飛び込み
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時刻は朝の十時。
来客を告げるチャイムによって修は叩き起こされた。
寝ぼけ眼で修が玄関モニターを見ると、そこにはつい先日顔を合わせたばかりの弟子が立っていた。
「昨日の今日でいきなり何だ?」
修はそう呟きながら、脳内でスケジュールを確認したが、特に予定は入っていない。徒弟制度関連で言えば、弟子との本格的な指導が始まるのも来週からだ。
それどころから、今日は久々の休日だ。一日中ダラダラして過ごすつもりだった。
「仕方ないか……」
当然だが、居留守はほったらかしも良くない。
とりあえず、モニターの向こうで、手を前で組んで居心地悪そうに立っている雪を部屋に上げることにした。
「師匠にお願いがありまして……」
借りて来た猫みたいに縮こまっている雪を部屋に招いて、修が家に来た理由を聞くと最初に飛んできたのはそんな言葉だった。
「……お願いって?」
わざわざ修の家まで足を運んでまでするお願いは何なのだろうと、修は身構えた。
それにしても家族が恐ろしい弟子だ。
徒弟制度反対されたなどで、家族問題を解決してくれと言われると、何の準備もしていない修では滅多打ちにされるだけだ。
「私だけでは解決できないので、非常に勝手なお願いなんですが……」
非常に恐縮した様子の雪に修の嫌な予感は強まる。
「指導の開始日を早めて頂けませんか?」
修は椅子から滑り落ちそうになった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと足を滑らせただけ」
修はゆっくり席に座りなおすと、咳払いを一つする。
「でも、そのくらいのことなら、電話かメッセージしてくれれば十分なのに」
「それなんですが、連絡先を交換するのを忘れていまして……」
「そういえば、確かに」
「本来でしたら、もっと早いタイミングでそういう機会もあるんですが、私の場合師匠が交代になりましたので」
「なるほど。まぁ、魔術省も随分と不親切なことで」
役所的な何かがあるのだろうと修も理解はできるが、それにしても少し不親切だなと思ってしまう。
また今度の機会にでも兵吾に文句でも言おうと修は決めた。
「その、師匠……よろしいでしょうか」
雪が上目遣いでおずおずと修に伺いを立てる。
何ともあざとい仕草だが、雪の場合は無意識であるためいやらしさは一切感じない。
修としても、「YES」と応えてあげたいのだが、その答えはもう決まっていた。
「悪いけど、しっかりとした指導は予定通り来週からにしよう」
「そ、そうですよね……。いきなりすみませんでした。また来週からお願いします!……失礼しました」
雪は一瞬だけ落胆した様子を見せたが、愛想笑いを浮かべると、今度はものすごい勢いで立ち去ろうとする。
「待った待った」
そんな雪に修が慌ててストップをかける。
それと同時に、昨日も似たようなことがあったなと修は思い出す。
雪はおっとりとしていて、穏やかそうな雰囲気をしていて品もあるが、それは見た目だけで、実の所は猪突猛進型なんではなかろうかと修は思い始めていた。
とは言え、まだ出会って二日目だ。修は半信半疑の直感を思考の外へ飛ばして、雪へと意識を戻す。
実はなんとなく、こうなることを修は半ば予想していた。
とはいえ、葛西家は雪が魔術師になることに関して反対の立場とは聞いている。当然、徒弟制度についてもよくは思っていないだろう。
そんな状況で勝手に指導開始日を早めたら、何を言われるか分かったものではないし、少なくとも印象が悪くなるのは避けられないだろう。
だから、修は「予習」という形で指導の前倒しが出来るようなものを用意していたのだった。
「しっかりとした、って言っただろ。これから一週間の間に出来る予習をあげるから、それをやっておいてほしい」
予習の内容的には元々試してもらいたい指導法の一つであったため、特段問題はない。
それに、これに関しては練習量がものを言うものであるため、タイミング的にも悪くは無かった。
「予習……ですか」
雪は少し首を傾げる。
「そうだ。ただし、予習とは言えども、この予習を完璧にマスターすれば葛西さんの問題は大きく改善することは間違いないけどな」
「そんなにですか!?」
雪は大袈裟に見えるくらい驚いて声を上げる。
過去に様々な方法を使っても克服できなかった弱点を、たった一つの方法で、しかも指導者不在で克服させようなんて、雪にとっては中々信じがたい話だった。
「かなり根気が必要だし、地味で辛い予習だけど、それでもやるっていうならって感じだけどな」
「もちろんやります」
そんな修の脅しのような言葉には屈せず、雪は即座に返事をする。
「じゃあ、少し待ってて」
「は、はい。分かりました」
そう言って修は席を立ち、別の部屋へと消えていく。
「……どんな方法なんだろう」
雪の心は期待半分、不安半分と言ったところだ。
勇ましくやります、と入ったもののいろんな面で不安は隠しきれない。
期待は言わずもがな、不安に関しては二つの理由だ。
一つは言うまでもなく、それでも自分の弱点が克服できないかもしれない、と言う不安。
もう一つは、指導の結果が出ず、師匠から見捨てられたり、手に負えないと諦められたりするんじゃ無いだろうかと言う不安だ。
雪は自無意識にではあるが、劣等感や今までの経験から、魔術という部分で人に見捨てられる、見放される事に強い恐怖心を抱いていた。
「ごめんごめん、ちょっと置いた場所忘れて、探すのに時間がかかった」
「いえ、全然」
五分後くらいに修は戻ってきた。
「ほらこれ」
「指輪……ですか」
そう言って、修はシルバーの指輪を雪に手渡す。
指輪はしっかりと磨かれており汚れもないが、小さな傷がいくつかあり、新品ではないことがわかる。
それは一見すると普通の指輪に見えるが、リングの表面の中央に細い赤いラインが入っていた。
よく見ると、赤い線が刻まれている訳ではなく、赤色の艶がある石の様な素材が埋め込んであると言うことが分かる。
そして、そのリングの内側には文字のようなものが刻まれていた。
「これは魔法文字ですよね……?」
魔法文字は魔法陣を構築する上で必要であるため、雪もしっかりと勉強している。
流石にもう何年も使っているし、学んでいる文字であるため、それが魔法文字だと雪には一眼で分かった。
そして、魔法文字が刻まれていると言うことは、この指輪はただの指輪なんかではなく、魔具であると言うことにも雪は気がついた。
「もしかして、これって魔具ですか……」
雪は信じられない、と言ったような声色でそう言う。
魔具、もしくは魔道具と呼ばれるものは、その名の通り魔術的な技術と魔力を利用した道具であり、量産品であっても随分と値の張るものだ。
安いものですら、十数万円は下らない。
「俺のお古で申し訳ないが、暫くはこの指輪をつけてほしい。特殊な金属を使っているから、サイズは自動調整になってる」
「さすがにこんな高価な物は……」
意外にも、雪はお嬢様の割には一般的な金銭感覚を持っているようで、修は感心する。
「魔術師になりたいんだろ?それに、ここで使わないと箪笥の肥やしになるだけだから、受け取ってくれ」
「わかりました。ありがとうございます。大事に使います」
「ちなみに中の魔法文字は読めるか?」
「一応勉強はしていますが……」
修の問いかけに、雪はその指輪をクルクルと回して刻まれている魔法文字を読み取る。
魔法文字に関してはそれなりに自信があった雪だが、指輪に刻まれている文章は所々単語だけ拾える位しか分からなかった。
「抑制……?すみません、全然分からないです」
分からないといいながらも、諦めず指輪の魔法文字と格闘している雪に、修は笑いながら指輪の説明をする。
「一部だけでも読めるなら大したもんだ。それは一応ワンオフのオリジナルの魔道具だしな。構文も構築も割と高度なものだし、偽装も入れてる」
「オ……オリジナルの魔道具」
今まで手に取りクルクル回して眺めていた雪は、指輪を恐る恐る静かにテーブルに置いた。
そんな雪の様子に修は軽く笑う。
「さっきも言ったけど、俺のお古だし、もう使っていないから、気にせずしっかり使い潰してくれ」
「いやでも流石に……」
自身は持っていないが、雪も名家のお嬢様だ。オリジナルの魔道具の価値はよく知っている。
素人が作ったガラクタの様な物は別として、普通であれば、安い物でも数百万の値が付き、上を見ればキリがない。
簡単に人に貸し出せるものではないことはよく知っている。
当然、作成者である修はその魔具の価値を一番良く分かっている。
だからこそ雪の反応は理解できるが、彼女に語っている事は事実だ。
貴重な指輪ではあるし、思い入れもあるが、形あるものはいずれ壊れるものだと修は考えている。
道具なのだから使われずに保管されるより、壊れるリスクがあるとしても雪にしっかり使ってもらった方が製作者としても良かった。
「これは師匠命令。壊れてもお金を取るなんて事はしないから安心してくれ」
「……はい」
恐る恐る、と言った表情で雪は頷く。
「それで、指輪の説明だけど、その指輪は魔術行使精度を向上させるために作った」
魔術行使精度とあまり耳に聞き覚えのない単語が出てきて、雪はそれ確認するように修へと問いかけた。
「えっと、魔術行使精度ですか?」
「深く考えなくていい。文字通りの意味で、魔術を使う精度のことだ。要は魔術を使う腕前を上げるのを目的としたものだな」
「聞きなれない言葉ですが、具体的にはどのようにするんですか?」
「魔術を行使する上で特に重要なのは三つだ。それが、魔法陣の構築精度、構築速度、そして魔力量だ。つまり、いかに正確に速く魔法陣を構築し、適量の魔力を使って魔術を行使するか、ってことだ」
「適量の魔力……」
心当たりはあったのか、雪はそう呟いた。
「葛西さんは適量の魔力という部分の精度が極めて低いと思われる。魔術ごとに適量の魔力というものがあるから、それを超過するか不足すると不暴発したり、不発になったりする」
「……心あたりはあります」
むしろ、心当たりしかなかった。
最近はいろいろと配慮出来るようになったが、昔は暴発や不発で随分と周りに迷惑をかけた苦い思い出があった。
「その指輪が出来ることは二つ。一つは、魔術ごとの適正な構築精度、速度、魔力量の許容幅を設定して、その設定範囲内でしか魔術を行使できなくするようにするもの。もう一つが、放出する魔力量を強制的に制限をかけるもの」
その説明に雪はハッとする。
「つまり、本来必要な魔力の感覚を指輪で養えるんですか?」
「そういうこと。それがあれば暴発も防げるし、指輪もそうそう壊れないから思う存分やってくれ。それこそ、七等級魔術を使うほどの出力を出し続けない限り問題ないはずだ」
「すごい!すごいですよ師匠!!……あれ?でもそれって……」
その修の説明に嬉々とした様子で指輪を指につけた雪だが、ふと、何かに気が付いたように固まる。
そして、恐る恐る雪は修の顔を見る。
「それって、設定範囲内じゃないと魔術を使えないってことですよね……」
その言葉に修はにこっと笑顔を浮かべた。
「ま、暫くは葛西さんは魔術とは無縁の生活になるな」
「……一応、私達は今後も週に二、三回は大学の授業があるんですけど……」
国の制度として行っているとは言え、高等学校でも大学でも、その授業が完全に免除になる事はない。
学校によって違いはあるが、雪の通っている大学であれば、最低でも一週間に二日程は出席日がある。
今までの魔術に関する知識の復習や実習、成果の披露などが主に行われているが、最大の目的は弟子へのサポートと師匠の監視だ。
これは徒弟制度側のルールであり、学校に通っていない者であっても、徒弟制度の担当職員との面談や連絡が必要であったりする。
残念ながら全ての師匠候補が清廉潔白な人物ではないのだ。
「安心してくれ。師匠の指導が理由の場合、しばらくは事前に申請すれば問題ないはずだ。ただまぁ、そんな長期間は許してくれないとは思うけどな」
「うっ……分かりました。頑張ります……」
自分から、しかも本格的に指導が始まる一週間も前に駆け込んだ以上、雪の立場的に物申せることは一つもなかった。
「あ、そうだ」
不安げな表情を浮かべる雪に、ハッとした様子で修が手を叩く。
「緊急時用でその赤いラインに魔術を放出しながら指でなぞると指輪の効果が解除されるるようにしている。ちなみに解除すると俺しか再設定できないから不正はわかるぞ」
「でもそれ、繊細な魔術の放出が苦手だと……」
「そうだなぁ。解除した瞬間に魔力切れとかなるとかはないと思う。多分。指輪が壊れることはもないはず…。多分な」
そう自分で言っておきながらも、雪が指輪をすぐ壊す未来が見えて対策を練り始めた修がいた。
「とりあえず、それで一週間、ちゃんと魔術を使いながら生活をしてみてほしい」
「……はい。分かりました。頑張ります!」
雪はテーブルに置いた指輪を手にとりながら頷いた。
「じゃあ、ついでだから、実力も見させてもらうか」
「へ?」
その修の言葉とパチンというはじく音と共に、突然雪の視界が飛んだ。
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