覚悟3
背信者のその速度は、響子にも匹敵する程のものだった。
それこそ見習い達からすれば、十メートル近い距離を瞬間移動したようにすら見えただろう。
その速度で移動できる響子は当然、それを目で追うことができた。
そしてまさに今、自身に向けて突き出されようとしているステッキの動きも見えている。
しかし、負傷した今、攻撃をしっかり受け止められるかと言われれば、そうではない。
負傷が悪化することを嫌った響子は受け止めるのではなく、回避を選択した。
背信者によって横殴りに振られたステッキを響子は体をスウェーさせることで躱す。
前髪の何本かが散っていくのを視界の隅で見ながら、響子は半ば崩れた体勢のまま、地面を強く蹴る。
そうやって、響子が後方へと飛ぶように退くと一瞬遅れて、その場所に背信者のステッキが振られた。
「これはこれは……」
自身の攻撃が完璧に躱されたと言うのに、背信者は随分と嬉しそうにそう呟いた。
そして、ステッキを手元でくるっと回すと、ゆっくりと地面についた。
「ようやく本気を出せると言った所でしょうか?」
「さぁ、どうでしょうね」
楽しそうに語る背信者に響子は素っ気ない返しをするも、背信者は依然と楽しそうなままだ。
今、響子に時間を与えるのは、背信者にとってはマイナスの面しかない。
響子に回復の時間を与えているだけだからだ。
「ご安心下さい。私はそんなに急ぎませんから」
「随分と余裕ね。いったい何が目的なの」
何を考えているのか、という響子の思考を読んでか、背信者はのんびりとそんなことを言う。
響子には圧倒的に情報が足り無かった。
背信者の目的も分からなければ、組織に所属しているのかも、個人なのかも全くもって不明だ。
ただ分かるのは、彼がバトルジャンキーであると言うことだけだ。
「目的……ですか。私としては貴方様のような魔術師と出会うことが目的ですが」
「それは貴方個人としてでしょ?」
「それは、私の口からは言えませんね」
これで、背信者が何らかの組織に所属しているか、仲間がいることが濃厚となった。
勿論、騙るための言葉とも考えられるが、今までのやり取りからして、そんな小細工をするようには響子には見えなかった。
それに、ここまでの一連の行動と名前からして、組織の指示に忠実というようには全く覚えなかった。
「それでいかがでしょうか。お怪我の方は」
「まぁ、万全ではないわね」
「確かに、万全な動きとは言えないでしょうね。ただ、先ほどの動き、負傷によって動きのキレは確かに鈍ったご様子ですが、判断力が随分と良かった」
「それはどうも」
響子の素っ気ない返しを気にもせず、背信者の語りは続く。
「それまではあのような大胆で派手な動きは見られませんでしたし、随分と窮屈そうでしたから。負傷が原因でしょうか……。いえ、そうではない」
「何が言いたいの」
響子は目を細めてそういう。
「やはり、あなた様は一流の魔術師です。風音響子さん」
「どう言うことよ」
「何、貴方様があの魔術師の卵達を見捨てた事は、素晴らしい判断だと言っているのです」
「見捨ててなんか……」
「隠すことなんてないのです。強い者が弱き者のために死ぬなんて事はあってはならないのです」
「うるさい……」
響子は唸るように言う。
そんな響子の様子を気にした様子もなく、背信者は言葉を続ける。
「自分よりも弱いものを助けて死ぬだなんて、無駄死に以外の何物でもありません」
その言葉で響子がふっと表情を消して俯く。
「お前に何が分かる……」
背信者でも聞き取れないほど、小さな声で呟かれたその言葉と共に、響子が纏うスパークが一段と激しく鳴る。
「ん?」
そんな響子の様子に背信者が首を傾げる。
「私はもう二度と失わない」
その言葉と共に、響子の纏っていたスパークが爆ぜる。
そして、彼女が常時纏っていたスパークはその鳴りを潜め、代わりに彼女は僅かに白く発光したオーラのようなものを纏っていた。
時折青いスパークが走っており、その白いオーラも含め、一目で異常であることがはっきりと分かった。
「これはこれは……。そんな力を隠していたとは」
しかし、背信者の様子は変わらない。
先程までであればそんな背信者の言葉や様子にも苛立ちを覚えていただろうが、響子は今いい意味でキレていた。
見習い達の様子を軽く確認する。
彼らも彼らで立ち直ったのか、鬼と正しく向き合っていた。
「すぐ終わらせる」
そういうと、響子は手に持っていた剣を捨て、自身の本当の獲物を召喚する。
手に現れたのは、白みがかった半透明の刀身を持ったシミターだ。
無駄なガードなどはついておらず、グリップもシンプルな作りであるが、その刀身の色も相まって芸術品のようだった。
その剣を見て背信者は口元に深い笑みを浮かべた。
「楽しめそうですね」
「遺言はそれでいいのね」
そんな言葉と共に響子の姿が掻き消える。
そして次の瞬間には激しいスパークと共に背信者が本能的に突き出したステッキに響子のシミターが打ち付けられていた。
響子はそのまま鍔迫り合いには持ち込まず、すぐさまか剣を引くと、体勢を変えて低い姿勢からシミターを切り上げる。
あの背信者ですら余裕は消えていた。
早すぎてもはや見えていない響子の切り上げを感覚のみで体を逸らし躱すと、そのまま雑にステッキを横に振るった。
先程までであれば簡単には対応出来なかった攻撃であるが、今の響子にとってはそれを捌くことは容易かった。
既に剣を引いていた響子はそれを剣を合わせることで受け流す。
そして、そのまま左手の掌底を背信者に繰り出した。
それは激しいスパークを伴って背信者の腹部を打ち抜くと、その体を十メートル近く吹き飛ばした。
まるで人形のように飛ばされた背信者は地面をゴロゴロと転がるも、途中で足を踏ん張り、体を止めた。
そして、ゆっくり立ち上がろうとして、軽く咳き込んで口から血を吐いた。
「これはこれは……。随分とやられましたね」
彼は自身の腹部に目をやると、折角のスーツは焼き切れたのか腹部の部分だけ綺麗に無くなっており、そこから覗く肌は焼け爛れていた。
それをあまり気にした様子も見せず、こんな好機にも関わらず、攻めてこない響子の姿を視界に入れて背信者は少し残念そうに呟いた。
「それはあなた様も同じですか」
その視線の先には、いつのまにか治っている左手を胸に当て、激しく咳き込んでいる響子の姿があった。
響子の口の端には僅かに血がついていて、内臓が損傷していることが窺えた。
「その技は随分と体に負担がかかるようですね」
そう言いながら、背信者は腹部に治療魔術を使用する。
その姿を視界の隅に映しながら、響子は呼吸を整えようとする。
それにしても負担が大きいこの技を、万全ではない体ではそう長くは使えないことを響子は身に染みて理解していた。
「お願い……。もう少し持って……」
響子は一度深く息を吸うと、なんとか呼吸を整える。
そして、その頃には背信者の腹部の傷も幾分マシにはなっており、彼は響子を待ち構える仕草を見せた。
「このまま終わりなんて、勿体ないことはやめて下さいね」
そんな余裕のある言葉を言う背信者に、響子は言葉を返さず、剣を握り直した。
響子の姿が一瞬で掻き消え、稲妻の残滓だけがその跡に残る。
そして、その姿が見える頃には背信者に向けてシミターが振り下ろされていた。
その早さを持ってしてなお、背信者はしっかりと響子の動きに反応していた。
振り下ろされたシミターを半身を引くことで回避、続いてそのまま手首を返して斬り上げられたシミターをステッキを合わせて受ける。
響子の狙い通りだった。
響子はシミターに魔力を注ぎ、無詠唱で魔術を行使する。
そんな響子の様子に気がつかない背信者はそのまま、シミターを力で押し退けようとするも、突如シミターから青いスパークが走り始めたことで異変に気がついた。
背信者が反射的に体を投げ捨てるように後方へと飛び退いた瞬間、その場に大きな雷が落ちた。
「っはぁ……。はぁはぁ……」
響子は左手を胸に当てながら、荒い呼吸をする。
雷のダメージではなく、今彼女が使っている術による影響だ。
一方で、その視線の先には服や帽子が所々焼け焦げた姿の背信者が床にステッキをついて、立ち上がった所だった。
「これはこれは……。恐ろしい技だ」
背信者は咳き込みながらそう言う。
辛うじて直撃は避けたものの、間接的に被雷した背信者も無事とはいかなかった。
後少しでも背信者の回避が遅れるか、背信者の防御魔術が間に合っていなければ、背信者は炭になっていただろう。
何より、響子が万全であればあの雷の発動も更に早かったはずだ。
背信者も今でこそ体に痺れがあるだろうが、それも僅かな間のはずだ。
一方で、響子は大技も使ってしまい、更に体への負担は重く積み重なっている。
だが、まだ耐えられる。
響子は決して絶望などしなかった。
ジョーカーは切ったが、まだ手札はある。
見習い達のことも含めてきょにはまだ死ねない理由がある。
「負けてやるもんか……」
響子は深く息を吸うと、呼吸を落ち着かせると、背信者を睨みつける。
その背信者も痺れが取れたようで、手を閉じたり開いたりしながら、その響子の挑戦的な視線を受け、口元に笑みを浮かべた。
「さて、次は何を見せてくれるのですか?」
そんな強気な背信者の言葉に響子は大胆な笑みを浮かべると鼻で笑った。
「そう言ってられるのも今のうちよ」
気を抜くと膝が笑いそうで、シミターを持つ手にも力がうまく入らない。
体もだるく、全身に鈍い痛みがある。
そんな状況でも響子は笑ってみせた。負ける気はなかった。
「これは楽しくなりそうですね」
背信者のその言葉を最後に、上位の魔術師同士の戦いが始まる前の独特な張り詰めた空気が広がる。
そして、ふっと響子の体が揺れると同時にその空気が一気に破裂する。
音も置き去りにするような速さで響子は背信者へと詰め寄る。
響子は背信者との距離を埋めると、背信者に向けて右から左へとシミターを振り下ろす。
背信者はステッキをそれに合わせ、シミターを弾くも、響子は弾かれた勢いそのまま手を下ろすと、下からシミターを振るう。
背信者はそれを後方に体を反ることで躱すと、今度は響子に向けてステッキを突き出す。
響子はそれを体を回転させることで躱し、そのまま回転斬りを放つ。
背信者はそれをステッキで受け止めるも、今度はシミターの刃が僅かにステッキに食い込んだ。
「ほぉ?」
一瞬の膠着と背信者から上がる興味深そうな声が上がるも、響子がそれをすぐさま打ち崩す。
シミターを引く勢いのまま、今度は体を逆回転させてシミターを薙ぐ。
超至近距離の戦いであり、躱す余裕が取れなかった背信者はそれをまたもやステッキで受け止めるも、少し鈍い音がステッキから鳴った。
ステッキは随分と高品質なものであろうが、それでも響子のシミターには全く及ばない。
背信者はこのまま打ち合うのは危険と判断したのか、距離を取る為後方へと跳躍、それと同時に魔術を行使する。
「『篝火』」
その背信者の詠唱と共に、ゆらゆらと揺れる炎が数個、背信者の周りに現れた。
その炎がただただ背信者とその周囲を照らすだけのものではない事を響子はよく知っている。
だが、たかだか三等級の魔術を無駄に警戒する余裕と時間は響子にはない。
響子はすぐさま飛び掛かるように背信者へと突っ込む。
すると、背信者の周りをゆらゆらと浮かんでいた炎のうちの一つが響子へと飛来する。
そのまま次々と順番に飛来してくる炎を最小限の動きで躱仕切る。
そして、バスケットボール程の大きさがある最後の炎を響子がシミターの一閃で切り裂くと、それは響子の前で小さく爆ぜた。
その煙の向こう、背信者から続け様に魔術を行使する声が響く。
「『業火』」
その魔術なら知っていた。
響子は空中に結界を生み出すと、それを足場にして方向を急転換させた。
そして、響子が飛び退いたその地面から大きな炎柱が吹き出して、結界を粉砕した。
背信者の魔術を難なく回避した響子はさらに空中に足場を作成し、背信者の側面から飛び掛かる。
背信者は響子へと振り向きながらステッキを振るう。
鈍い音と共に背信者のステッキに亀裂が入るも、背信者はそこから膂力だけで響子を押し切ってみせた。飛びかかった事で僅かに軽い攻撃になったことも要因だろう。
背信者は口元に笑みを浮かべ、そのまま響子へとステッキを振るう。
響子はそれを後方に一歩引くことで躱すと、そのひいた足を軸にして一回転し遠心力の乗ったシミターの一振りを背信者に喰らわせんとする。
背信者はそれを後方に跳躍する事で躱す。
「『火弾』」
そしてそのまま高速で飛ぶ火の玉をいくつか打ち出し、追撃しようとする響子の足を止めた。
「次が最後になりそうですね」
「そうみたいね」
背信者は自身のステッキの具合と響子の様子を見てそう言った。
とは言えイーブンではない。
背信者はたかだか武器を失うだけだが、響子は体力と魔力共に限界に近い。
今これだけ戦えているのも正直に言えば、術のおかげであり、それと同時にこの後のぶり返しは酷いものとなるだろう。
生きて帰れたら、の話ではあるが。
響子は荒い呼吸を鎮める為目を閉じて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
敵と相対している状態では本来あり得ない行為だが、背信者ならこの隙を狙うなんて無粋なことはしない確信があった。
そしてその確信の通り、背信者はそれを黙って見逃す。
呼吸が整った所で、響子は目を開き顔を上げ、その仕草を見た背信者がステッキを響子に突き出して構える。
そして、一呼吸置いて、響子の体が纏うスパークが一段と弾け、その瞬間響子の体がグンッと前に進む。
響子は先程と変わらぬ速度で背信者へと詰め寄るとシミターを浅めに一振りする。
随分と間合いの空いた攻撃だが、背信者はステッキの破壊を意図した響子の狙いを読み切り、体を軽く引く事で躱す。
響子はそのまま手首を返して、シミターを切り返す。
背信者がそれをまたしても下がって躱そうとしたところで、響子の手から虹色の燐光が煌めいた。
背信者は半歩下がった所で不可視の壁に体を止められ、そこに響子の一閃が襲い掛かる。
「これはッ……」
しかし、背信者もただではやられない。
咄嗟に体を屈めることでそれを回避。空いた手で結界を破壊すると、そのまま距離を空けようとする。
しかし響子の攻撃は終わっていなかった、そのまま一歩踏み出すと、体を回し得意の回転斬りを背信者に見舞う。
回避が間に合わない背信者はステッキを合わせることで、シミターの攻撃を防ぐ。
ビギッと鈍い音がして、ステッキに大きな亀裂が入ったもののステッキはまだ健在で、響子の攻撃も止められた。
響子の一連の攻撃を捌ききった背信者は今度は自分の番とばかりに、ステッキでシミターを払い、一歩踏み出そうとした所で違和感を感じた。
なぜ、響子の体はまだ動いているのかと。
「まずい……」
響子の後ろに大きく引かれた手に握られたのは、先程地面に捨てたはずのショートソードだった。
再召喚することです手元に呼び寄せたそれを、響子は背信者に向けて強く突き出す。
背信者は何とかステッキをショートソードに合わせるも、手に一瞬の重みを感じると共に、ステッキが折れた感触が訪れた。
ステッキを砕いた響子のショートソードは真っ直ぐと背信者の首元へと伸び、背信者の首元から血が流れた。
しかし、響子から上がったのは絶望の声だった。
「そんな……」
背信者は首を僅かに傷付けるに留まった砕けたショートソードをみて残念そうに口を開いた。
「どうやら私の勝ちのようです」
背信者はそう言いながら、スッと体をずらし前に出ると、そのまま響子の腹部に鋭い左拳を打ちつけた。
「ゴフッ」
響子の背中がその衝撃で折り曲がると、響子は血を吐いてその場に倒れ込んだ。
「後わずかでもその剣先が残っていれば、私の負けでした」
背信者はそういうと自身の右手に握られた長さが半分のステッキを見るとその場に投げ捨てる。
「ん?」
少し離れた所から響いたのは大きな爆発音だ。
背信者はもはや動けない響子から目を離すと、その爆発音の方向に目を向ける。
そして、体の上半身が綺麗に吹き飛んだ鬼の姿を視界に入れると、口元に笑みを浮かべた。
「これはこれは。随分と都合がいい」
背信者は上機嫌だった。
鬼だったものの目の前、ポカンとした様子で立っている少女の姿を視界に入れると、シミターを拾おうと這いずっていた響子に視線を向ける。
背信者はシミターを遠くに蹴飛ばすと嬉しそうに口を開いた。
「私にも最低限の仕事はしたと言う証拠が必要なのですが、あの鬼を倒した魔術師の首なら認められるでしょう。よかったよかった。貴方様のような実力者をここで殺さずに済んで」
「ま……て……」
「再戦はまたいつの日か。今度はハンデ無しで戦いましょう」
「わ……たしは……」
響子は遠ざかっていく背信者の足元に手を伸ばすも、その手は届かずに地面に落ちた。




