師匠の外界調査7
蝕人鬼によって砕け散った牢屋は虹色の燐光となり宙に溶けていく。
本来であれば継続的に魔力を注がなければいけない物をそうしていなかったのだから、仕方ないと言えば仕方なかった。
とは言え、ここまで早く破られた要因には蝕人鬼の能力の高さが大いに関係している。これが普通の生物相手ならもう暫くは持った筈だ。
そんな高い能力を持つ蝕人鬼だったが、自身の周りを覆っていた牢屋が完全に無くなったことを確認するも、二人に攻撃を仕掛けようとはしない。ただただ、その大きな目で修と光之助を睨みつけるのみだ。
「すみません。予想よりも保ちませんでした」
「構わない。予想通り、効いている様だしな」
その光之助の言葉が意味するのは、肉体的なダメージでは無く、精神的な部分であった。
幾多もの魔術師や探索者を退け、生き残ってきた特異個体だからこそ、一度でも痛い目を見れば、その後は慎重になると言うのが、光之助の読みだった。
そして、それは見事に的中した。
あれほど無茶で無鉄砲な攻撃を見せていた蝕人鬼が、ここに来て慎重に様子を見ると言う行動を取ったのだ。
当然、隙を見せればすぐ様飛びついて来るだろうが、そんな隙を見せる様な二人では無い。それに、あと少しだけ時間を稼ぎたい二人にとってはこの状況は非常に都合が良い。
そして、間も無く二人はその「あと少し」を稼ぐ事に成功した。
その睨み合いが少し続いたのち、夢からの無線が二人に届いた。夢達が追いついてきたのだ。
「葛西さん、日比谷さん!お待たせしました。約二十秒でポイントです。カウントは十秒からいきます」
「了解だ」
夢の無線に光之助はそう返すと、目線は蝕人鬼から離さないまま修に話しかける。
「日比谷さん、Aプランでいこう。手順は大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
そんな修の間のない返事に光之助はふっと笑みを浮かべる。
「愚問だったな。それでは、任したぞ」
修は頷くと身を翻し、光之助を置いて合流ポイントへと移動し始めた。
その移動最中に修は二つの魔術の準備を行う。
一つは自身の固有魔術とも言える「結界」。もう一つは仕込みに使う為に光之助より指示のあった魔術だ。
後は光之助がうまく蝕人鬼を釣り出して、罠に仕掛ければ終いだ。
そして光之助は蝕人鬼を釣り出し罠に掛けるためにその場に留まっており、蝕人鬼との睨み合いは未だに続いていた。
修が光之助から距離を取ったのは、警戒心の上がった蝕人鬼を釣り出すためでもある。
軍隊蜘蛛と蝕人鬼をぶつけるための策を蝕人鬼には、最終的に光之助に攻撃を仕掛けてもらわなければ困るのだ。
しかし、蝕人鬼の警戒心は想像以上に高くなってしまっていた様で、光之助の様子を窺うばかりで攻撃をしてくる気配は無い。
光之助の位置から合流ポイントまでは目と鼻の先だ。とは言え、蝕人鬼と軍隊蜘蛛をぶつけるには僅かに遠い。
このままでは軍隊蜘蛛に蝕人鬼をぶつけるタイミングを逃してしまう。
「仕方ない……。少し釣るか」
光之助はそう呟く。
そして光之助は随分とわかりやすく、あえて蝕人鬼から目線を外した。
そして、そんな対人戦では通用しなさそうな分かりやすく作られた隙ではあったが、光之助に相当な敵意を抱いているであろう蝕人鬼には効果的だった。
蝕人鬼はその隙に敏感に反応し、すぐ様攻撃態勢へと移っていた。
「カウント開始します。十」
そして、夢のカウントがスタートする。
蝕人鬼は光之助の隙を逃さんと白い肌の赤色の模様を怪しげに光らせながら光之助へと猛進する。
あえて作った隙で不覚を取るわけもなく、光之助は落ち着いた様子で、距離を詰めつつある蝕人鬼に牽制の魔術をいくつか放つ。
しかし、スピードに乗った蝕人鬼はその俊敏性。生かして軽々とそれらを避ける。
「九」
「もう少し引き付けるか」
あれほどの警戒心がありながら、こんな分かりやすい隙に蝕人鬼がここまで釣られるのは光之助としても想定外だった。
とは言え、罠に掛けるにはまだ少し早すぎる。となると時間を稼ぐしかなかった。
光之助は息を一つ吐くと、ふわっと宙に浮き上がると、後方にゆっくり飛びながら牽制にと魔術を放つ。
「八」
牽制の魔術をジグザグに跳びながら躱し、光之助との距離を詰める蝕人鬼に対して、ここで光之助は打って出た。
一気に加速し、蝕人鬼との距離を自ら詰めたのだ。
急に自身へと突っ込んでくる光之助を見るや否や、蝕人鬼はすぐに足を止め、触手を伸ばして串刺しにしようとする。
光之助はそんな無数に襲いくる触手の間を縫うように飛び、蝕人鬼との距離をどんどんと詰めていく。
「七」
「多少の痛みも必要だろう」
光之助はそう呟くと、触手を掻い潜りながら自身のロングソードに魔力を込める。
込められた魔力に呼応するかのようにして、中央を除いた周囲の刃の部分だけが、その色を消して透けていく。
そして今、光之助の手にあった何の変哲もないただのロングソードは透明な薄く光る刃を持った魔法剣へと変貌していた。
「六」
「これは少し痛むぞ」
そして光之助は触手の攻撃を潜り抜けると一気に高度を下げる。
そひて、蝕人鬼とすれ違う様に飛びながら、そその横っ腹を一文字に切り裂いた。
たちまち、蝕人鬼の青白い肌には一筋の切り傷が生まれ、赤黒い血が吹き出した。
「五」
「ーーー!!!」
蝕人鬼が腹の底まで響くようなガラガラとした不快な鳴き声を上げる。
「日比谷さん!」
「了解」
そんな蝕人鬼を置いて、光之助はすぐ様空中で反転すると、そのまま合流ポイントの少し手前まで戻ってきた。
「四」
光之助の視線の先では随分と頭に血が登った様子の蝕人鬼その脇腹の傷を再生し切ったところだった。
「さて、終わらせるとしよう」
光之助が不敵な笑みを浮かべると、「閃光」などをはじめとした魔術を幾つも牽制とばかりに放つ。
その視線の先では模様を赤色に発光させながら猛スピードで光之助に突っ込んで来る蝕人鬼がいた。
「三」
修の視線の先には、大量の軍隊蜘蛛を連れた夢達がいる。その先頭を走る兵吾に修は一言声をかけた。
兵吾ならその一言で自分がやりたいことが伝わるだろうと言う確信があった。
「結界だ」
「なるほど」
予想通り、兵吾はそれで全てを察して魔法陣の構築を始める。
「ニ」
そして、兵吾はたった一秒で魔法陣を構築すると、二人の魔術が行使された。
『結界ーー』
『火ノ帷』
軍隊蜘蛛は突然目の前に現れた透明の壁を躱すことなど叶わず、そのまま続々と壁にぶつかり、詰まっていく。
そして、修の魔術とほぼ同時に炎の幕が地面より吹き上がり、無数の軍隊蜘蛛を焼きながら兵吾達と軍隊蜘蛛を完全に遮断した。
「一」
そして、夢達と修が合流ポイントに到達し回避ルートに入るところで、蝕人鬼と光之助の戦いにも決着がつこうとしていた。
蝕人鬼は光之助が放つ幾つもの牽制魔術を躱しきり、光之助を自身の間合いの内側へとおさめた。
そして、魔術に専念しすぎたのか無防備に突っ立っている光之助へとその凶悪な爪を振るった。
「?」
蝕人鬼の爪は確かに光之助を切り裂いたかの様に見えた。
しかし、蝕人鬼の腕は一切の手応えを感じず、当然そこにある筈の光之助の死体も血肉も存在しない。
確かに切り裂いた筈の光之助の姿はまるで霞の様に掻き消えていた。
「零」
そして、夢のカウントダウンが終わりを告げた。
「日比谷さん。いい魔術だ」
そして、蝕人鬼の攻撃に切り裂かれた筈の、光之助の声は合流ポイントから響いた。
そして、光之助の声に反応し、その場でキョロキョロと光之助の姿を探す蝕人鬼の後方に大きな魔法陣が浮かび上がった。
そして、自身に背を向けて、調査隊の方へと歩く光之助の姿を見つけた蝕人鬼が、再度攻撃をしようと一歩踏み出した瞬間、光之助の詠唱が響いた。
『波動風』
音を一瞬置き去りにして、魔法陣から波動が飛び出る。
それは、蝕人鬼の巨体を持ってしても抗え無いほどの威力だった。
一瞬で蝕人鬼は炎の幕と結界を乗り越えだした軍隊蜘蛛の群れの中まで吹き飛ばされた。
「えぐいですね……」
「あれでもかなり威力は抑えているぞ」
「え?」
調査隊メンバーと合流した光之助の返事に若林が呆気に取られた顔を浮かべる。
「さて、行くぞ。これで撒けなかったら話になら無い」
そんな若林の反応に軽い笑いを浮かべると、光之助は路地の奥へと足をすすめ、調査隊メンバーもそれに続いた。




