覚悟1
あの背信者と名乗る、恐ろしい程の実力を持つ魔術師が、自分達見習い魔術師ではなく、響子のみとの戦いを望んだことは幸運だった。
あの鎧を着た鬼は魔術師見習いの相手としては少し荷が重そうではあったが、背信者を相手取ることを考えれば、比較にならないほどマシだった。
そのため、戦う前こそ、早くコイツを倒して風音さんの手助けを、と四班のメンバーは息巻いていたが、結果として、そんな考えはものの数分で消し飛ぶこととなった。
「いくよ、大樹」
「おうよ」
先手は上條と大樹が打った。
相手が強敵であることを感じ取っていたからこその選択だ。
相手にペースを握らせては、数的有利も活かせないままやられる可能性もあるし、何より一対一では叶わないだろう、と考えてのことだ。
加えて、相手は二メートル越えの巨躯でその手に握られている武器も体の大きさに比例して大きい。
となれば、二人がかりで超至近距離戦闘に持ち込めば、鬼の巨体から生まれるパワーという圧倒的なアドバンテージを消せるのではないか、という考えもあった。
しかし、鬼の実力はその予想を簡単に上回った。
「なに……!?」
大樹が振り下ろそうとしたハルバートは、それを振り下ろす途中で刃の付け根を鬼の左手に嵌められている籠手の甲によって受け止められた。
そして、大樹の攻撃に続いて放たれた上條の鋭い突きは、鬼が右手に持つ金棒によって綺麗に弾かれた。
相手を甘く見ていた訳ではない。
その連携の取れた動きは、本来であれば有効であるはずだった。
ただただ相手が悪かった。
二人の攻撃が不発となれば次は鬼のターンだ。
鬼はハルバートを受け止めている手を強く振い、まずは大樹を突き飛ばした。
そしてすぐさま、鬼は大樹を振り払った左手に拳を握ると、槍が弾かれたことで体勢を崩していた上條に向けてその剛腕を唸らせた。
「危ないっ!」
雪が思わず叫んだ瞬間にはその拳は上條に迫っていた。
いくら魔力で強化しているとはいえ、所詮魔術師見習いだ。
その大樹と上條の攻撃を一度で止めたその恐ろしいまでの鬼の膂力に加えて、金属の籠手で覆われた拳が当たって仕舞えば、ほぼ一撃で死ぬことは明白だった。
そして、当然、体勢の崩れた上條が自力でその拳を受け止めることも躱すことも叶わない。
「優馬ぁッッ!!」
大樹の悲痛な声が響く。
死線が見えたからか、大樹の声を聞きながら、やけにゆっくりと近づいてくるその巨大な拳を、上條は受け入れるかのように目を閉じた。
しかし、その時は訪れなかった。
上條はゴウッと言う風切音と共に、自身の髪が僅かに揺れるのを感じた。
そして上條はその髪の感覚と、いつまでも訪れない死に違和感を覚え、目を開く。
「……え?」
上條の目に映ったのは、拳を振り切った格好の鬼だ。
その腕は自分のほんの僅か右側に逸れて伸びている。
何故自分はまだ生きているのか、どうしてあそこから鬼が攻撃を外したのか。
上條は訳がわからず混乱していた。
「上條さんっ!!」
逃げろ、と言う茜の掛け声に上條はふっと我に帰る。
しかし、動き出すのが少し遅かった。
上條の、顔のすぐ右隣に伸びていた腕が引いていく。
鬼はそのまま、今度は逃さないとばかりに右手に握られた金棒を振り上げる。
そして、間をおかず金棒を振り下ろした。
しかしその瞬間、今度は上條が突然その場から突き飛ばされ、金棒は地面を深く抉るのみとなった。
十メートル程の距離を結構な勢いで突き飛ばされた上條は、地面に手をついて何とか着地して立ち上がるも、顔を顰めながら腹部を手で抑えた。
「痛ッ……。いったい何が」
上條は腹部を抑え、混乱した様子でぼやく。
目を閉じて死を受け入れたかと思えば、拳が自身の真横を通っていて、そのすぐ直後に訳のわからないまま、腹に強い衝撃を受け吹き飛ばされていたのだから仕方ない。
なんとか受け身を取れたのも奇跡に近い。
「葛西さんフォローを!」
「うん!まかせて」
そんな上條の様子に我に帰った茜は雪にそう声をかけると、急いで上條の元へと駆け出す。
「上條さんすみません。患部を見ます!」
茜は雪にはそう声をかけながら素早く上條に駆け寄ると、上條の返事も待たず手際よく服を捲り上げる。
上條の腹部は青く腫れていて、それを目に入れてしまった上條は、見るんじゃなかったと嫌そうな顔を浮かべた。
「吐血はないですね……。では、このまますぐ治療します」
一方で茜は安心したようにホッと息を吐くと、すぐ様腹部に向けて手のひらを掲げた。
「『癒やし手』」
茜は素早く魔法陣を構築すると、詠唱と共に魔術を行使した。
すると、掌から柔らかい光が患部に向かって降り注ぎ、ものの数秒で、腫れは引き切ってないものの、随分とマシな見た目になった。
「かなりマシになったよ。ありがとう」
上條はその患部を摩りながら礼を言う。
まだジンジンとはするものの先程の鋭い痛みよりはかなりマシであった。
「強化魔術のおかげですね。回復魔術が効くくらいの怪我で安心しました。葛西さん鬼はどうですか?」
「今は大丈夫だよ」
雪の視線の先にいる鬼は、最初こそ、先ほどの不自然な現象に辺りをキョロキョロ見回していたが、今はじっと響子と背信者の戦いを睨んでいた。
幸運なことに今のところは四班にカケラの興味も持っていない様子であった。
その鬼の様子を見て、改めて上條が口を開く。
「それより、さっきは何が……」
「風音さんが「結界」を使ったみたい。多分……。師匠が似たようなことをやっていたから……」
そのセリフとは裏腹に、これに関しては、ほぼほぼ自身の見立てで間違いないだろうと雪は考えていた。
最初の鬼のパンチには、上條から逸れるように、まるでレールのように結界が張られたことで彼の命を救った。
そして、上條を突き飛ばしたのは上條の前に結界を置いて、それを上條に向かって伸ばしたように雪には見えた。
修との鍛錬の中で修も似たような技を使っていたのは雪の記憶にしっかりと残っている。
そして、雪を除いて、この場でその魔術を使える可能性があるとすれば響子位だった。
「背信者と戦いながら、僕らのカバーをしているってことか……?」
「そうなります……ね」
上條は驚いたように目を見開いてそう言う。
今現在も戦闘中の二人の動きは、控えめに言っても格が違った。
驚くことに、そんな中で離れた位置にいる自分達の状況にまで目を配り、的確に魔術でサポートが出来るとなれば雪達とは別次元の実力と言っても過言ではなかった。
「でも、かなりの負担だと思うよ……」
雪は二人の戦いを見ながら、そう溢す。
ここまでの道中で見せた響子の戦い方はもっと自由に動き回るスタイルだ。
所が今はそれが鳴りを潜めて、真正面から背信者と戦っている。
彼女の本来のスピードを用いた戦い方では自分達のサポートに粗が出るからだろうことは簡単に想像できた。
「となると、僕らが風音さんの負担になっているってことか……」
そう上條が呟いたところで、茜から雪と上條に声がかかる。
「皆さん!今度は森本さんが」
そんな声に二人は慌てて大樹がいた場所に目を向けると、鬼が大樹の方へと歩みを進めているところだった。
「あれは……まずいね」
大樹はハルバートを構えて鬼を待ち構えている様には見えるが、先程の一合で既に大樹は及び腰で、鬼が一歩進むごとに大樹も一歩下がるといった具合だった。
「カバーをしなきゃ……」
「そうだね」
雪の言葉に、上條が立ち上がり、先程何とか手放さずに済んだ槍を持ち直すも、上條はその足を前に踏み出せなかった。
頭に浮かんだのは「でも、どうやって」ということと、先程自身の命を奪いかけたあの鬼の拳のイメージだった。
大樹と二人がかりで攻めた結果簡単にいなされ、上條に至っては響子がいなければ死んでいたのだ。
たった一合で、嫌と言うほど力の差を思い知らされ、死の恐怖を植え付けられた。
表面上は取り繕っていたが、すでに上條から自信は喪失し、死の恐怖から戦意を完璧に失っていた。
それはただ見ていただけとは言え雪も変わりはない。
今の私が大樹のカバーに入ったとして何が出来るのか、と言う考えが頭を埋め尽くし、その足を動かすことができなかった。
「危ないっ!」
茜の悲鳴にも近い声が上がる。
そうこうしている間にも、鬼は簡単に大樹との距離を詰めると横殴りに金棒を振るう。
大樹はそれを何とか屈むことで避けるが、鬼の攻撃は止まることなく、今度は頭上から金棒が振り下される。
これを大樹は半ば体を投げ出すかのように横に転がり避ける。
しかし、その行動の代償は大きかった。
鬼の次の攻撃が始まろうとしている一方で、大樹はまだ起き上がり切れていない。
そして、大樹が体を起こし顔を上げた瞬間には、その視界は金棒で埋め尽くされていた。
「あっ……」
間抜けな声が漏れる。
自分は終わったのだと、確信が持てた。
しかし、またしても響子のカバーが入った。
大樹のほんの十数センチ先で、鬼の金棒が空中に止まっている。
よく見れば、半透明の壁が金棒を受け止めていた。
「大樹!何やってるんだ!」
呆けてた大樹を上條の声が現実へと引き戻す。
よく見れば、結界にヒビが入っていた。
「やっべ……」
大樹は足に魔力を集めると、弾丸のようにその場を飛び退いた。
その瞬間、その場に土煙が上がる。
後僅かにでも遅れていたら、大樹は地面のシミになっていたはずだ。
大樹はその光景に肝を冷やしながら、なんとか上條達と合流する。
一方で鬼はゆっくり金棒を持ち上げると、見習い四人を睨みつけるも、攻撃を仕掛けることはしてこなかった。
「風音さんの魔術を警戒しているんですかね……?」
「多分そうかな?……みんなどうする?」
小さな声で雪は意見を伺う。
なんとか大きな怪我もなく四人とも無事に生き残ってはいるが、今の状況ははっきり言って良くない。
自分達では鬼の相手は務まらず、かと言ってこのままだと響子への負担が大きすぎた。
現に、響子は随分と背信者に押されていた。
「とりあえず、一斉にやられるのが一番まずいね。固まらずある程度散らばろう」
上條の指示に三人は頷き、すぐ様お互い距離を離す。
それぞれ、十メートルほどの間隔を空けた。
この距離ならすぐカバーにも入れるし、まとめて薙ぎ払われるなんてこともなさそうだった。
しかし、問題はここからだ。
それを尋ねようと雪が口を開いた瞬間、突如目の前に背信者が現れ、雪に向けて手に持ったステッキを振るった。
やられる、と雪が思った瞬間、そのステッキは鈍い音と共に空中で動きが止まった。
ステッキを止めたのは、またしても響子が生み出した結界だ。
しかし、その結界はビキビキっという不穏な音と共にヒビが入っていく。
「引いてッ!!」
響子の声が響く。
雪は反射的にその場を大きく飛び退くと、今度はそこに鬼が跳躍してきて、金棒を振り下ろした。
飛び退いたことで何とか難を逃れた雪の視線の先では大きな土埃が上がっていて、その鬼の攻撃の恐ろしさを改めて目の当たりにすることとなった。
「葛西さん大丈夫か!?」
「うん大丈夫」
「よかった。今の間に体勢を整えて」
幸い鬼はまだ動き出していないため、雪が体勢を立て直す時間は十分あった。
「風音さんが……」
鬼の動きを注視していたところで、すぐ近くにいた茜から悲痛な声が漏れる。
雪はその声に慌てて周囲を見渡すと、左手をダラリと下げ右手の剣を失った響子の姿が目に映った。
酷く負傷しているのは明らかだ。
あの背信者相手にあの怪我では響子の勝ち目はかなり薄いだろう。
「嘘だろ……」
「このままじゃ僕達も…」
当然、その姿を見て四班の中に動揺と絶望が広がる。
大樹と上條からはそんな、絶望を帯びた言葉が溢れ、僅かに残っていた闘志もかき消されてしまった。
今まで自分達を救ってきていた響子が負傷したということは、ここから先は彼女からのサポートを期待出来ないことは明白だった。
それどころか背信者に彼女が殺されて、そのまま自分達は背信者まで相手取らないいけない可能性も十分にある。
どちらにせよ、このままでは奇跡でも起こらない限り四班の全滅は必至だった。
「このまま終われるわけがない……」
「え?」
そんな絶望の中、茜の耳は雪の呟きを拾った。
上條、大樹と茜が絶望の表情を浮かべているのに対して、雪だけは目が死んでいなかった。
何のために、ここまで苦渋を飲んできたのか。
何のために、足掻いて魔術を諦めなかったのか。
何のために、力をつけたのか。
雪の願いは、夢は、あの天才四人達に追いつくことではない。
一人の魔術師として戦うことだ。
「このままじゃ今までと一緒だ。みんなに守ってもらって、逃げてばっかで」
雪は顔を上げた。
視界の先には土埃の中、金棒を握り、こちらを睨んでいる鬼がいる。
雪一人で闇雲に突っ込むことはしない。
気持ちは非常に昂っていたが、頭はひどく冷静だった。
「よし、行こう」
目標は目の前のことからだ。
まず鬼と対等に戦うこと。
雪は今ようやく、戦場に立った。




