11. 友達の定義
甲斐が話し終えた後も俺は言葉を発せずにいた。
かける言葉を持ち合わせていなかった。
中学生同士の未熟なすれ違いといえばそれまでかもしれないが、甲斐の直面した状況はある種、俺が先ほどまで迫られていた2択と類似している。
友達と仲良しこよしで部活を楽しむのか、我を通して強い部活を目指すのか。どちらが正解ということはない。その学校、部活ごとに部員が同じ選択をしているならそれで良いのだ。
甲斐はその2択を間違えたに過ぎない。
後からみんなに合わせて緩く部活を続けることもできただろう。だが彼女が一度口にした願望は当然他の部員も知ってしまっている。妥協して友情を選んだとして、果たして前と同じように楽しく部活ができるのだろうか。きっと気まずい時間が流れたに違いない。
そもそも2択を間違えたのは甲斐が認識していた友人の姿と、友人の本音にすれ違いがあったからで、だとすれば彼女の「人の気持ちがわからない」という自己評価は限りなく正しい。
完璧に思われた彼女にそんな過去があったことも、彼女が人間関係に傷ついて思い悩んでいたことも、今のいままで全く知らなかった。
別世界の人間、あるいは人ならざる何者か。そんな風に見えていた彼女が今は同じ様な温度を持った人間に思えた。
俺は勝手に自分の過去と彼女の過去を重ねる。甲斐真希奈でさえ失敗するし傷つくのだ。だったらあの日の俺はよくやったと褒められたっていい。お前は悪くないと慰められたっていい。そうやって甲斐を出汁に自分を救ってみようとするが、相変わらず俺はあの日の出来事を納得できなかった。
何に納得できないのかもわからないくせに。
無言の時間がしばらく流れ、甲斐の表情は徐々に不安の色を大きくした。だから俺も焦って取り留めもなく言葉を発する。自分から聞いておいて、いざ他人の過去に向き合ったら何も言えないのが情けない。
ただ、伝えたかったのは俺が甲斐の敵ではないということだ。
「その……中学時代のことはなんというか……難しい話だけどさ、甲斐さんが悪いってわけじゃないと思うし……だから……」
「うん、ありがとう」
甲斐の返事は行儀良く、与えられた善意に応えるだけの身が伴っていない言葉に聞こえた。
「どっちも正しいことって絶対あるし、それが食い違うのも仕方ないよ」
「だよね。だけど違うってことを私はわかっていたかったんだ」
わかる。甲斐の言いたいことはすごく理解できる。だけどそんな理想はきっと叶えられない。
俺は目の前の女の子がどんな言葉で救われるか全くわからなかった。
「俺は友達がいないから想像になるけど、やっぱり全部わかりあうってすごく難しいと思う。それが友達にこれからなろうとしている人間なら尚更じゃない? 甲斐さんは中学で失敗したのかもしれないけど、だからって最初から完璧を目指す必要はないよ」
「それもね、わかってるつもりなの。だけどやっぱり怖くて……私が友達になってわかった気になっても、相手は違うんじゃないかって」
友人から拒絶された経験を考えれば、甲斐がこれだけ臆病になるのも頷ける。ただ、その経験に支配されて最初から完璧を目指そうとしていることが今の甲斐を必要以上に縛り付けている。
「甲斐さんは友達が欲しいんだよね?」
「……うん」
だったら他人の気持ちが理解できることは必ずしも必要じゃないはずだ。
「友達ってどういう関係のことを言うんだろうね?」
「それは……」
甲斐には酷な質問かもしれない。
彼女が中学時代の仲間達となりたかった関係。理想の姿。そういうものを不躾に暴き出そうとしている。
「私はお互い一緒にいたい関係だと思う。話してると楽しくて、趣味が合って、だからいつも一緒にいたくなる。そういう人が友達なのかなって」
それを望んで、彼女は裏切られた。
「甲斐さんの思う友達はすごく素敵だと思う。けど、友達みんなとそんな関係になるのは無理じゃないかな? クラスで友達って呼べるけどそこまで深い関係じゃない人っていなかった?」
「あっ……」
「そういう人たちとの関係って、決して甲斐さんが言う友達関係ではなかったはずだよね? でも友達だ。だから今の甲斐さんはきっと友達の定義をすごく狭めてしまってるんだと思う」
「友達の定義……か。赤嶺くんは友達の定義ってどんなだと思ってるの?」
「俺は利害が一致している関係だと思ってる」
「利害って、それはちょっと悲しくないかな?」
「でも考えてみてよ。甲斐が言う一緒にいたいってのも、お互いが楽しく過ごすっていう利益が得られる関係だろ? それにクラスのそんなに親しくない友達の存在だってこれなら説明がつく。クラスで浮いた存在にならない様にするためとか、もっとシンプルに体育でペアになった時に気まずくならないためとか、そういう小さい理由だってクラスメイトと仲良くする理由になる。それって全部利害の一致じゃない?」
甲斐は納得いかなさそうな顔をしていたが、うまい反論が思い付かないようだった。
「もちろん、利害って言葉が生々しくて嫌って言うならこれは他に言い換えてもいいかもしれない。それこそ甲斐が言う『一緒にいたい』って言葉のハードルを下げまくって『一緒にいたくないわけじゃない』って言ってしまってもいいかも」
甲斐はやっぱり何か言いたそうで、でも言葉が出てこない様だった。
「俺と話すときは変なこと言ったらどうしようとか考えなくてもいいよ。むしろそういうところを見せてくれた方が改善案も浮かぶかもしれないし」
そもそも俺のことを知らない人間の言葉に傷つくことはないし、何とも思わない。
「だったら言わせてもらうけど、私はやっぱりなんか嫌だな。そういうの」
甲斐は俺の反応に怯えながらも意見を言ってくれた。
こう言われることは想像できたからやはり何とも思わない。
「あくまで俺の考えだから納得できないならそれでいいと思ってるよ。でも甲斐さんの考え方だと0か100かみたいになっちゃって八方塞がりかなっていうのも感じてる。だから相手の気持ちがわかるとかそういうことは一旦置いておいて友達を作るためにプラスになることを1つずつやっていけばいいんじゃないかな?」
「友達作りに必要なことを1つずつ……」
甲斐がおまじないを唱えるように繰り返す。
ちょうどそこで完全下校を告げるチャイムが鳴った。
「わ、もうこんな時間だったんだ。赤嶺くん、色々話聞いてくれてありがとう。それで今後のことなんだけど……」
「わかってるよ。まだ協力する。甲斐さんに友達ができたら、そのあとはその友達に任せるよ」
甲斐はそれはそれは嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
仏頂面より笑顔の方が何倍も可愛いけど、この表情を誰も知らない。
「ありがとう。また図書室?」
俺たちは片付けをしながらこれからについて話した。
「いや、早い方がいいでしょ? 明日の放課後、6時過ぎに文芸部の部室に来てもらえる?」
「部室って勝手に行っちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫。俺以外誰もいないから」
「わかった」
俺は鞄を肩にかけて立ち上がる。
甲斐もすぐ後に続く。
図書室に2人分の足音が響いた。
「ねえ、赤嶺くん」
図書館の扉に手をかけた俺に甲斐が問いかける。
「さっき赤嶺くんが話した友達の定義。利害の一致っていうのが正しいなら今の私たちって友達と呼べるのかな?」
それは試す様にもすがる様にも聞こえた。
俺と甲斐は友達ではない。
甲斐に頼まれて俺は協力しているだけ。
ただそれだけの関係でしかない。
それこそ甲斐が言ったように一方的だ。
だけどほんの少しだけ、甲斐の様な完璧に見える人間でもこんなことで悩むのだということに俺は救われた気がした。俺が彼女から一握りでも何かを得てしまっているなら、それはもはや利害関係とは呼べるのかもしれない。
だとすれば……
俺は自分たちの関係に名前をつけられないまま、考えるのをやめた。
そして拭いきれない違和感を吹き飛ばそうと甲斐に向かって首を横に振った。




