22. 覆水盆に返らず
「だいたいそんな感じで、まあ地元から逃げて出て行ったわけで顔を合わせるのはしんどいというか、自分でも思ってた以上に動揺して逃げてきちゃったって感じかな」
甲斐の言うとおり、話しているうちにだんだんと落ち着いてきて気持ちが楽になった気がする。
想像していた通り、甲斐は難しそうな顔をしていた。
あの日、甲斐の過去を聞いた俺と同じようにかける言葉に悩んでいるのだろう。ここで安易に『わかる』なんて同調してくるようなことがなかったことに俺は安堵する。甲斐にはそうあってほしくない。
「別に何も言わなくていいよ。こういうのってなんて声かけていいかわからないものだし、何か声をかけて欲しいわけでもないから。ただ、電車1本逃した理由を話す必要があったと思っただけだし、いい暇つぶしになったんじゃない?」
気を遣わなくていいと伝えたかっただけなのに何故か言葉が刺々しくなってしまう。
「えっと、うん。ごめんね。うまいこと言えなくて……」
「いいってば。聞いてもらえただけで十分だよ。ありがとう」
空気が重い。楽しくない話をしてしまった以上仕方ないが、この沈黙は耐え難い。
「……というか、赤嶺くんって本読んでたのあれ、ポーズだったんだね」
甲斐も同じ気持ちだったのか、さっきより1段階高いトーンで聞いてきた。
だからってその質問は恥ずかしすぎる。
「えーっと。まあそうなるかな。うん……忘れて」
「あ、ええ。うん。ごめん。そういうつもりじゃなかったの。赤嶺くん本当によく本を読んでるみたいだったから、それが演技だったことが意外で」
言われてみれば、甲斐に出会うのと俺が真面目に本を読み始めたのは時期が被っている。
きっかけは財津との約束だから甲斐とは全くの無関係だが、人と関わりたくなくて本を読んでいるふりをしていた人間が、人と関わるようになってから真面目に本を読み出すと言うのはなんとも噛み合わなくて面白い。
そんなことを考えていると口元が緩む。きっとそれに気が付いたのだろう。甲斐も顔をほころばせた。
「よかった。ちょっと元気になった?」
「おかげさまで」
「あの、さ。もしよかったらだけど、私、赤嶺くんの力になりたいんだ」
えっ?
「私の悩みだって赤嶺くんが別の視点で考えてくれたから解決しそうというか、楓ちゃんと仲良くなるきっかけもくれたじゃない。だから、赤嶺くんの抱えてる事情ももしかしたら一緒に考えたらもっと良い方向に転がらないかなって」
待ってくれ、それは違うだろ。
「……私なんかじゃ頼りないかもしれないけど、でもやっぱり私は赤嶺くんにも楽しくいて欲しいと思ってるから……赤嶺くん?」
「俺は……それを望んではいないよ」
「え?」
「甲斐の言う俺が楽しくいるってのがどういうものなのか、なんとなく想像はつくけどそれは俺の望むところじゃない。今までみたいに教室の隅で本を読んでいるふりをしていられればそれで十分なんだよ」
甲斐が口をつぐんでしまう。
「そう言う意味じゃ甲斐に出会って関わるようになってから俺の1人きりの学校生活が脅かされているわけで、甲斐が古庄と仲良くなって俺との関わりが前みたいに全く無くなってしまえばそれが俺の1番落ち着く形なわけだ」
甲斐は驚いた表情をしていた。それから悲しそうにそっぽを向いてしまう。
その様子を見て怒りがスッと鎮まって冷静になった。
違う。こんなこと言うべきじゃなかった。
これじゃ”そいつ”と一緒じゃないか。
善意で手を差し伸べてくれようとしてきた甲斐に八つ当たりして傷つけた。
「甲斐、違うんだ」
「ううん。いいんだよ。赤嶺くんの言う通りで、ずっと私が赤嶺くんに頼りきっちゃって迷惑かけてたんだよ。自分のことも自分でちゃんとできない癖に、ちょっとうまく行ったからって調子に乗っちゃって……結局のところ私は友達の気持ちを分かった気になってただけだよね。中学の時から何も成長してないや。本当にごめんね」
甲斐は俺の方を向いて顔を下げた。
チラリと見えた彼女の目には涙が溜まっていた。
甲斐と俺が座っている石にポツポツと数滴の雫が落ちて色を変えていく。
「違、ごめん。甲斐さんを傷つけるつもりはなかったんだ」
逆だろ。傷つけるための言葉を選んだんじゃないか。
「赤嶺くんは謝らないで。私が余計なこと言ったから」
「でも断るにしたってもっと良い伝え方があったのに、本当にごめん」
甲斐は無言で頭を下げたままだった。
その間に石の色はさらに変わっていく。
俺はどうすることもできず、何も見なくて済むように頭を抱えて目を閉じた。
それから長い時間が経った気がする。
きっと甲斐から動くことはないだろう。
俺は顔をあげて時計を確認した。実際はそんなに時間が経っていなかったが、あと10分もすれば帰りの電車が来る時間だった。
急いで出ないと乗り遅れれば次の電車はさらに1時間後だ。
「甲斐さん、そろそろ電車の時間だ……立てる?」
俺が先に立ち上がって手を差し出す。
甲斐はそれを掴むことなく、自力で立ち上がった。
「大丈夫。これ以上遅くなったら怒られちゃう。帰ろっか」
笑ってみせた彼女の目は真っ赤に腫れていた。
「私、月曜日の放課後はうまくやってみせるね」
「え?」
「それで赤嶺くんの手を煩わせなくても大丈夫だってことを証明するから……そうしたら赤嶺くんはもう私の面倒なんて見なくて大丈夫になるでしょ? さっき赤嶺くんの力になりたいって言ったのは本心だから。そのためには私が赤嶺くんの邪魔をしなくなるのがきっと良いはずだから」
否定できなかった。
それを主張したのは他ならぬ自分自身だ。
「応援してるよ。でもそれは俺のためじゃなくて、甲斐さん自身に友達ができればいいと思うって意味。だから、やっぱり俺のことは気にせず頑張って……」
駅に着く。
電車もちょうどホームへやってきたところだ。
俺たちは朝と同じようにそれぞれ前後の扉から乗車した。
そして空席だらけのまばらな席で、俺たちはお互いから1番遠い位置に座った。
これ以上、何かを話せばさらに相手を傷つけることになる。
楽しかった1日が嘘みたいだ。
俺たちはさよならも無しに今日を終えた。




