23. まなざしの先には
「はーつかれた」
月曜日の放課後、部室へ最後にやってきた椎菜先輩の第一声だ。
「お疲れ様です。何かあったんですか?」
「土日に模試があってさー。土日まで勉強じゃ休まらないよね。しかも今日は小テスト漬けだったし」
椎菜先輩はそのまま気だるそうに入り口の扉にもたれかかる。
「それはお疲れ様ですね」
「君も来年にはこうなってるよ」
椎菜先輩のくたびれた笑いに身震いする。
「それはそうと、2人はどんな週末だったの?」
退屈だった週末の埋め合わせをしたいのか、それとも単なる気まぐれか、普段そんなことを聞かない椎菜先輩からの問いかけにどきっとする。まさか俺が甲斐と出かけていたなど知る由もないはずだ。
「俺はまあ、いつも通りでしたよ。家から出ることもなくゲームして本読んで映画見て漫画読んでって感じですかね」
だから俺は2週間前に過ごした週末を先週のことのように語る。
「贅沢な時間を過ごしているようで羨ましいなあ。千尋ちゃんは?」
「わっ、わたしもずっと本読んでました」
「それは結構なことだね」
「あ……ありがとうございます」
「そんなことより座らないんですか?」
椎菜先輩は相変わらず扉の前にいて、腕を組んで考え事をしているようだった。
「うーん……今日はこれで帰ることにするよ」
「えっ? 予定でもあるんですか?」
「言ったでしょ。土日もなくて疲れてるんだって。だから今日は早めに帰って英気を養うとするよ。2人とも学生生活は思ってる以上に短いんだから土日はもちろん、日々を大切に噛み締めるように過ごすんだよ」
それだけ告げると椎菜先輩は俺たちに背中を向け、ひらりと左手をあげる。
はなから帰るつもりならなぜ部室に寄ったのだろう。また俺が財津と2人きりになることを心配したのだろうか。
後ろ手に振り返ることなく部室から姿を消す椎菜先輩の背中が部室に来る前に見た甲斐の姿と重なる。
甲斐は古庄との約束通り、授業が終わるやいなや教室から出ていってしまった。
土曜日に気まずい別れをしていたが、だからといって俺たちは教室で言葉を交わす仲ではない。だから俺に声をかけずに去るのは当たり前で、むしろそれは俺に対する気づかいでもある。ただ、甲斐の周りに彼女の友達がいるという事実のせいで、そこに違う意味がこもっているかのように錯覚してしまう。彼女がそんなことをするはずがないのに。
「……三重野先輩、大丈夫ですかね?」
「……どうだろうな。あんな感じの先輩ってかなりレアな気がする」
俺と財津は困惑して顔を見合った。椎菜先輩にしては歯切れが悪いというか、平凡でつまらないことを言っていったというのが正直な感想だった。
それだけ疲れているということなのか。あるいは彼女も変わっていくのだろうか。変わるのだとすれば俺を置いていくのはやめてほしい。
「その……赤嶺先輩も大丈夫ですか?」
「へっ? 俺? なんで?」
財津からの突然の問いかけに間抜けな反応をしてしまう。
「え……っと、その、今日、元気がなさそうに見えたので……」
「俺、そんなふうに見えてた?」
「あの、違ってたらごめんなさい……ただ、いつもとは雰囲気がちょっと……です」
自分じゃ全く気が付かなかった。
何もなかったと言えば嘘になるが、甲斐とのいざこざがそのまま学校生活に直結しているわけではない。今まで通り変わらぬ1日を過ごして、いつもと同じように部室での時間を過ごしているつもりだった。少なくとも自覚できるほどの歪さはない。財津は雰囲気と濁したが、俺の何がいつもと違ったのだろう。
「……先輩?」
「ん、ああ、ごめん」
「気を悪くされたならすみません……」
「いや、違うよ。どの辺がそういうふうに見えたんだろうって考えてただけ。参考までに教えてくれないかな?」
「あっ、は、はい。えっと……本……です」
財津は俺が手にしている本を指した。
「本?」
「最近の先輩はページを捲る頻度がけっこう短くて、音もなんというか楽しくて次が気になってるっていう感じだと思ってたんです。それが今日は勢いがないというか、ページの前後を行ったり来たりであまり本に気が向いていないようにみえました……あと、先週の金曜日からほとんど進んでないみたいなのに、さっき三重野先輩へは休みの日に読書してたって……すみません、気持ち悪いですよね、こんな。ごめんなさい」
財津は自分の本で顔を隠しながら頭をぺこぺこと下げた。
「いや、全然気にしてないから謝らないで。でもよくそんなこと気がつくね。まるで名探偵だ。自分でもそんなこと自覚してなかったし、そもそも考えたことなかったよ」
財津に指摘された通り、土曜日の一件を引きずって昨日は全く本を読み進められなかった。今日だってあまり集中できなくて以前のように上の空でページを進めては内容についていけずに引き返すのを繰り返していた。俺の中の無意識をこの部室での俺しか見ていない財津は見事に見抜いたことになる。
「その、5月の頭くらいも先輩そんな感じで……気になってたんです」
5月の頭といえば初めて甲斐に会って、逃げ出して、もやもやしていた時期だ。そんな時から財津は俺自身が気づかない変化を見抜いていたのか。
「確かに週末ちょっと色々あって、今日は気が散ってたかもしれない。まあでも深刻な話じゃないから全然気にしないで。大丈夫だから」
「なら良かったです。その……的外れだったら聞き流してほしいんですけど、無理はしないでほしいです……すみません、また、でしゃばったこと言っちゃって」
財津がさっきよりも勢いよくぶんぶんと頭を下げる。
「ありがとう。でも本当に大丈夫。無理はしてないし、多分すぐに元に戻るから」
「元に?」
「っと、それはこっちの話だから忘れて」
そう、これは甲斐と出会う前に戻る過程でしかない。ちょっと同じ時間を過ごして情が湧いた部分があっただけで、あるべきものがあるべき場所に戻る。ありたいものがありたい場所へ移る。
俺は元の誰からも犯されない1人孤立した席へ戻るし、甲斐は近寄り難い孤高の席から離れて居心地の良い古庄たちの近くに座る。ただそれだけだ。
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その夜、甲斐から2通の連絡が届いていた。
『おかげさまで今日も仲良くできました』
『明日も楓ちゃんたちと帰ることになったので、文芸部の部室へはお邪魔できません』
他人行儀な挨拶。これでいい。
俺はそれに見合う形式ばった無味乾燥な2文字を送った。
『了解』




