外界演習1
「いやな天気だ」
修の呟きは黒い雲に覆われた空に吸い込まれるように消えた。
外界演習当日の部屋の窓から見えるの天気はあいにくの曇りだ。しかも、今にも雨が降り出しそうな黒く厚い雲が空を覆っていた。
修はただただ、雨が降らなければ良いな、と願わずにはいられなかった。
雨にもメリットとデメリットの両面があるが、基本的に雨は体力を消耗する要因になるため、外界の探索者にとってはマイナス要素の強い天候だ。
何より今回、修が雪に勧めたスパイク設置のための案は地中で作業するものだ。雨が降ったとなると、その案は実行出来ないだろう。
となると四班のメンバーが状況を見極めて、適切な設置方法を考えなければならない。
もしかしたら副案もいくつか考えてきているかもしれないが、どちらにせよ、スムーズに予定を変更できるかと言われると、そうでない可能性の方が高いだろうと、修は思っていた。
プロの探索者であれば、複数の選択肢をその状況に合わせて選び、実行出来るが、それを彼らに求めるのは酷だ。
「小雨だけは勘弁してくれ……」
ある程度強い雨であれば、魔獣や外獣の活動も鈍る。それにスパイクの起動音も雨の音で多少は打ち消されるだろうし、その光も滲んでどこから出ているのかは分かりづらくなる。
四班のメンバーがそこに気がつけるかどうかは不明だが、その天候はある意味スパイク設置にはうってつけではあった。
避けたいのは、ただただ地面がぬかるみ、水溜りが少し出来るような小雨だ。
天候に関しては神のみぞ知るだし、今更修がどうこう足掻いてもなるようになるしかない。
修が出来ることといえば、その天候によって変わるであろう四班が取る行動の予測と対策だ。となれば、今後の天気を知っておく必要があった。
生憎、修は天気を知るための魔術を使えない。
そうなると、誰かに頼むしかない訳であるが、その相手は幸か不幸かすぐ近くにいる人物だった。
今回、師匠達のために控え室が用意されている。
一班につき一部屋ずつ、護衛役の魔術師達に用意されたその控え室には、二人では有り余るほどの椅子が備え付けられてあった。
しかし、響子はそのどれにも座らず、修が座る椅子からぎりぎり視界に入る位置に立ち、窓の外をじっと見ている。
予行演習で少しは関係性がマシになるかも、という修の淡い願いは全く届かずに、未だに二人の間には深い溝があった。
とは言え、仕事は仕事であり、今回は修達の動き次第では弟子達の命も左右するかもしれない仕事だ。
好き嫌いや気まずさという感情だけで、やらなければならないことを放棄するわけにはいかなかった。
「風音さん。天気を……」
「……もうやってる」
響子はぶっきらぼうにそう返した。
これが二人の本日初の会話である。
とりあえず返事があったことに修は安堵し、外を眺めている響子が使っているであろう魔術、「空読み」の結果を待つことにした。
これは現存する魔術の中でも非常に特殊な分類にあたるもので、「呪術」と呼ばれている。
この他にも占いなどもこちらに分類されており、要は魔力を使った何かであるがその仕組みがよく分かっていないものを無理矢理カテゴライズしているのが「呪術」というカテゴリーの現状だ。
実際の所、呪術に分類される物は通常の魔術とは違い、魔法陣を必須としていない。
魔力と「願い」や「想い」と言った要素に加えて、何かしらの儀式や簡易な魔法陣などがあれば使うことができる。
一見すると、かなり自由度が高く、魔術より簡単に思えるが、その実は逆だ。
自由ということは形やルールが存在していない技術ということであり、習得のための訓練から、実際に使用するに至るまで、全て自分の感覚を頼りに行う必要性があるため、かなり人を選ぶ。
残念ながら修に呪術の適性はなく、一度もマトモに使えたことがなかった。
修と響子の旧知に、「呪術」の第一人者どころか、世界で一番の使い手がいたため、修も知識だけは豊富だったが、呪術に関してだけはこの先永遠に使えないとほぼ確信していた。
一方で、響子は適性があったようで、その知人程使いこなせてはいないが、ある程度は使用できるレベルにはあった。
二人の仲が拗れる前に修が響子に、どのようにして天気がわかるのか、と聞いたところ、それぞれの天候ごとに音が返ってくるからそれを聴き分けている、と響子は何のこともないように答え、それも修が呪術の習得を諦めた理由の一つでもあった。
「多分、大雨が降るわ」
修が話しかけてから十数秒後、響子は修のからそっぽ向いたままそう言った。
呪術は「想い」や「願い」の強さによって、その精度や威力、結果がでるまでの時間などが変わる。そのため、非常にムラが目立つものだ。
響子の「多分」という言葉からも読み取れる通り、100%はありえないし、呪術によってもたらされる結果を100%望み通りにすることも非常に難しいことは修もよく知っていた。
「大雨なら悪くないか」
とはいえ、修の知る限りでは、響子の空読みが大きく外れたことは、たったの一度しかない。
となれば、修がやるべきことは、その結果を信じて、自身達の大雨対策と、大雨が降った時の見習い達の行動を予測することだ。
外界演習の成否は学生達がどれだけハズレの選択肢を引かないかにかかっている。
演習が始まってから、修が雪達にできることは一つもない。
もしあるとしても、何が問題が起こってからであり、それは出来る限り避けたいところであった。
外界での不測のトラブルに安全なものなんて何一つとしてないのだから。
修が腕時計を見ると、あと四十五分ほどで演習の開始時刻になるところだった。その時刻まで間には、所定の位置で待機しておかなければならない。
とは言えまだ少し余裕はあった。
響子とは地獄のような気まずい空気の中、一度最低限の打ち合わせをしてはいたが、天候のこともあるため、この時間を使ってもう一度した方が良いことは明白だった。
修は「仕事だから。仕事だから」と心の中で唱えながら、修は遠からず近からずの絶妙な距離を保って立っている響子へと顔を向ける。
「あの……風音さん。念のため打ち合わせをしておかないか?」
「……分かった」
数秒の間が空いたのちに返ってきた答えに修は胸を撫で下ろした。
響子もプロであり、やることはやる人物であることはよく知っているが、それでもこの関係性の悪さがある以上、コミュニケーション面での不安は尽きなかった。
響子の了承を得たところで、修は自身のタブレット端末とプロジェクターを接続し、スクリーンに外界の地図を映し出す。
スタート地点のゲートから目的地周辺までの広域の地図と目的地周辺の詳細な地図の二種類が映し出されている。
しかし、それらは地図にしてはずいぶんと不完全なものであった。
広域の地図は空白の部分が目立つし、詳細な地図も同様に空白の部分は多くある。
「一応この地図だと丸が付いている場所が四班の指定設置ポイントだ」
広域地図と詳細地図共に赤い丸が地図上に記されている。
そして、そこまでに至るルート候補として色とりどりの線が引いてあった。
一見するとただの未完成な地図に見えるが、外界探索者から見るとその見え方は随分と違う。
魔獣や外獣の生息地から注意ポイント、何かあった際の臨時のセーフポイントに出来そうな場所など様々な情報が記載されているため、外界探索においてはこれ以上ない出来であった。
「一応道中の危険ポイントや注意ポイントは前回共有した通りだが、他に何かあるか?」
「特にない……けど、道中は近辺に遮蔽物がない場所も多いけど、どうするの?」
「一人は「望遠」で様子を伺って、もう一人は可能な限り近い隠れられる場所に待機だな」
「私が待機するのが基本でいい?」
「それがいいと思う」
遮蔽物がない場所があるとは言っても、直ぐそばに控えられないだけではある。基本的にこのエリア全体が市街地跡であるため、直接様子を窺えない位置であれば幾らでも場所はある。
となれば、修が魔術で遠距離から四班の様子を窺い、万が一があれば、移動速度の速い響子に急行してもらうのがベストであった。
「あも、一つだけ注意があるわ。雫ちゃんは魔力との親和性が高いから、魔力の感知能力が高いの。だから、雫ちゃんをじっくり見ることはなるべく避けて」
そっぽを向くことは流石にしていなかったが、視線を修に合わせることの無かった響子が、このタイミングだけ、しっかり修の方を向いてそう言った。
「望遠」の魔術は人を覗き見る用途で作られた魔術ではなく、望遠鏡から連想される言葉の通り、元は天体を観測するために作られたものであった。
そのため、仕組みは天文台にあるような望遠鏡と似通ったもので、自身の魔力を飛ばしてその映像を取ってきている。
つまり、魔力を感知の能力が高い者が相手の場合、見られているということやおおよその方向がバレてしまう可能性があった。
「そのレベルの魔術師見習いって、本当にどうなってんだか……」
「それに関しては私も同意よ。魔術師の上位層に食い込めるレベルだと思う。だからあの子には油断しないようにして」
「了解。あと、あの男子のすらっとした方もよく周りを見ているから気をつけた方が良さそうだ。バレると佐伯さんが怖そうだからな」
「佐伯さんの指導……」
そう呟く響子の目はどこか遠くを見ていた。
基本的に出来が良すぎた響子が受けた指導は修から見ても地獄以外の何物でもなかった。
佐伯による指導は地獄だ。
大人子供性別に関わりなく、その者の限界ギリギリを目標として設定するため、楽だったことは一度もなかった。
指導者としても天才で、慧眼の持ち主だが、その指導を受けている側からするとツラいの一言しかなかった。
修の知る中では、その指導を楽しそうに受けてたのは一人だけであり、その一人も規格外だったため参考にはならない。
とは言え、そのツラい訓練が巡り巡って今の実力に直結しているのだから、修と響子は佐伯に文句の一つどころか、頭も上がらない。
「ところで日比谷さんの弟子は大丈夫なの?」
「どういう意味なのかによるが、いろんな面で運用次第だな。少なくとも、サポートという意味ではあてにしない方がいいな」
前回は雪のおかげで四班は無事に窮地を脱することが出来た。
その一方で、そのフォローに必死で入った師匠陣が大変な思いをした事と、そのフォローが無ければ四班は無事ではなかったことも事実だ。
「わかった。それと、異常現象についてなんだけど……」
「佐伯さんの話か。俺も気になって調べてみたが、レベル1の異常現象にしてはちょっと問題が多発しすぎてるな」
「私も探索者達から話を聞いたけど、一日中、まともに通信が使えない日もあるらしいわ」
「となると、演習の間に通信機が使えなくなる可能性も考慮しておかないとだな。一応、俺たちも別個でリンクマジックを繋いでおこう」
外界で使われている通信機はスパイクを基地局として活用することを前提としたものだ。現在の技術では、スパイクを介さない通信機同士の通信だと、ラグが発生することと、通信の際の魔力消費ですぐ使い物にならなくなるからだ。
修達が使うような通信機は軽量化とコスト削減のため、リンクマジックを行使、維持するだけの魔力分しか余裕はない。
勿論、もっと性能の良いものもあるが、そんなものは高価かつ大型であるため、余程の大金持ちか緊急事態にしか使われない。
「了解。あと、異常発生に関しては私が警戒するけど、日比谷さんと一応気にしておいて」
「そうだな。もう、あの異界化の時と同じ轍は踏まないようにしないと………。すまん、この話は関係ないな」
急に表情が曇った響子を見て、修は顔を逸らして謝った。
五年前の「異界化」事件は、天涯孤独の響子にとって、姉とも呼べる存在を亡くした事件だ。
そのため、今になってまだ、響子にとっては忘れたくても忘れられない事件であることは修もよく知っていたはずだった。
それに、彼女が死んでしまったのは紛れもなく修のせいであると、自分でも分かっているのだから、余計に修から口にすべきではない話題だった。
表情の戻らない響子を見て、修は自分の至らなさに申し訳なさでいっぱいだった。
「すまん」
「ちがっ……あれは修くんの……」
顔を上げて、そう声を上げた響子はその言葉の先を言うことなく、力無く項垂れた。
気が付けば、外の天気は小雨へと変わっていた。




