第8話 聖痕を刻まれし者、聖剣を得し者
「おいモブ野郎、オレにひれ伏せ」
はあ? と口に出さなかった俺を褒めてほしい。
刀を素振りしていた俺のもとにやってきたのは、18歳に成長したゲーム主人公シンだった。
ああ……俺がこの異世界で目覚めてから、もう8年も経ったんだな。
俺の肉体年齢は18歳になったが、時間の流れが早くて困る。
「これを見ろ。勇者の《聖痕》だ」
高々と掲げられた右手の甲。
そこに燦然と輝くのは、剣や十字架のような形をしたアザ。
ゲームで何度も見た勇者の聖痕だった。
「シン以外の人が勇者に選ばれればいいな」と、心の中では思っていた。
でも俺の願いは「主人公補正」の前には無力だったようだ。
「勇者──いや、神に選ばれし者であるオレは、お前ら凡人にとっては神そのものだ。だからオレにひれ伏せ、セイン」
「嫌だ、と言ったら?」
「力ずくでひれ伏させてやるよ……と言いたいところだが」
シンは肩をすくめた。
「まずは聖剣を手に入れてからだ。どうせ嫉妬にまみれたお前のことだから、オレの聖痕を偽物だとでも思いこんでるんだろう」
「そんなことは──」
「だから聖剣をひっさげて勇者の威光を知らしめる。それでもオレにひれ伏さないというのなら、そのときこそ力ずくで頭を下げさせてやるよ」
「それが勇者のやることか。弱い者いじめと同じだぞ」
「お前にいい言葉を教えてやるよ──”汝の欲することをなせ”。これは聖剣の台座に彫られている『神の御言葉』ってやつなんだぜ?」
それを言われれば何も言い返せない。
だが「汝の欲することをなせ」という言葉は、本当に言葉通りの意味なのだろうか。
「好き勝手やってもいい」という意味なのだろうか。
そういえば設定集でも謎のままだったし、ゲーマーの間でも色々と考察されていた覚えがある。
「オレが欲すること、オレがやること、それは全部神の計画通りってわけだ。ということでセイン、王都まで随伴しろ。そこで聖剣を抜いて持って帰る」
「なんで俺がついていかなければならないんだ。勇者だったら一人で王都に行けるだろ」
「お前は序盤で死ぬモブだけど、曲がりなりにも名前と固有顔グラがあるキャラだし、男とはいえ貴重な《回復術師》だからな。勇者であるオレが『使ってやる』って言ってんだよ」
「序盤で死ぬモブ……? 固有顔グラ……? どういう意味だ」ととぼけてみせる。
これはもちろん、俺の正体をシンに悟られないようにするためだ。
するとシンは「いや、お前には関係のない話だ。変なこと言って悪かったな」と謝ってきた。
その表情は妙に笑顔だった。
「それよりシン、よく聞け。いま王都に行くのは危ないんじゃないのか?」
「どういう意味だ」
「そもそも勇者というのは、魔王を倒すための存在──つまり魔王ありきの存在だ。勇者がこうして現れたということは、魔王がとっくに現れているということになる。魔王はまず弱点である聖剣を破壊するために、王都に侵攻をかけるんじゃないか?」
「っ!? 聖剣破壊のことすっかり忘れてたぜ……っていうかお前も転生者なのか!」
「転生者というのがどういうものか俺には分からない。だが少し考えれば誰でも予想できるはずだ」
魔王として覚醒した「存在」はまず、聖剣の破壊を目論む。
その理由は、どこにいるかも分からない勇者を探すよりも、安置場所が分かっている聖剣を狙ったほうが、効率よく人間側の勢力を削げるからだ。
魔王にとって最悪なパターンは、「勇者が聖剣を手に入れて強化されること」に他ならない。
魔王はそれを防ぐために、まず王都大聖堂に赴いて聖剣を破壊しに行くのだ。
勇者を探して殺すのはその後になる。
俺はそのことを、あくまで「推察」の体でシンに説明した。
するとシンは俺が現地人であると納得したらしく、「ま、お前みたいなモブに好き好んで転生するアホなんていないよな」と、俺の肩を叩いてきた。
はい、意に沿わぬモブ転生をしてしまったアホがここにおりますよ?
「とにかく、王都に行くのは危ないと思うんだが」
「お前アホだな」
シンは腕を組み、したり顔で言った。
「──魔王なんざ、聖剣で殺りゃあいいんだよ」
「今のシンに、それができると?」
「実戦経験を積んできたからな。レベル1の主人公とは違えっての」
確かにシンは、6年前の「リディアを賭けた決闘」に敗れたときからかなり鍛えている。
俺はひそかにそう思っている。
実は決闘直後から隠しダンジョン──「下層」に人が出入りしている痕跡が見受けられるようになったのだ。
合言葉が必要な下層に入れるのは、俺や魔王を除いてシンだけだ。
そのため、シンが下層で修行をしているということは、想像に難くない。
ちなみに、下層の存在はいまだ世間に広まっていない。
おそらくだが、シンは狩り場を独占したいがために、俺と同じく秘密保持契約をギルドと結んでいるのだろう。
「それに詳しくは説明できないけどな、今すぐここを出発すれば、魔王よりも先に王都に到着できるんだよ」
確かにシンの言うとおりではある。
魔王として覚醒したラスボスは下準備のため、すぐには王都侵攻をしてこないのだ。
「オレが大聖堂で聖剣を抜くう。で、ノコノコとやってきた魔王をぶっ殺していくう──ゲーム本編が始まる前にラスボスを殺るなんて、最高のRTAじゃねえか」
それも悪くないかもしれない。
学生だった頃の──ゲーマーだった頃の血が、徐々にではあるが騒いできた。
前世ではブラック企業勤務で消耗したあげく、現世ではゲームの序盤で死ぬモブ回復術師に転生してしまった俺。
血が滾る感覚はずいぶんと久しぶりだ。
王都に聖剣を抜きに行こうが街に引きこもろうが、結局勇者シンは魔王軍に位置を捕捉されて大軍を差し向けられる。
だったらシンに聖剣を抜いてもらって戦力を増強させたほうが、俺の生存率も上がるだろう。
また、王都には当然、精鋭の騎士たちがいる。
まあゲームでは国王が魔王の傀儡だったため、王国騎士のほとんどがプレイヤーの敵だったわけだが。
聖剣持ちのシンが魔王と対峙している間に、王国騎士たちが他の魔族と戦う。
……なんて展開も、この世界においては期待できるだろう。
問題は、シンが聖剣を抜くことができるかどうかだ。
「でも結局、シンは俺を屈服させたいから聖剣を抜きたいだけなんだろ? 魔王を倒すのはそのついで、ということだな。そういうのってどうなんだ」
「世の中結果がすべてなんだよ。過程なんざどうでもいい──ということで、リディアと一緒にオレの……いや、勇者パーティに入れ」
「リディアも巻き込むのか」
「お前はアホか。リディアはヒロインの一人で、クラスは《魔女》で、しかも高成長率で強キャラなんだぞ。一緒に戦ってもらうに決まってるだろ」
一応、シンの言うとおりではある。
俺としても、リディアがいてくれたほうが心強い。
実際、今のリディアは隠しダンジョンの最深部まで難なく行動できる。
もちろんリディアが新米冒険者の間は、ちゃんと実力に合わせて狩り場を用意して立ち回りを教えてあげていた。
しかしリディアには黒魔術の才能と、そして戦いのセンスがあったため、割と短期間で隠しダンジョンに連れていけるまでに達したのだ。
というわけでリディアはあの6年で、頼りになるほど強くなった。
だが、今までのやり取りを全部伝えた上で、リディアはシンに協力するだろうか。
「それにリディアを守りつつオレの活躍を見せつけてやれば──」
「げへへへ……」と笑うシン。
リディアに対して邪な感情を持っているのが、ひしひしと伝わってくる。
だが、俺がリディアを毒牙から守ってやればいいだけの話だ。
そしてリディアが万が一シンを選ぶようなら、それはそれで仕方のないことだ。
……って、なんでモブ野郎がこんなこと考えてるんだか。
「分かった。とりあえずリディアは呼んでくるが、こっちから全部事情を説明させてもらうぞ。その上でリディアに選択してもらう」
「へっ、しょうがねえな」
口元が歪んでいるシンのもとを去り、俺はリディアの家に行って事の経緯を説明した。
するとリディアは最初、「どうしてシンくんはそんなヒドいこと言えるんだろうね」と怒りを見せていた。
しかし話が魔王討伐の件に及ぶと黙り込み、目を伏せた。
「リディアは俺とシンについてきてくれてもいいし、ここで待ってくれてもいい。自分の意志で決めてくれ」
「セインくんが行くならわたしも行くよ」
「そんな決め方では連れていけない」
「わたし、本当のことを言うと、セインくんには王都に行ってほしくないし死んでほしくもない。けど今ここでわたしが止めたって、セインくんはシンくんについていって魔王を返り討ちにするつもりなんでしょ?」
リディアは俺の両手を握り、表情を引き締めて言った。
「だったらわたし、セインくんを守るよ。そのために今までがんばってきたんだし。それに、ついていかなかったことで後悔なんてしたくない。これはわたしの意志だよ」
「……分かった。ありがとう。頼りにしている」
「えへへ。こっちこそ、頼りにしてくれてありがとう」
俺はリディアを連れて、シンのもとに戻る。
するとリディアは真っ先に、シンに「聖痕が現れたってほんと?」と問うた。
シンが聖痕を見せびらかすと、リディアは「そっか……」と力なく返事し、なぜか俺の顔を見つめてきた。
16歳となったリディアは美少女に成長しており、俺の心臓を跳ね上げさせるほど可愛さに磨きがかかっている。
ライトブラウンの髪は肩の位置で切りそろえられており、丸みを帯びたボブカットとなっていて、小綺麗な印象がある。
背丈やお胸は幼少期からあまり成長していないが、むしろそこがリディアの可愛いところだ。
「ククク……二人でイチャつけるのも今のうちだぞ」
「俺たちは別にそんなつもりじゃ──」
「ごちゃごちゃ言ってねえでさっさと行くぞ!」
「セインくん、行こ?」
ということで俺たちは、その日のうちに王都エフライム方面の乗合馬車──異世界版路線バス──に乗車した。
そこから何度も馬車を乗り換え、宿を取りながら数日かけて道をゆき、そして俺たちはついに目的地に到着した……
◇ ◇ ◇
「ついに来たぜ、エフライム大聖堂によ……!」
王都エフライムにて。
荘厳な大聖堂を目の前に、シンの身体は震えていた。
どうやら興奮しているようだ。
まあ無理もあるまい。
勇者にのみ扱えるとされる聖剣を、もうすぐ手に入れることができるのだから。
「それにしてもセインくん。大聖堂、とっても豪華できれいだよね。何百年も前に建てられたとは思えないよ」
「そうだな……本当にびっくりした」
ゲームプレイ済みの俺でも、威厳に満ちた大聖堂の姿に驚きを隠せない。
なぜならゲーム開始前にはすでに、廃墟と化していたから。
だから、ここまできれいな大聖堂を見たのは初めてだった。
複雑な気持ちではあったが、目の保養にはなった。
大聖堂の中に入るといきなり、台座に刺さった聖剣が俺たちを出迎えてくれた。
というのも、聖剣は別に宝物のように大事にしまっておく性質のものではないからだ。
聖剣は基本的に《勇者》にしか引き抜くことができず、またよほどのことがない限り破壊不可能だ。
ゲームでは魔王によって破壊され、5つの欠片となって散り散りになってしまったが。
だから大聖堂は《勇者》の出現を待つべく、聖剣をこうして人々に開放しているのだ。
……そう母親から聞いていた。
「くそっ、やっぱり抜けなかったか」
「ハッ! そりゃアンタ、《勇者》じゃなくてただの《軽戦士》だからねえ」
それ故、大聖堂には聖剣を引き抜こうとする観光客も多くやってきている。
今も聖剣チャレンジに失敗した大男が、男勝りな女に背中をバシバシと叩かれていた。
「セイン、まずはお前から聖剣を抜いてみろ」
「いいのか?」
「ああ。どうせオレにしか抜けない代物だからな。ここまでついてきてくれた礼に記念受験させてやるよ」
満面の笑みで言い切ったシン。
そんなシンに、リディアは眉根を寄せる。
「シンくん。セインくんが聖剣を抜けなくても笑ったりしないよね?」
「べ、別にそんなつもりはないぞっ」
「ふーん、じゃあわたしが先に聖剣抜いてみるね? いいよね、セインくん?」
「別に構わないが……妙に張り切ってるな」
「えへへ」と言って、リディアは聖剣の柄に手を触れる。
そして顔を紅潮させながら「ふぬぬ、ぐぬぬぬっ……!」と細腕で引っ張り上げようとした。
「はあ、はあ……や、やっぱり抜けないね……」
「じゃあセイン、お前の番だ」
「シンくん、ニヤニヤしちゃダメだからね? わたしが抜けなかったときは何も言わなかったのに、セインくんにだけめちゃくちゃ笑うとか、そういうのはナシだからね?」
シンを諫めるリディア。
その視線はどこか冷ややかだった。
「べ、別にそんな事しねえよ……」とシンは返事したが、どうだろう。
俺は両手で聖剣の柄を握り、全身を使って引っこ抜こうとした。
するとなぜか、暖かな「何か」が俺を包んだ気がした。
「──リディア。君が聖剣を抜こうとしたとき、何か感じたか?」
「え、別に何もなかったよ? ……もしかして、セインくんは何か感じてるの!?」
「はあっ!? お、おいおいおいおい! まさか、そんなことがありえるわけねえよなあ!」
前のめりかつ上目遣いで見つめてくるリディア。
そして明らかに狼狽しているシン。
そんな彼らを見ていると、なんだか俺まで気分が高揚してきた。
俺は、リディアが感じなかった「何か」を感じ取れている。
心なしか、石の台座から剣が抜けていくような感覚まである。
「……ぬけたぁっ……」
思わず、間の抜けた声でつぶやいてしまった。
俺らしくもない。
「す、すごいよセインくん!」
突如として、リディアに抱きつかれる俺。
「わたし、どれだけがんばっても抜けなかったよ!? やっぱりセインくんが本当の勇者さまだったんだね!」
「あ、危ないから離れてくれ……!」
「えへへ、なんだかわたしまでうれしくなっちゃうな……!」
リディアに抱きつかれることは、二重の意味で危ない。
俺の右手には聖剣が握られている。
リディアを怪我させてしまう可能性だってゼロではない。
それに加え、俺の心臓が激しく脈を打っている。
今の状況は明らかにマズイ。
そう思ってリディアに「離れてくれ」と言ったのだが、リディアは気づいていない様子。
次第に観光客や司祭たちが「すげえ、本物の勇者に会っちまったぜ!」「さすがは勇者様です!」「俺も美少女に抱きつかれてえ!」「そこ代われ!」などと騒ぎ始めた。
そして──
「な、なんでモブ野郎が聖剣を引っこ抜いちまうんだよ……!」
ワナワナと震える、勇者シンの姿があった。