外界演習2.1
「いつこの雨は止むんだか……」
修は暗い空を睨んで呟いた。
響子の天気予報は大雨という予報だ。その予報を信じるなら、少なくとも大雨が来るまではこの雨は降り止まないということだ。
であれば、このまま野営を行うであろう時間まではこの程度の雨で収まっていて欲しいと願わんばかりだ。
修達の少し先を進む雪達を見て見れば、軽く雑談をしながら歩いているようだった。
一応周囲を警戒しているような素振りは見えるものの、少し気が抜けている様子であった。隠れて警備を行う側としては楽で良いのだが、あまり誉められたものではない。
天気を除けば、あまりにも雪達の行軍が順調過ぎたのだから仕方ないといえば仕方ないが、この演習が無事に終わったら説教しなければならないなと修は心のメモに書き記した。
雪達の道のりは、残すところ半分という所だ。
ここに至るまで一切の魔獣や外獣と遭遇しなかったのは運が良かった、と言われればそれまでだが、事前に説明された異常現象の事がある以上、修はこの状況を楽観視することなんて到底出来なかった。
「ゴブリンがいる」
「見えた。あの位なら大丈夫だろう」
別の位置、具体的には向かい側の建物の上階から警護をしている響子から通信が入った
この辺りはビル群で構成されているため、建物の上には乗れないが、所々ガラスが割れて中に入ることが出来ていた。
「思ったより冷静だな……」
修はすぐには戦いに行かず、様子を見ることを選択した学生達の行動に感嘆の声をあげた。
相手はたかだかゴブリン数匹だ。今の実力であれば、雪でも数匹程度は一人で相手取ることができる。
となれば、腕試しとばかりに飛び込んでいってもおかしくない。
そこで様子見という選択肢を取れるあたり、修が思っていたよりも学生達はキチンと外界探索を行なっていたようだった。
外界にもしっかりと生態系というものが存在している。そして、それは同じ生物種同士だけで存在するものではない。
不思議なことに食物になる肉体を持たない魔獣を外獣が襲うことも、その逆も起こるのだ。
どちらにせよ、今ここで戦闘をすれば、ゴブリンを狙う生物と混戦になったり、ゴブリンを狙う生物を狙う生物に襲われる可能性も十分ある。
あんな道路のど真ん中では目立ってしょうがないのだから、今回彼らがとった選択は初めて外界で依頼を受ける探索者としては正しい。
「あれは……」
学生達がゴブリン達の様子を伺い出してすぐ、そのゴブリン達が急に騒ぎ出した。もちろん隠れている学生達の存在に気が付いたわけではなく、別の理由からだ。
「風音さん、ゴブリンの様子がおかしい。理由はわかるか?」
修は学生達に向かって右側の位置から彼らを見守っている。修の位置からではゴブリンが何に向かって威嚇しているのか分からなかったため、左側に展開している響子に確認した。
「刃狼がいる……」
どんな感情で表情で響子はそう言ったのか。絞りでしたような声でそう言った。
「刃狼か……運が悪いのやら良いのやら」
基本的に刃狼は温厚な生物だ。特に人間には不必要に攻撃的な行動に出ない生物だ。
とはいえ、知能が高い故に個体差も随分とある生物ではあるが、もし攻撃的な個体なのであればあのゴブリン達はとうのまえに死んでいるだろう。つまり、この個体も温厚な個体である可能性が高かった。
ただし、いつでも動けるように警戒する必要はあった。
刃狼相手となると、修と響子二人でも倒すどころか、時間を稼ぐので精一杯になる可能性は高い。
「風音さん。一応もう少し学生達に近寄っておこう。万が一もある」
「……」
「風音さん?」
「……了解」
返答までに少し間があったことに修は少し首を傾げながらも、修は自身のその言葉の通り弟子達をすぐカバーできる位置まで移動する。
そして移動してすぐ、その巨体は姿を現した。
美しく輝く白銀の体毛とその背に走る漆黒の体毛が特徴の四足歩行の外獣だ。顔は鼻が長く、すらりとしており、狼と狐の中間の様な凛々しい顔付きをしている。
全長は五メートル程。体つきもスラリとしていることから雌である可能性が高かった。
「とりあえず、あの刃狼は大丈夫そうだな」
修は道路をゆったりと歩く刃狼の姿を見て、油断はしていないが、張り詰めさせた気を少し緩める。
刃狼は足元で騒ぐゴブリンを気にもせずに歩いており、温厚な個体だと言うことはほぼほぼ確信出来たからだ。
刃狼は魔力の扱いや、人の魔力を察知することに非常に優れている。当然鼻も効くし、耳もよく効く。
学生達のメンバーは優秀とは言えど、あくまで見習いの中での話だ。刃狼相手にその気配を隠せるほど習熟はしていない。今も物陰からコソコソと覗き込んでいる様子だ。
そのため、今の学生達と刃狼の距離感であれば、存在くらいは察知されているはずで、それでも襲われていないのだから、あの刃狼が学生達の面々を攻撃する気がないことは明白だった。
「それにしても珍しいな……」
響子から特に何も報告もなく、雑談を出来るような関係性もないため、修は一人呟く。
刃狼はゴブリンが威嚇しているのを全く気にもせずに、のしのしと道路を横断している。
刃狼は賢い外獣である。
探索者と迂闊に会えば、無駄ないざこざしか起こらないことが分かるくらいにはその知能は高い。
もしかしたら学生達に全く気がついていない可能性もあるが、気が付いているのだすれば、わざわざあんなゆったりと目の前を歩くことはしないはずだった。
そして何より、ゆったり歩いている様で、その耳が、その長い尻尾があたりを探る様に忙しなく動いている点から、何かを意図してその姿を見せていることは明白だった。
「刺激するのは避けたいが……」
流石にこの距離では学生達を守るのは難しい。
修と学生達との間には50メートルほどの距離がある。いくら魔術を使えるとは言え、流石に遠すぎる距離だ。
何かあった時に適切に対処できるのは間違いなく修と響子しかいないのだから、万が一を考えてその距離を縮めるべきだった。
それに、あの刃狼に攻撃する意図がないのなら、近付いた程度では問題にならない自信があった。
現に、ゴブリンの一匹がついに刃狼に攻撃しだしたが、意にも介せずあしらっているのだから、刃狼の中でも随分と温厚な個体だといえる。
「風音さん。念のためにもう少し学生達に近付いておく」
「念のため……?学生達は多分大丈夫だと思うんだけど」
それは修も同意見ではあったが、保険をかけておいても損はなかった。
「俺もそう思うけど、近付いて置いて損は無いだろ?」
「分かった。私も近くで見ておきたいし」
あっさりとした響子の言葉に、修は違和感を感じながらも、まずは学生達にバレない様に隠密系の魔術を使用し、学生達への距離を詰めた。
「へ?」
修が移動してすぐ、響子が近付いてくる気配を感じ、修は小さな声ではあるが間抜けな声を出してしまう。
そして響子はそんな修を気にも留めないまま、修の隣へと移動してきた。
守るにはこの位置の方が良いかと納得すると、修は学生達へと目をやる。
当然ながら、先程までとは違い、その姿は随分とくっきり見える。
あの天才魔術師見習いがいる中、本来であればあまり近付きたくない距離感ではあったが、彼女達は刃狼に夢中だ。
その刃狼も無駄に絡んでくるゴブリンについに業を煮やして、ゴブリン達を細切れにしていた。
ゴブリンも無駄なことをしなければ、その命を失うこともなかっただろうが、その知能の低さと無駄に強いナワバリ意識には抗えなかった様だった。
刃狼がゴブリンを細切れにした直後、不意に修と響子をジッと睨むと一吠えした。
その瞬間、刃狼の首元、長い白銀の体毛の中にチラリとピンク色の何かが見えた。
「え……あれ」
修の中で何かが繋がった。
修はもう一度その首元ををしっかりと確認しようとするも、既に刃狼は体を翻し、軽やかに去って行く途中であったため確認することは叶わなかった。
とは言え、先ほどの一瞬だけで十分と言えば十分だった。
修の考えが間違いでなければ、あれは首輪だ。刃狼と派手なピンク色の首輪という、色々な意味で似合わない二つが修に懐かしい記憶を思い返させた。
もう五年以上は前の話だ。少なくともあの異界化が起こる前の話になる。
初めは彼女がどこかで捨て犬でも拾ってきたのかと思ったのだが、蓋を開けてみれば、それは外界の食物連鎖の中でも上位に君臨する刃狼の子供だったというのだから恐ろしい話だった。
結局の所、一年以上もその刃狼の子供と暮らすことになったのだから、あの時はどうかしていたのだと今更ながらに修は思った。
結局、刃狼の子供を拾ってきた後も様々な事件があり、退屈しようにも出来ない日々が続くことになったが、今となってみれば良い思い出になったと修は思っていた。
あのピンク色の首輪も彼女の首に付けられるまでは色々あったものだ。外界でしか取れない貴重な素材を使った首輪だ。恐らくあの素材を首輪に使った人など修達しかいないだろう。もっと言えば、刃狼に首輪を付けた人間も修たちしかいないと断言できた。
結局異界化によってその刃狼とは別れることになったが、それがまさかもう一度出会うことになるとは、修はかけらも思って居なかった。
「響子あれって……」
懐かしいやら、予想外の出会いへの驚きやら色んな感情が入り混じったことで、修は思わず響子を昔の呼び方で呼んでしまう。
「うん。やっぱりあの子だった」
響子は目を細めて懐かしそうな、どこか泣きそうな表情を浮かべて、その刃狼が去っていった方向を眺めており、呼び方には気が付いていないようであった。
「……やっぱり?」
修はその響子の返答に首を傾げた。
やっぱり、という事は既に響子はあの刃狼が、いつかのあの刃狼だということに気が付いていたことになる。
確かに刃狼も犬などと同じように、一頭一頭、しっかりと顔立ちに個性がある事は修も知っている。
確かに言われてみれば、修が知っているあの刃狼の子供に似た、くっきりとした美人な顔立ちではあった。
とは言え、修が最後にその刃狼を見たのはもう五年も前だ。それに、サイズも大型犬くらいしかなかった。
いくら何でもそれで気が付けというのも無理な話だ。
「あの横顔を見たときにピンときたの。あの子だって」
つまり、響子は一目刃狼を見た瞬間にピンときていたというわけだ。というよりか、恐らく最後まで気がついていなかったのは修だけだ。
やけにゆっくり歩いていた時点であの刃狼も早々に修達に気がついていたであろうことに簡単に気がついた。
「あぁ、そうだな」
修は言えるわけがなかった。あのピンクの首輪が見えても確信できなかったということを。
ここでもし、今の今まで全く気が付いていませんでした、なんて響子に言った日には、関係修復は絶望的になるだろことくらい修にもわかる。
あの刃狼の存在も、間違いなく響子にとっては大切な思い出の一つでもあり、ある種の忘れ形見のような側面もある。
修は全力でシラを切ることに決めた。
一方で、響子はあの日々のことを思い返しているのか、涙目になりながら、柔らかい表情を浮かべていた。
どこか居心地の悪さを感じた修は、思い出したかのように学生達に目をやる。
学生達は自分達が刃狼に吠えられたと感じた様で、警戒してか、怯えてかその場から未だに動いていなかった。
「ま、そうだよな……」
刃狼にあの距離感で吠えられれば、そうなってもおかしくない。刃狼と言うのは本来そういった存在だ。刃狼に首輪を付けようとする方がおかしいのだ。
とは言え、その程度でずっと怯えている様では探索者には到底なれない。
幸い学生達もしっかり切り替えが出来たようで、しばらくはその場で少しだけ話をしていたが、すぐに移動を再開した。
「風音さん。彼らも移動を再開したみたいだから俺たちも行こう」
「うん。行こう」
その言葉に響子は目元を少し手で擦ると、頷き、元の持ち場へと戻っていった。
修はそれを見送ると小さくため息をついた。
「この再会がいいきっかけになるといいんだけどな……」
独り言をこぼした後、修も頭を切り替え、護衛を再開するのだった。




