師匠達の長い夜
やはり、というべきか外界の夜は静かだ。
静かとは言っても、車の音などの人工的な音が無いだけであり、虫の声や鳥の声をはじめとした自然の音はかえってよく聞こえてくる。
そこだけ聞けばリラクゼーションに相応しい場所に思えるが、実際にその音の元を辿れば恐ろしい生き物達がいる事が多々あるのが外界の怖いところだ。
学生達は今頃修の眼下にある建物の中で全員が眠りについている筈だ。
まさか、入口を内側からほとんど閉じてしまい、仮の探索拠点のようなものまで作ってしまうとは修も驚きだった。
探索者の中では夜番を必ず立てるのが常識で、一夜の宿位であれば、そこまで手をかけて拠点を築かないのが殆どだ。
何せ探索者になるような人間達は普通の者と比較するとやはりどこか感覚が違って、一夜くらい寝なくともあまり影響は出ないからだ。
とは言え寝られることに越したことは無いし、はじめての外界で寝ずに活動するのは厳しいだろうから、彼らの判断は正解だといえる。
一方で修達は万が一に備える必要があった為、学生達の動向を見張ることのできる低層の建物の屋上にいた。
幸い風もなく、野ざらしという点を除けば居心地は悪くなかった。
「睡眠を優先とは言え、この光景を見れないってのはある意味損だけどな」
修は星の光で埋め尽くされた満点の夜空を見上げて呟いた。
「んん……」
その声に反応してか、修のすぐ隣、手を伸ばせば届きそうな距離で寝ている響子がモゾモゾと寝袋の中で動き、また穏やかな寝息を立てた。
「見ない間に少し大人っぽくなったな……」
女性の寝顔をマジマジと見るのは失礼だとは修も分かってはいるが、その変化や懐かしさを感じてしまって仕方なかった。
響子は昔と変わらず寝付きの良いところは変わらなかった。
昔と違うのは、少し大人びた彼女と少し無気力になった自分。そして、お互いの距離感だろう。
昔であれば手を伸ばさなくとも触れられる距離で彼女は寝ていた。たった手のひら一、二個分の短い距離だが、心の距離に置き換えると随分と開いてしまったものだ。
佐伯のお膳立てや兵吾からかけられた言葉もあって、一度は響子との仲を修復すると修は言ったものの、やはり心の中では本気でそれを望んでいなかったのだと今更ながらに気がついた。
もちろん、響子と昔のような関係に戻りたいと思っている自分ももちろんいた。しかし、今の状況が、今までの行動が、修の気持ちの真意をしっかりと表していた。
結局の所、修は響子との関係を修復しない方がいいと言う気持ちの方が強かったのである。
「情けない話だな……」
その理由に心当たりしかない修は自嘲めいた笑いを浮かべた。
修は自分を許す為に、響子を使って自分を罰しているという自傷めいた、一見矛盾するような行いをずっと続けている。
一方で響子は自分だけで前を向いて歩き出している。
修がうだうだと俯いている間に響子は気がつけば国を代表する若手魔術師の一人になっていた。一方で修はただの雇われの傭兵のままだ。
そんな自分が響子との仲を修復する資格がないと修は実感していた。
「うぅん」
そんなことを考えていると寝付きが悪いのか、響子は唸るような声を出して修の方へと寝返りを打った。
長い睫毛が生えたその目はぎゅっと閉じられていて、額にはシワがよっている。そんな表情を浮かべているにも関わらず、彼女の寝顔は美しく、少しもその容姿に翳りはみえなかった。
最後に修が見た彼女の寝顔はもっと幼かった筈で、いつの間にか彼女はしっかりと大人になっていたのだった。
なるほど、この容姿と魔術の腕前ならメディアも取り上げるし人気も出るはずだと、自分の妹分だった響子の寝顔を見て納得する。
「結局子供のままなのは俺だけか」
そんな独り言を呟いていると、修の耳に通信を知らせる電子音が飛び込んできた。
「修だ…よな?兵吾だ。今大丈夫か?」
聞こえてきたの兵吾の声だった。
通信状況があまり良くないのか時折ノイズが混ざっている。
「兵吾か、どうやって……」
「それはまた説明する。通信状況が良くなくてな、とりあえず回線が生きている間に情報を共有しておきたい」
真面目なトーン、というよりは兵吾の声色はどこか緊迫感を持ったものだった。
「わかった。続けてくれ」
「まず、そちらは明日にでもスパイク設置はできそうか?」
「問題なくできそうだな。そっちは?」
「こっちも色々バタバタはしてたが、うちの弟子が力押しで解決してたから問題はなさそうだ」
兵吾の弟子と言うと、あの天才のうちの一人だと兵吾から修は聞かされていた。
こちらの班にいる天才と違って随分派手にやっているようだった。
「それで?その話のためだけにわざわざ通信してきた訳じゃ無いんだろ?」
情報共有も大事だが、別にそれぞれの班の進捗具合を護衛部隊同士で共有する必要はない。講師陣さえわかっていればいいのだから。
となると、別の要件が絡んでいるのは必然だった。
「まぁな。本題だが、異常現象の話だ。この辺りはどこか様子がおかしい。これには気がついているな?」
「あぁ。どう考えても魔獣が少ない」
「こっちもだ。天気の関係もあったから道中はまだそうなのは分かるが、この辺りでこんなにも少ないのはおかしい」
道中は学生達も主な魔獣や外獣の生息地を外してここまで来ていたのだからまだしも、目標地点に関しては、どうしてもそれらを避けるのは難しくなる。
「ちなみにこっちで魔獣はみたか?」
「ゴブリン位だな。……あぁ、まてよ。様子はおかしかったな」
「様子……か。どんな感じだったか覚えてるか?」
「どんな様子って言うと……そうだな。なにせ刃狼相手だったから普通のとは比較はできないが」
「刃狼!?そんなやべぇもんがこの辺りに居るのかよ。何で共有しないんだ」
その声色からも兵吾の驚いた様子が手に取るようにわかるが、普通であればそんな反応が普通だと修は失念していた。
とは言え、今その刃狼が危険ではないと言う本当の理由を伝えても話がややこしくなるだけだ。
「いや、その刃狼はかなり温厚な個体だから気にしなくて良い。何せ、ゴブリンから執拗に攻撃されても暫く無視してた位だからな」
「修……。お前なぁ……」
兵吾から呆れた声が上がる。
「安心しろって。それに向こうことこちらに気がついて尚、特に威嚇すらしてこなかったからな」
探索者の中では刃狼などの力を持つ生物と極力敵対行動を取らないと言うのが常識だ。だから、温厚な個体という情報があれば、兵吾があの刃狼に攻撃してしまう可能性を消せる。
もっとも、兵吾ほどの魔術師が刃狼相手に攻撃という選択肢を取るなんて修は到底考えられなかったが。
「まぁ、刃狼のことはいい。つまり、ゴブリンはその温厚な刃狼に無駄に攻撃していたって事だよな」
「そうだな。よく考えれば流石のゴブリンでも少しおかしいな」
修はあの時、刃狼ばかりに気を取られ、ゴブリンのことはあまりに気していなかったことに気がついた。
ゴブリンについては知能の低さと無駄な縄張り意識の強さが出ていただけ、と流していたが普通に考えれば流石のゴブリンでもよほどの何かがない限り刃狼をわざわざ攻撃したりしない筈だ。
「外獣はどうだ?こっちは外獣に異常は見えなかった」
「オオクチと学生達が戦っていたけど特に変わりは無かったな。あとは草食の外獣の姿も見かけたが、特段変なところはなかったな」
「なるほどな。外獣は普通なんだよな。異常現象か何かで魔獣のみに何かしらの影響が出てる可能性があるのか……」
兵吾の唸る声が通信機越しに聞こえてくる。
他に変な所があったと聞かれても修も兵吾同様に特に思い当たらない。
そもそも、外界の原生生物達との遭遇率が低い程度にしか思っていなくて、兵吾ほど警戒していなかったのだから仕方ない。
「大型のオオクチは関係ないよな?」
「関係ないな。まぁ、分からんものは仕方ない。でも、とりあえず警戒はしておいた方がいいな。ここまで魔獣が少ないとなると何かあるはずだ。外界の生物の方が俺達より変化に敏感だからな」
「分かってる。そもそも外界で油断なんてしたことないしな」
もしかしたら魔獣達は何かしらを感じ取っているのかもしれないがそれを知る術は無い。
それに影響が出てそうなのは魔獣だけで、外獣には異常が見えない点も不思議だが、修もその原因の見当はさっぱりつかなかった。
「ところで風音さんは何してる?」
修はチラッと横に視線を向ける。
相変わらず響子は寝息を立てて行儀良く寝ている。
「寝てるよ。何か用なら起こすけど」
「寝てる……?あぁ、そうか修が相方ならそうなるか」
「どういう事だよ」
電話先で兵吾の軽いため息が聞こえた。
そのため息に続く言葉はなく、ため息の真意は修には不明だった。
「それで、響子に何か用があったのか?」
「いや、話を聞こうかと思ったが、寝てるのを起こすまでじゃない。どうせこの異変の詳細がわかった所で俺たちにできることなんて無いはずだからな」
「そりゃ助かる」
この微妙な関係性を解消出来てない状態で寝ている響子を起こしたくはない。
「やっぱり、お前達まだ仲直りしてなかったのかよ」
呆れたような兵吾の声が聞こえた。
「やっぱりって言われてもなぁ……。そう簡単にはいかないだろ」
何せ五年間も冷戦状態が続いていたのだから、そのわだかまりがたかだか数日で溶け切るはずもない。
それに、関係修復自体、修から積極的に行おうとしていないという事もある。勿論響子もそうだろうと修は思っている。
お互いが関係を修復しようとしていないのにその溝が埋まるわけもなかった。
「どうせ、俺は響子と仲直りする資格なんてない、とか女々しいことを考えてんだろ?」
「………」
特大のため息が通信機から修の耳に響いた。
実に耳が痛いため息だった。
「まぁ、はなから正攻法でどうこうなるとは思ってないさ。
異界マジックに期待だな」
「この状況での異界マジックは笑えねぇよ……」
果たして冗談なのか本気なのか、兵吾は軽く笑いながらそう言うが、それにしても異常な状況である今の異界のことを考えれば、修はその冗談をあまり笑えそうになかった。
「冗談はさておき、最後まで気を引き締める必要がありそうだな」
「それは間違いないが、護衛としての役割が余計に難しくなりそうだな……」
「あの風音響子と日比谷修が護衛についてんだから、その位こなしてもらわないとな」
「お前が言うかよ、長崎兵吾さん」
「それじゃあ、お互い明日を無事に乗り切ろうな」
「何も無いことを祈るばっかりだよ」
そんな修の言葉を最後に通信は終わった。
「たしかに気にはなるが……」
このまま何事もなく終わってくれるのが最上だが、修は何となくそうはいかない予感がしていた。
悪い予感に限ってよく当たるのが自分の特徴だと諦観にも近い自負があるが、今回も残念ながら当たりそうで今から胃が痛かった。
「幸いなのは護衛陣が優秀な者ばかりってことだな」
師弟制度の師匠陣で固められた今回の護衛部隊は面子だけ見れば国家の重要人物の護衛に就けるような魔術師ばかりだ。
兵吾や響子などの若手のホープからベテランの魔術師まで、実力者ばかりだ。
この面子の中だと見劣りする修ですらも魔術省直属の傭兵であるため、全体的に見れば十分実力者という枠に入る。
とは言え、外界でのトラブルとはそんな面々を持ってしても対処できるかどうかは分からないものだ。
「うまくいかないもんだなぁ……」
修がため息と共にこぼした言葉は誰に聞かれるでもなく、外界の夜に飲まれた。




