18. 移ろう景色の中で
約束というのは結んだ時がピークだ。そこから先は坂道を転がり続けるように面倒くさくなって、不安になって、当日の朝は憂鬱になる。
今朝の俺がまさにそうだった。
俺の服装はクラスの女の子と並んで歩くに相応しいものなのだろうか。
髪型は? 鞄は? 靴は? 当日になって唐突に湧き出した不安を前にもはやなす術はない。
一応アイロンをかけておいたシャツの小さな皺が気になる。スニーカーにほんの少しついた汚れが気になる。今日の気温を考えると汗かくだろうし制汗剤持っていくか。でもそうするともうワンサイズ大きい鞄にしなきゃ。
なぜ前日までに用意しておかないのか?
それは当日になるまでは謎の自信があったからだ。もしかするとそれは現実逃避に過ぎなかったのかもしれない。今となっては後の祭りだ。
いや待て。俺は別に甲斐とデートするわけじゃないんだ。
勝手に浮かれてしまっているが、それは甲斐の意図することでもなければ俺の望むところでもない。客観的なシチュエーションに浮き足立つべきじゃない。
こんなことを言い聞かせている時点で冷静じゃないが、こんなことでも考えないとどうにも落ち着かない。
甲斐が望むのは正しい放課後デートの作法だ。
いや違う。デートじゃない。放課後に友達と遊ぶというものを予習したいだけだ。
つまり俺は俺として楽しむんじゃなく、これまでの放課後のように甲斐の対策を手伝うのだ。甲斐だって俺と過ごす時間を望んでいるわけじゃない。あくまでこれは練習だ。
俺は都合の良い相談相手。
今日の俺は仮想古庄。
よし、落ち着いてきた。
最後にもう一度だけ鏡の前で髪型を整え、俺は家を出た。
玄関の扉を開けた途端、強い風が吹いて髪が崩れた。
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俺の意を汲んでくれた甲斐は現地集合現地解散を提案してくれて、俺はその言葉に甘えた。
今日むかうのは街から電車で1時間ほどの観光地。風光明媚でのどかな田舎に広がる自然と温泉街が魅力のスポットだ。旅行客こそ多いが、高校生が普通の週末を過ごすには少し遠くてあまり刺激的ではない。
同じ高校の人間と会うことはまず無いし、軒を連ねる出店は学校帰りの買い食いを再現するにはちょうど良い。甲斐はよくこんなところを思いついたなと感心する。
下宿先と実家との間に位置しているから、実家から向かっても良かったが、こんなあからさまに浮き足立つ姿を妹たちに見られたら揶揄われそうだったからやめた。
しかし多少リスクを冒してでも実家に帰るべきだっただろう。
「お、おはよー」
最寄り駅で甲斐と鉢合わせた。
こんな田舎からもっと田舎へ向かう電車なんて1時間に1本出るか出ないかなのだから、同じ時間、同じ目的地へ向かうのならば必然、乗る電車も同じになる。
しかも田舎の電車なんて多くても2両編成だ。テレビでしか見たことないような人だかりがホームにできることなんてまずない。俺と甲斐は2人ぽつんと駅のホームに立っていた。
合ってしまった視線を逸らせず、いつだったか甲斐が学校で見せたのと同じように小さく手を上げて挨拶をした。それを受けて甲斐もまた、控えめに手を挙げる。俺たちの距離は教室で隣同士座っている時よりも遥かに遠いが、俺たちのコミュニケーションは近くにいる時よりもスムーズだった。
ほどなくしてやってきた1両だけの真っ赤な電車に乗る。甲斐は前の扉から。俺は後ろの扉から。
俺は車内を1往復して知り合いがいないことを確認する。
「こっちこっち」
それを知ってかしらずか甲斐が小声で手招きした。
「えっと」
車内の座席はほとんど埋まっていて、甲斐の向かいしか空いていない。
俺は大人しく、甲斐と向かい合うように椅子に腰を下ろした。
窓際に肘をついて動き出した景色を眺めると、見慣れた景色が流されていた。
「普段電車とか乗るの?」
甲斐に尋ねられる。知り合いはいなかったし、どうせこれから一緒に歩くのだ。無視する必要もないだろう。
「実家に帰るときはこの電車に乗ってるよ
「ひとり暮らしなんだっっけ? 家はどこなの?」
「これから行くところを通り過ぎてさらに電車で1時間くらいかな」
「めちゃくちゃ遠いんだね。なんでうちの高校に来ようと思ったの?」
この質問にはあまり答えたくない。本当のことを言うにはいろいろと説明しなきゃいけないことが多いし、それを説明するのは苦痛が伴う。
「……進学校にいこうかなと思って」
「そっかあ。じゃあ中学生の時から頭よかったんだね」
「まあ、そこそこに」
電車が小さく揺れるのが心地良い。
他の乗客もそれぞれがそれぞれの会話を繰り広げていて、お互いの会話に対する興味が微塵も感じられない。それがまた落ち着く。
俺は徐々に緑が増えてきた景色を眺めながら甲斐の問いに答える。
「でも1人暮らしって大変じゃない?」
「好き放題しても親から小言を言われることもなければ勉強の邪魔してくる妹もいないし良いもんだよ。料理とか洗濯とか、結構性に合ってるみたいだし」
「すご。私はお母さんから手伝いなさいって言われてイヤイヤやってるのに……っていうか妹さんいるんだね! 今何年生なの?」
「2つ下だから中3」
「高校どこ受けるの? 赤嶺くんと一緒で頭良い?」
「なんでそんなに盛り上がってるんだよ。妹はそんなに成績良くないから普通に地元の高校に行くんじゃないかな?」
「いやー、私ってひとりっ子だから兄妹に憧れがあって」
甲斐は恥ずかしそうに笑った。
確かに甲斐はひとりっ子っぽいなと思ったが、なんの根拠も理由もないし言ったところでどうしようもないので黙っておく。
それよりも驚いたことは甲斐が普通に会話できていることだ。
散々言ってきたのだからもっとコミュニケーションに難があると思っていたのに、今だってごくごく普通の友達のように会話を繰り広げている。これなら今日の放課後遊ぶ予行演習だって特に必要なかった気もする。
まあそのことがわかっただけでも大きな収穫と言えるかもしれない。
それを指摘すると甲斐が意識して逆にぎこちなくなりそうだから、俺は今日1日は黙っておくことにした。
「そんなことより、古庄とは最近どんな感じなん?」
「多分、仲良くできてると思うよ」
「歯切れが悪いけど、何か気になることでもあった?」
「そういうのは全然なくて、楓ちゃんはめちゃくちゃ優しくしてくれるし、友恵ちゃんも優香子ちゃんも美咲ちゃんも後から混じった私にも普通に接してくれるし。ただ、私って前もうまくいってるって思ってたら全然だったじゃん? だから今回も実はそうなんじゃないかなってすごく不安で」
「ああ、そういうことか」
だからどうするという手立てを俺も甲斐も持っていない。だから不安はずっと消えない。
うまく付き合っていくのか、その時の楽しさで上書きして忘れた気になるのか。
いずれにしたってまだ日が浅すぎる。
「とりあえず、まだ1週間なんだし焦る必要はないでしょ。そんな短期間でバッチリ信頼関係築ける人間なんていないし、そう思ってる奴は多分勘違いだから。それがわかってるんだから甲斐なら大丈夫だよ」
誰にも聞かれないという安心感からか、いつもより饒舌になっている気がする。
「うん。ありがとう。やっぱり赤嶺くんは優しいね」
そんなことはない。といつもなら否定するところだがこういうところだけ今日は口が重い。
そのまま無言の時間がしばし流れ、景色はいつの間にか一面田んぼに変わっていた。
駅と駅の間隔は離れているし、乗り降りする人も少ない。のんびりとした時間が流れる。
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「……くん。赤嶺くん。起きて。そろそろ着くよ」
誰かが肩を揺する感覚がする。
柔らかくて温かい手が、電車とは違う心地の良い振動をくれて徐々に意識が覚醒する。いつの間にか寝てたらしい。
「……ん、んああ」
それが甲斐の手だと気がついたのは隠し切れないほど大きな欠伸をしてしまった後だった。




