師匠2
「見込み違いでしたか……」
そう呟く背信者の視線の先にはドロドロとした液体で覆われた球体があった。
その中には防御魔術ごと飲み込まれた修がいて、その命もあと僅かと言うのが背信者の見込みであった。
背信者は落胆のため息を吐く。
修の魔術の扱いや刃狼を手懐けると言う前代未聞のことを成し得ていたことから、背信者が修にかける期待は非常に高いものとなっていた。
それだけに、あの程度の魔術でやられてしまう修と言うのは期待外れと言わざるを得なかった。
背信者は名残惜しそうにチラリと自身の魔術にもう一度目をやる。
そして、修が魔術を打ち破った形跡が無いことを確認すると、見習い達を探す為に周囲を見回そうとして、突如その場から飛び退いた。
「危ない危ない。これが成獣でしたら私は死んでいたでしょうね」
そう言ってハットを抑えながら立ち上がった背信者の視線の先には、牙を剥き出しにしてグルグルと唸っている刃狼の姿があった。
その足元には五本の深い爪痕が残っており、大人一人程度は簡単に引き裂けることを物語っていた。
「と言うことは逃げられましたか」
至って平坦なトーンでそう言う背信者の視界には既に雪達五人の見習いと響子の姿は見当たらない。
刃狼のことを考えれば隠蔽系の魔術を使って隠している可能性もあるが、今の背信者の興味は既に刃狼に移っていたため、大して気にもしていなかった。
「私も連戦でそれ程余裕はありませんが……。刃狼と戦う機会なんてものを逃す手はありませんね」
そういうと背信者は瞬く間に魔法陣を構築し、黒刃をその中から射出した。
刃狼はフンッと鼻を鳴らすと、その前足をその刃に向けて振るう。
刃狼の巨体すら両断できそうな刃であったが、刃狼の前には歯が立たず、逆に刃が刃狼の爪により両断されることとなった。
刃狼はそのままその巨体からは想像できない様な軽やかさで一足で背信者の下へ飛び掛かると、その凶悪な爪を振るう。
「まぁ、この程度の魔術では敵いませんよねっと」
背信者はそう言いながらそれを後方にステップしながら回避。そのまま、すぐさま魔法陣を構築する。
「『花焔』」
その言葉と共に魔法陣から幾つもの火の玉が打ち出され、まるで花びらが散る様に刃狼を中心に舞い落ちる。
刃狼はその火の玉の間をするすると潜り抜けるように躱していくも、地面に落ちた火の玉の爆発が刃狼を掠めていく。
しかし、刃狼の体を爆発の余波程度で傷つけることは叶わず、刃狼はいとも容易くその花吹雪を躱し切ると、魔法陣を二つ構築する。
そして、すぐさま魔術によって生み出された鋼の槍を背信者へと打ち出す。
「これはこれは……」
その洗練された動きに背信者は感嘆の声を上げる。
流石の背信者といえども、人の胴体ほどある鋼の槍を剣で捌くのは難しい。
背信者はその槍を体を逸らすことで躱すと、続いて自信に迫っていた刃狼の爪に剣を合わせて、その反動をも利用して後ろに飛んで回避する。
その動きを見た刃狼は低い声で一吠えすると、間をおかず背信者に追撃をする。
後ろに引いた背信者が牽制とばかりに打ち出した無数の魔力弾をステップの回避とその体長程ある長い尻尾で打ち払いで蹴散らすと、更に背信者へと突き進む。
そして、背信者を自身の攻撃範囲に収めた所で、背信者に向けて白銀の毛を持つ長い尾を振るう。
すると、つい先程までは艶のある美しいフワフワとした尾の体毛が、一気に硬質化して白銀の刃になって、背信者に襲いかかる。
そしてそれは当然見た目だけではない。
背信者が構えた剣にその尾が当たると、金属同士がぶつかり合ったような音が響き、そして背信者が大きく弾き飛ばされた。
そして、そんな無防備な背信者に刃狼がさらに猛追する。
そして、吹き飛ばされて地面に手をついた無防備な背信者にその爪を振り下ろそうとして、途端その体が止まった。
「掛かりましたね」
そう言うと背信者はゆっくりと立ち上がる。
よく見れば刃狼の足元には魔法陣が浮かんでいて、薄紫色をした半透明の荊が刃狼の体に絡みついていた。
「本当は風音様に対しての罠だったのですが……。こんな所で活きるとは思いませんでした」
そう言うと背信者はゆっくりと刃狼の周りを歩き始める。
そんな背信者を前に刃狼は自信に絡みついた荊を引きちぎろうともがく。
「設置型の六等級魔術を力づくどうにかしようなんて思わないことです。成獣の刃狼でしたら可能かもしれませんが、あなたはまだ子供のようですしね」
煽るようにそう言う背信者に刃狼は牙を向いて噛みつこうとするも、荊からは逃れられない。
「これはこれは……。刃狼は人の言葉も解すると聞いていましたが、事実のようですね」
そう言いながら、背信者は刃狼の目の前に立つと剣を両手で握る。
「申し訳ありませんが、私は外獣に情けをかけることはしません。ちょうどいい手土産にもなりますし、ここで死んでいただきましょう」
そう言って、背信者はその剣に魔力を注ぎ込む。
そんな背信者を前に牙を剥いて、恐ろしい表情はしているものの暴れもせず自身を睨みつけるているものの、刃狼に背信者は口元に笑を浮かべる。
「これはこれは……。随分と潔い。流石知能が高いだけありますね。人間でないのが惜しい所です」
そうして魔力を込め終わったのか背信者はその剣をゆっくりと上段に構えた。
「それでは……さようなら」
そう言って背信者は剣を振り下ろす。
そしてその剣が刃狼の首を斬り落とさんとしたまさにその瞬間、突如刃狼を捕らえていた荊が消失し、刃狼は素早い動きでその場から飛び退く。
「なに!?」
背信者は驚きの声を上げるが、振り下ろした剣を止めることは叶わない。
振り下ろされた剣はそのまま強く地面を叩き、それと同時に強い衝撃波が生まれる。
そしてそれと同時に、背信者に向けてどこからともなく剣が一閃される。
微かな気配を感じとっていた背信者は体を投げ捨てるように飛び退き、その剣をかろうじて躱す。
そして、その崩れた体勢をすぐさま立て直し、続け様に振られる剣を何とか回避しつつ、魔術を立て続けに打ち出し牽制し、追撃を振り切る。
「驚いた。あれを避けて、しかも魔術まで使えるとはな」
自身に向けて打ち出された雷の魔術を剣で打ち払った修が本当に驚いた様子でそう言う。
「それはこちらのセリフですよ」
背信者は腹部を押さえた手が血で汚れているのを見て、嬉しそうにそう言った。
それ以外にも浅い傷はいくつもあり、先程の一連の攻撃で軽くないダメージを負ったことが分かる。
そのダメージを追いながらなお、剣を握り構えようとした所で修から待ったがかかる。
「おっと。出来ればそのまま動かないで欲しいんだがな。こちらとしてもお前を生かして連れ帰らないと行けないんでな」
「なるほど。詰みということですね」
背信者は自身の後ろから響く唸り声を聞いてそう言った。
背信者自身は至って平気そうにしているが、腹部から零れ落ちる血を見るとそれなりの傷であることは明白だった。
しかしその傷を治そうとも、血を止めようともせずに嬉しそうにしている様子は修からみても狂ってるとしか思えなかった。
「どうやらその子も随分と気が立っているみたいだからな。暴れたら俺も止められん。喰われないようにしてくれ」
そんな軽口を飛ばす修を刃狼は軽く睨むと一吠えする。
どう見ても修とは主従関係ではなく対等のようであった。
「それじゃあ、大人しくしておいてくれよ」
そういうと修は背信者の足元に魔法陣を構築する。
普通の相手であれば催眠系の魔術だけで事足りるのだが、背信者のような相手だと万が一もあり得る。
それにしても高位の魔術師であればあるほど、魔術への耐性が高く、掛かったとしてもすぐ起きてしまう可能性もある。
そのため、修はまず拘束用の魔術を使用することにした。
「『宿木』」
その詠唱と共に、背信者の背後にあった魔法陣から木の幹が伸びると、その体を縛るように幹から枝葉を伸ばしていく。
そして、ものの数秒でその体を木の幹に縛り付けてしまった。
背信者を完全に縛り付けると同時に、木の幹は地面から抜けてしまい、背信者の体ごと地面に転がる。
幹も太く大きく、背信者自身も手と足をぴくりとも動かせないほど完全固定されているため、身動きが取れないため大人しくしている。
「これはこれは……。怪我人相手に随分と荒っぽい」
「近づくと何されるか分からないからな」
修はそう言いながら魔法陣を構築し始める。
「所であなた様はどうやって私の魔術から抜け出したのですか?」
「素直に教えると思うか?」
「いいえ。ですが、真っ当な、というよりまともな手段ではないことがその答えでわかりました」
その返しに修はやりづらいなとばかりに舌打ちをした。
そのお返しとばかりに修は皮肉めいた別れの言葉を口にする。
「それじゃあな。次会うことはないだろう」
修は魔法陣を構築し終わるとそう言った。
修にしては珍しくどちらも六等級の魔術でしかも抜けがないように構築しているため、例え高位の魔術師であっても拘束から抜け出すのは非常に難しいという程のものだ。
そんな魔術と修を前に背信者は不敵な笑みを浮かべた。
「いえ、必ずまたお会いできるでしょう」
そう言った瞬間、今まで姿も形もなかったはずの魔法陣が背信者の体の下に浮かび上がる。
「なっ……!」
「それでは」
その声に修も慌てて魔術を行使しようとするが、その時には手遅れだった。
虹色の燐光が背信者を包んだかと思うと、そのまま一度強く発光し、その姿は一瞬で掻き消えた。
「はぁ……」
修はいまや抜け殻同然となった、木の枝と幹を見つめると剣の召喚を解除して、ため息をついた。
その視線の先には不自然な血溜まりが映っていた。
「血を魔力で操作して固めて設置型魔術を構築するなんて想像できるかよ」
その血溜まりをよく見れ、ば所々が不自然に盛り上がって固まっていて、それが魔法陣をかたどっていたのが分かった。
血を魔力で操作するなんてことがそもそも常識外であるし、なによりそれによって構築難易度の高い設置型魔術の魔法陣を描くなんて、修には想像すらできなかった。
魔力を使えばある程度物質を操作することが可能ではあるが、設置型魔術の魔法陣の構築という精密さを求められる作業には向いていない。
そんな例外が積み重なった訳であるから修が気が付かないのも仕方が無いと言えた。
「まぁ、こればっかりは仕方ないか」
と軽く言う修の背後から突如ふさふさの尻尾の一撃が飛んでくる。
「いてっ!!」
いくら硬質化していないとは言え、刃狼の尻尾でそれなりの勢いで叩かれればかなりの威力になる。
たたらを踏んだ修が振り返って、刃狼を睨むと刃狼はフンッと言った様子でそっぽを向いている。
昔からこの刃狼は響子には随分と懐いていて、修のことは対等か下だと思っている節があった。
「久々に会ったと言うのに随分な扱いだな……」
そんな修の言葉にもそっぽを向いたまま刃狼はゆっくりと歩き出し、早く行くぞとばかりに、修に少し振り返り、小さく吠えるとまたその歩みを進める。
「はいはい。お疲れさん」
修が刃狼の後に続いて歩き出し追いつくと、刃狼の体をポンポンと優しく叩く。
そんな修の労りに刃狼の尾が機嫌良く大きく振られたことに修は気が付かないまま、二人は響子と見習い達と合流すべく足をすすめるのであった。




