運命の女が僕の最愛を殺しに来る
そもそも『女神』の看板を背負うには、余りに雑な仕事なのではないだろうか。
運命の相手なんてものがいるのなら、もっと早くに知らせるべきだ。そうじゃなければ、いっそのことずっと僕を何処かに閉じ込めておけば良かったのに。
なんだって僕の恋愛事情で、世界の命運が決まらなきゃならないんだろう? 意味がわからない。
僕はその運命の相手とやらのお陰で、最愛の婚約者に最低の言葉を告げなければならない。
「シャーリー、エバンス。君との婚約を解消させてくれ」
なぜ……なぜ、こんなことになったのか。
幼い頃からの婚約者だったシャーリーが、目をパチパチとゆっくり二回瞬かせた。金色のまつ毛が、綺麗な空色の瞳を撫でる。うっすらと、涙の幕が張る。
「……受け入れます」
君はどこまで知っているんだろう。なぜそんなにも潔く受け入れられるんだろう。僕には、到底そんなことは出来やしない。
切り捨てられたのは僕の方なんじゃないかと、理不尽な怒りが湧いて来る。君に八つ当たりするなんて、一番許されないことなのに。
「僕には運命の相手がいる。君を愛することは出来ない」
シャーリーが僕に対して、初めての臣下の礼を執る。ふわりと揺れる金色の髪が、こんな時でさえとても綺麗だと思う。
顔が伏せられてしまって、もう視線さえ交わらないけれど。
泣いて縋ってくれたら良いのに。そうしたら『一緒に逃げよう』と言えたかも知れないのに。
怒って詰ってくれたら良いのに。そうしたら『仕方ないんだ』と言い訳が出来たかも知れないのに……。
何も言わずに、綺麗なカーテシーを崩さない君に、僕がかけられる言葉は多くはない。
「君に落ち度はない。どうか、幸せになってくれ」
僕に許された時間が終わる。何とかそれだけ口にして踵を返した。君の肩が小さく震えていたから、それだけで少し救われた気がした。
ことの起こりは二週間前のことだ。
本聖堂の大神官から、辺境の地に住む五歳の子供まで……神力を持つ全ての者に神託が下りた。
『異世界から聖女が来る』
大陸の西から蝕むように押し寄せている瘴気を、浄化する力があるらしい。もし本当ならば、文字通りの救世主だ。
聖女はこの国の誰よりも大切な存在となる。敬われ傅かれ、王国が続く限り最上級の待遇を保証されることが決定した。
その最上級の待遇の中に、王太子である僕の伴侶となることが含まれている。神託の中で厳命された。
僕は聖女の、運命の相手らしい。
聖女としての能力は、彼女の幸福度と比例する。
つまり僕は、聖女の能力を高めるため……聖女を幸せにするために彼女の伴侶となる。身体も心も捧げ、プライドも尊厳も捨てて、一生聖女を幸せにすることを義務として生きてゆく。
それって、男娼兼太鼓持ちっていうんじゃないかな。
きっと国が滅びるかどうかの瀬戸際で、愛だ恋だと言っている場合じゃないんだろう。もともと、貴族や王族の結婚なんて多かれ少なかれ、そんなもんだ。
隣国へと嫁いだ第一王女だって、全てを呑み込んで笑って旅立って行った。今更だけど、なんて強い人だったんだろう。もっと孝行すれば良かった。
『聖女はとても可憐なお姿をしておられます』
『気さくで気取らないお人柄です』
だったら何も知らずに顔を合わせ、聖女に一目惚れする方が良かった。婚約者がいるにも関わらず、他の女性にうつつを抜かす、愚か者になった方が良かった。
その方が、僕を含めてみんなが幸せだっただろう。
シャーリーだって僕に愛想を尽かしてしまえば、さっさと次の恋へと歩き出せるに違いない。女神はどうしてこんな雑な神託を下したのか。
僕も、シャーリーも……神聖力を持っているのだ。舞台裏を隠すくらいの手間を、なぜ惜しんだのか。
もうじき、僕が君を裏切る瞬間がやって来る。聖女が現れたらすぐに顔合わせだ。茶番の用意は、この上もなく整っている。
* * *
「聖女殿、ようこそベルトランド王国へ。どうかあなたの慈悲をもって、この国をお救い頂きたい」
「嘘……めっちゃイケメン……! あの、えっと……アリサです! よろしくお願いします!」
初めて顔をあわせた聖女は、僕の顔を見るなりグッと拳を握りしめた。殴り掛かられるのかと一瞬身構えたが、どうやら喜びの表現らしい。異世界の文化に首を傾げたくなるが、それはきっとお互い様なのだろう。
「僕はリーンハルト・リュカ・ベルトランド。あなたがこの国で心穏やかに暮らす為のサポート役を仰せつかった。何かあったら頼ってくれ」
跪いて彼女の手を取り、自分の額に持っていく。この国の、敬うべき相手への挨拶だ。主に男性から女性へと行われる。
「うっ……ナニコレ……鼻血出そう……! 生王子、すごい……」
聖女は齧歯類のような女性だった。小柄なくせに姿勢が悪く、よく動く口で若干意味のわからないことを独り言のように繰り返す。知性とは縁遠いが、確かに愛らしいと言えないこともない。
おそらくは、自分の境遇を理解していない。そのふわふわとした興奮状態には、挙動不審で稚拙な印象を抱かざるを得ない。だが、確かに神殿の人間が言っていた通り、腹芸が出来るような人物には見えない。
この人を、一生涯面倒を見てゆくのか。それが僕の運命だというのか……。
* * *
聖女との顔合わせから、三ヶ月が過ぎた。彼女は無事に僕に夢中になった。日に日に聖女としての能力は高くなっている。この調子なら、我が国の瘴気は近いうちに浄化されるだろう。僕は自分の役割りをこなせているようだ。
ところが聖女は、どこからか僕の元婚約者の話を聞いて来たらしく、シャーリーを目の敵にするようになった。
聖女はシャーリーを『悪役令嬢』と呼んだ。僕と聖女の運命を邪魔する悪女という意味らしい。
聖女の独占欲は日に日に強くなっている。いくら『もう婚約者ではない』と説明しても、『悪役は断罪されるべき!』と言って譲らない。
『ネチネチとシャーリーを虐めているのは自分だろう! お前が悪役だ!』
……そんなことは言えっこない。この国は既に、戻ることが出来ないほどに、聖女の力に依存している。
庶民の間で僕とシャーリーの婚約破棄は、僕が聖女との真実の愛に目覚めたからだと噂されているらしい。婚約者がいるのに他に愛を見つけるなんて、そんなのただの浮気じゃないか。
真実の愛が聞いて呆れる。
真実など何も知らずに、シャーリーを貶める噂を顔を歪めて話す人々が汚物のように見える。僕とシャーリーは、こんな奴らのために犠牲になったのか。
「殿下……このままではシャーリー嬢がこの国で安全に暮らすことは難しくなります。どうかご決断を」
シャーリーを『追放』を隠れ蓑にして、隣国へと逃す計画がある。それが良いかも知れない。彼女はこの国ではもう、幸せにはなれないだろうから。
僕の運命の女が、僕の最愛を害する。なんて悪夢だよ。
せめてシャーリーの幸せを祈ってやりたいけれど、何に祈れば良いのだろう。神も女神も、僕らを苦しめている張本人だ。
最近僕は、聖女を前にすると顔が引き攣って上手く笑えない。聖女の話に相槌を打つことさえ苦痛でたまらない。
もう勘弁して欲しい。
シャーリーが国を去ったその日……僕は宮廷薬師に、禁止薬物の調合を依頼した。それを飲めば、シャーリーを想う気持ちも、聖女を疎ましく想う気持ちも、消えてなくなる。
道化を演じ続けるには、他に方法が見つからない。
もう耐えられないんだ。
惚れ薬を……頼むから、惚れ薬をくれ。
おしまい
読んで頂き、ありがとうございます。少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
☆や、いいねで応援して下さると、今後のモチベに繋がります。感想も大歓迎です!
作者のマイページから『お気に入り登録』をすると、活動報告何届きます。
よろしくお願いしますね!