気な財津の姿を見ると、余計に話して良かったと思えた。


 俺にとっての椎菜先輩は頼りになるし、あるべき姿を示してくれた頼もしい存在だ。俺の椎菜先輩に対する憧憬(しょうけい)は普通の先輩後輩にはない特殊なものだが、財津にとって俺が少しでも良き先輩であればそれは俺も嬉しい。

 椎菜先輩もこういうことを期待していたのだろう。

 それに一度くらい、ちゃんと考えながら読んでみるのは、ずっとお守りがわりにしているこの本に対する礼儀というものかもしれない。


「俺も楽しみにしてるよ」

 お互いに無言で頷くと、それぞれが本に目線を落とした。

 初めてみる財津の笑顔はとても可愛らしくて、すぐにでも本を読み進めなくてはならないのに、なかなか読書に集中できなかった。

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