外界演習6
「たった一夜だけだが、あの場所もなんだか名残惜しいな」
「確かにそうですね……」
スパイクの設置場所へと向かう道すがら、大樹と茜が感慨深そうに言った。
全員にとって、あの建物は初めて外界で野営をした場所でもあり、仲間と語り合った場所でもある。そんな思い出深い場所となったが、外界である以上、あの場所をもう一度訪れる可能性は低かったため、そのような感情を抱いてもおかしくなかった。
四班があの建物から出て、もうしばらく経つ。
昨晩はそれなりに長い時間を四班の皆で語り明かしたが、それでも十二時を超えることは当然なかった。
今朝は全員が予定通り夜明けと共に起床し、朝もまだ早い時間ではあるが、依頼を終わらせるべく一夜の宿を後にした。
そして歩き始めて二十分程、相変わらず外界の生物の姿は見えない。そのため、今日も昨日と同じようにその道のりは順調そのもので、もう間も無く公園に着く所だった。
「しっかし、外界ってこんなに野生生物に会わないもんなのか」
大樹が退屈そうにぼやいた。
危険がないことは良いことではあるが、わざわざ外界まで演習に来た以上、少しくらい外界の原生生物と戦う経験をしたいと思うのは当然だ。
「何も無いのは良いことなんだけど、こんなにも何も無いと経験にもならないしね」
流石の上條も今回ばかりは大樹と同意見であった。戦いも含めての演習だ。それがここまで何も無いと、大樹と上條だけでなく、女性陣も流石に物足りなさを感じていた。
「私が行った時はもう少しちゃんと戦った。流石に今回は少な過ぎる」
その雫の言葉に雪はふと異常現象について思い出した。
「あれ?これって佐伯さんが注意していたことと同じ状況じゃ無いかな?」
「そう言えばそんなこともあったな……」
「異常現象ですよね……。でも、注意しろと言われてもこれだけ何もないと何に注意したらいいか分からないですよね」
「注意というより、警戒しろってことだと思う。だから私たちがやることは変わらないけど、何が起こってもいいように構えておくべき」
「確かにそうですね」
茜は雫の言葉に頷くと、気持ちを引き締めた。他のメンバーも同様だ。
「まぁでも、気にしすぎもダメだから程よくね」
そんな様子を見て、上條は少しラフにそういう。
過度に不安になるのも逆効果だからだ。何が起こるか分からないものにずっと怯えてしまっていては肝心の場面で集中が切れてしまうこともある。
それに、これからスパイク設置という本番があるのだ。その前に気疲れしていては元も子もない。
「俺たちが異常現象が起きた時に出来ることなんてほぼ無いからな」
「ん。逃げることくらい」
「とりあえず、何かあっても冷静に行動しよう。慌てて逃げる方が危険だから」
そんなこんなを話していると、気が付けば四班は公園の前に着いていた。
あの池までの道は相変わらず薄暗く、不気味さも薄れていない。
「よし、行こう」
「うん」
上條の掛け声と共に、四班は公園内へと足を進める。
雪もココからが本番だ、とスパイクの入ったリュック型のケースの肩紐を強くギュッと握った。
暗い公園の通路は昨日と全く同じ様子だ。
よくわからない生物の声はするし、不気味な雰囲気も変わらない。その為、四班の面々の足取りも慎重になっていた。
その中でも特に慎重だったのは雪で、辺りを注意深く見回し、足音一つ聴き逃さない様に聞き耳を立て、非常に警戒しながら歩いている。
それもそのはず。雪の背中には今回の演習の成否を決めるスパイクが背負われているのだから。
スパイクは多少の衝撃にも耐えられるように頑丈に作られている。
とは言え基本的には精密機械であることには変わりがない。そのため、外界の生物に襲われて、その攻撃がスパイクに当たればスパイクが壊れてしまう可能性は高い。
雪は自分自身は勿論、スパイクにも攻撃を当てさせないようにしなければならず、そもそも攻撃の標的にもなってはいけない。
戦闘面で役に立たない可能性が高いからと立候補したものの、いざスパイク背負ってみるとその責任感の重さをここで初めて実感していた。
「抜けるよ……」
「ようやくですね……」
そんな緊張感の中、しばらく歩いてようやく見えた出口に、四班はその足を早めた。
雪もホッとしたように少し視線を下げ、息を吐く。背中のスパイクもずっと背負っているのだから、けっこうな疲れの要因になっていた。
雪は俯き加減でも見え始めた、少し前を先行している四人の背中に遅れない様に顔を上げる。
「『氷壁』!!!」
「え?」
顔を上げた瞬間、いつの間にかこちらを向いていた雫の詠唱と共に、雪の真後ろに壁が現れ、それと同時にその壁に何かがぶつかる音がした。
「雪!」
驚きのあまり声が出ない雪に雫の鋭い声がかけられるが、何が起こったか分からない雪は動くことができない。雪の集中が切れたほんの一瞬だったからこそ、雪の思考はまだ現実に追いついていなかった。
「オラっ!」
そして、次の瞬間にはハルバートを握った大樹が雪の方へと駆け寄ってきており、そのまま雪のすぐ側面にハルバートを振るった。
何かを断ち切った様な鈍い音共に、雪は微かな血の匂いを感じた。
「囲まれたね」
いつの間にか雪のそばに来ていた上條が槍を構えながら油断なく辺りを見回している。
その言葉通り、いつの間にか雪達の周りを数匹の手の長い黒い猿が徘徊しており、それとは別に木々の合間や茂みにもその存在を窺えた。
「どこから……」
雪はすぐ近くの足元に転がっていた異様に手の長い猿のような生物の死体を見て呟く。
その呟きを聞いて、茜が小さな声でその猿の名を口にした。
「ご存知だと思いますが、手引猿です。外界ではよく誘拐魔と呼ばれてます」
「まぁ有名なのが来てくれてある意味助かったか」
大樹はこう言う状況だからこそ、あえて軽口を叩いた。
手引猿はこういった森や視界の悪い場所では特に注意したい生物の一種として有名だ。
幸い、予め全員が外界生物について予習していたことと、手引猿についてはその知名度も相まって、その特徴を始めとする情報を全員が把握できていた。そのため、今回はその特徴を茜が詳しく説明する必要も無く、全員が戦闘に臨めていた。
「女性陣は特に気をつけて。腕の力だけは尋常じゃないからね」
手引猿は特に体の軽い女性や小柄な者ほど注意が必要となる生物だ。その強靭で長い手を使って死角から獲物を茂みなどに引き込み、その周辺に待機している群れ全員で一斉に襲い掛かるという方法で狩をする生物だ。
「手引猿なら大体十匹くらいの群れの場合が多いはずだ。皆んな離れない様に」
「よりにもよって厄介なのが来た」
雫はうんざりした様な顔を隠しもしない。
手引猿はそれ程めんどくさい相手であり、探索者からは随分と嫌われている。
手引猿は一度獲物を決めたら執拗であるし、それなりに頭が良く狡猾で慎重だ。何より厄介なのがその残虐性と頭の良さだ。わざと騒いで強力な生物を呼んでその残りにありついたり、捕まえた相手をわざと痛ぶるなど、タチの悪さで言うと外界でも上位に入る。
そしてその性質から、一度戦いを始めると戦闘が長引く事がほとんどである。
また、外獣であるが故に魔石も落とさず、肉体自体も腕の力以外は普通の猿と変わらない為、素材としても魅力が無い。
その為、殆どの探索者は手引猿をまともに相手にせず、多少強引であっても逃げる事が殆どだ。それが手引猿を相手にした時のセオリーとまで言って良い。
本来であれば四班もセオリー通り逃げることを選択したい所ではあったが、今回、上條はそれを選ばなかった。
その理由は大きく二つだ。
まず一つは、薄暗い通路を抜けるには後数十メートル進む必要があり、逆光やこの公園の構造もあって通路を抜けた先の様子をこの場所から観測できないことだ。
手引猿相手ならスパイクを背負っている雪がいたとしても、強引に突っ切ることは不可能では無い。しかし、抜けた先に他の生物がいた場合、本当の意味での詰みになる可能性も十分ある。
二つ目は、これからココを抜けた先でスパイクを設置しなければならないことだ。手引猿の執拗さから考えれば間違いなくまた襲われるはずで、そうなってしまうとオオクチと巨大オオクチが生息している池近くで戦う羽目になる。その方が言うまでもなく危険だと。
その二つのリスクを取るなら、相手のホームグラウンドとは言え、この場所で手引猿を相手した方がまだ堅実で安全だった。
「誰か索敵系の魔術は使える?」
雪を中心に他の四人はその周りを囲う様に立っている。
そのなかで、一番出口に近い方に立っていた上條はそう問いかける。
「私が使えます」
茜から声が上がると、すぐさま上條は指示を出す。
「茜さん今直ぐに使って!あと、範囲も合わせて教えて」
「了解です。『反響』」
茜は手際良く魔法陣を構築すると、魔術を行使した。
二重の魔法陣が輝くと、魔法陣を中心に霧の波のような物が広がった。
「来ました。半径二十メートル以内に七匹です」
「それ以上離れた場所にいることは考えづらい。倒すなら今」
雫はそう言うや否や魔法陣を構築する。
「『氷刃』」
現れた氷の刃は正面ではなく、雫の前方の木の上に向かって放たれた。ほぼ雫の頭上と言える位置であるため、高さ的には『反響』の索敵範囲外だ。
氷の刃が放たれて直ぐにキッという猿にしては少し野太い声が聞こえ、中から首の無い手引猿の亡骸が雫の前に降ってきた。
上條は雫にアイコンタクトをすると、その亡骸を足で捻る様に踏みつける。
上條の人柄からすれば到底考えられない行為だが、四班の班員は嫌そうな顔こそすれど、その行為自体には誰も意をとなえなかった。
その途端、周辺にいた手引猿が一斉に鳴き出し、先程までの静かな森とは打って変わって、随分と騒がしくなった。
「おいおい。本当にここまで情報通りかよ」
大樹は呆れ笑いを浮かべる。
上條のこの行為は決して彼の趣味だからやっているわけでは無い。手引猿との戦いを手早く終わらせるための方法の中で一番有効な手段を取ったに過ぎない。
そして、その効果は絶大であった様で、先ほどまで茂みに隠れていた手引猿たちも一斉にその姿を四班の前に現し、仲間の亡骸を踏みつけている上條に向かって牙を剥いていた。
「ここまでヘイトが向くと、流石に恐ろしいね」
そういう上條の表情には苦笑いが浮かんでいる。
「大丈夫。私たちでフォローする」
雫はそう強く言い切る。この中でも一番の実力者である雫の声は自信に満ち溢れており、四班の士気を高めるには十分だった。
「こういうのは先手が有利なんだよな」
「有利というか、頭に血が回っている間に倒してしまおうという話かな」
雪もある意味修羅場にはなれているためか、それ程焦った様子もなく、落ち着いた様子で大樹にそう返す。
「皆準備はいい?」
上條の言葉に各々が頷く。
上條も否定の言葉が無いことで、皆の準備が整ったことを悟ると、戦いの狼煙を上げる言葉を口にする。
「それじゃあ……行くよ!」




