顔合わせの日2
修は葛西雪が椅子に座ったのを確認すると、遮音用の魔術発動する。誰が聞いてるわけでも無いし、聞かれたところで困る話もないが、何となくだ。
「とりあえず、俺から自己紹介を。日比谷修と申します。これからよろしくお願いします」
その言葉に対して軽く頭を下げた彼女は続けて自分の自己紹介を始めた。
「葛西雪と申します。様々なご迷惑をお掛けするかも知れませんがよろしくお願いします」
と、両者の自己紹介が終わった所で、僅かな沈黙が訪れた。
実はこの時間に何をするのかを修は丸っきり考えてなかったからだ。
「そうだな……。指導方針とかはゆっくり決めていくつもりだから、まずは、何か質問あるかな。これから長い付き合いになるんだし、そんなに気を使わなくてもいいから」
とりあえず当たり障り無いことで話を始めた修だったが、それこそが主にこの場で行われている事である。
直接話をし、親睦を深める。そして、双方の実力の把握や疑問の解消などが出来たら尚良し。
直接、指導に入るよりも、こういったクッションを一度挟んで、相手の人となりを知れるようにしておくのは世の常だ。
「最初の質問としては少しおかしいかもしれませんが、私は日比谷さんのことは何とお呼びした方がいいですか?」
本当に全く思ってもいない質問が飛び出し、そこから?、と修はツッコミかけたが、踏みとどまる。
冷静になって、改めて彼女の質問を飲み込むも、特に修に拘りはなかった。
とはいえ、何でも、という返事だと困ることは容易に想像出来たため、修は選択肢を提示することにした。
「そのまま日比谷か師匠のどちらか、と思ってるけど、どちらが良い?」
その選択肢に少し悩んだそぶりを雪は見せるが、意外にもその時間は短く、雪はすぐに答えを出した。
「それでは、師匠でお願いします」
「了解。俺は葛西さんと呼ばせてもらう」
師匠と呼ばれるのも中々悪くないなと修が感じている一方で、雪は少し恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
その彼女の反応ややり取りを通じて、修は彼女からあまり名家のお嬢様らしさを感じなかった。
勿論、立ち振る舞いや雰囲気、そして言葉遣いからは育ちの良さが出ているが、何処か庶民じみた、いい意味で普通の女の子のようだ。
修の知っている名家の人間やそれに連なる家の人々は、良し悪しは別として、人前では堂々としている者ばかりだ。
仕事柄その辺りに詳しい兵吾に修がその理由を聞いたところ、ある一族では「どんな時でも堂々と振る舞いなさい。それが家の名を背負っている上での義務だ」と教育されているらしい。
そして、その一族に限らず大体どこもそんな感じの教育をしているらしいと、修は兵吾から聞いていた。
と、思考が横道に逸れたところで、しっかりと弟子と会話しなければと修は雪に話を振る。
「それじゃ、他に質問はないか?得意な魔術はなにか、とか」
「では、師匠の魔術についてお聞きしても良いでしょうか?」
「もちろん。構わないよ」
修の等級について興味があるのか、雪の表情から少し緊張が取れ、興味の色が浮かんだ。
魔術師にとって、保有魔力量と使用できる魔術等級が実力の指標となる。そして等級の話をするには魔術の仕組みを知る必要がある。
現在、人が魔術を使う為には魔法陣を構築する必要がある。
さらに細かく言うのであれば、魔法という奇跡を使うために、魔法陣というツールがあり、その魔法陣と魔力を扱う術のことを魔術というのだ。
全ての魔術師は魔法陣を構築し、その魔法陣から「魔法」を発動させる。結果としては魔法を使っている訳だが、その行為を引っくるめて魔術を使うということになっている。
そして、魔術の特徴的な点は、それを使用する際、人によって様々なアクションやきっかけが存在することだろう。
勿論、スタンダードな方法というものは存在するが、詠唱や印を結ぶ者、魔術の名前を叫んだり、と様々な方法がある。中には無詠唱や歌う、踊るなんてのもある。
どんな方法にせよ、必ず魔法陣を構築し、そこに魔力を注ぎ、魔術を行使する、という流れさえ同じであれば、魔法陣から魔法という奇跡が起きる。
その為、対人戦闘などでは魔術師はアクションを変えて自分が使う魔術やそのタイミングを悟らせない様にしたりする。
最近では、魔法陣を別の魔法陣に偽装するなんて技も存在している。
「俺が使うのは五等級ばかりだな」
魔術の難易度を示すものが等級だ。
その魔術を行使する難易度が一番高い物が特級で、その下が七等級であり、そこから難易度が下がるごとに数字は小さくなり、一番下は一等級となる。
本来であれば一等級が一番上であるが、そこは魔法陣の仕組みを反映した結果逆になっている。
どう言うことかと言うと、魔法陣は基礎からどんどん効果を足していくという仕組みだからだ。
例えば、火種を起こす最も基礎的な魔術を一等級と言い、それを○だとする。
そこから少し大きな火の二等級魔術にするためには、その魔法陣の周りに一回り大きい魔法陣を書き加えて◎にする、といったような流れで魔法陣はより上位のものになる。
言うまでもなく、等級が上がれば上がるほどより複雑で、消費魔力は増加する傾向になり、その結果、魔術の難易度も上がるし、当然その分だけ魔術の威力や効果も高くなる。
とは言え、例え同じ魔術を使ったとしても、魔術師の実力次第ではその効果に差は出る。
その為、完全に正確な能力の指標とはなり得ないが、それでも使える魔術の等級は魔術師の実力の指標として活用されている。
「正直、葛西さんには申し訳ないが、ここに師匠として集められている魔術師の中では平均以下だろう」
「五等級……。平均以下ですか……」
何とも言えない表情で雪はそうぽつりと零した。
平均以下とは言っても、あくまで徒弟制度の師匠として呼ばれている優秀な魔術師達の中での平均だ。
魔術師全体としてみれば、五等級の魔術を基本に戦う魔術師は上位層に入る。
等級ごとに魔術師の実力を示すとなると、魔術師の卵や見習いであれば二等級魔術を主に使用する。
三等級魔術を使いこなせれば、駆け出しではあるがプロの魔術師として認められる。
本来であれば、国家資格を取った時点でプロの魔術師を名乗れるのだが、実力主義の魔術師界では、どんな魔術でも三等級程度は使えないと、周りからプロと認めてもらえない。
そして、次の四等級を使いこなせるようになれば一人前と言われ、五等級、六等級を使いこなせる様になれば実力者として扱われる。
つまり、プロにとっては三等級は基礎魔術のような扱いで、四等級が応用魔術、五等級になると発展魔術、いわゆる決め技のような扱いで、六等級となると超必殺技扱いだ。
ちなみに、それ以上となると別次元扱いになる。
第七陣を使える魔術師は天才と呼ばれ、特級魔術を使える者であれば歴史に名を刻む魔術師と呼んで差し支えないほど数少ない。
「まぁ、この中では低めかもしれないが、それ以下なら他の魔術師に劣らないレベルで使えるから安心してくれ」
元の師匠が変わって修がきて、それで平均以下といわれるとショックを受けても仕方ないと修は理解している。
だから、修はその雪の反応に怒るでも、やる気を無くすでもなく、安心させるためにそう言った。
「あ、いえ、すみません。そういう意味ではないんです。五等級も使えて平均以下って聞いて、私なんかがこの場にいていいのか少し不安になっただけなんです」
慌てた様子でそういう雪にうその気配は見えない。
その様子から、どうやら雪の抱えている問題は随分と根が深そうだと修は悟った。
「ちなみに、葛西さんはどの程度まで魔術を使える?」
その質問に雪は情けない表情を浮かべる。
「基本的には一等級で、ものによっては二等級まで……」
その雪の言葉にさすがの修もわずかに表情が固まる。
本来、徒弟制度を受けるレベルの見習いとなると、二等級までは問題なく扱えて、ものによっては三等級まで扱える、と言うのが望ましい。
これは魔術師見習いとしても平均以下であり、つまり、それ程までに雪の問題が大きいという証明でもあった。
その修の反応に気が付いた雪は、口元を引き結んだ悲しげな表情になり、修は慌てて弁解しようとするも言葉が見つからず、仕方なくそのまま聞きたいことを聞くことにした。
「一応聞いておくけど……。研究者ではなく、現場に出る魔術師を目指しているんだよな?」
修はどちらの畑でもプロとして活躍できる実力は持っている。雪の問題を考えると研究者として、と言う可能性もなくは無く、そうであれば修が師匠として抜擢される理由も頷ける。
「は、はい。……わ、私、どんな辛い指導でも耐えられます!!」
雪はわずかに腰を上げ、まるで縋るように必死の形相で修にそう伝える。
遮音魔術がなければ、周囲一帯に響いてもおかしくないボリュームだ。
「わ、わかったわかった。少し声を抑えて」
「す、すみません」
雪は周囲をみると、すこし顔を赤らめて、椅子にゆっくりと腰を下ろす
なんとなくこのやり取りで雪が今まで魔術師としてどんな扱いをされてきたのかを修は察した。
おそらく、彼女の努力はここまで一度も報われなかったのだろう。下手をすると彼女の夢を応援する者すら周りには居なかったのかもしれない。
そんな状況に置かれた彼女の唯一の希望が徒弟制度であることは間違いがない。
だからこそ、修は彼女に真実を告げなければならなかった。
「それじゃあ、まず一つ。葛西さんの欠点は普通の魔術師としては致命的なことを理解しておいてほしい」
「……はい」
そんな修の言葉に雪は弱弱しい返事をした。
修も心が痛いが、それを克服するには、色々な物事をはっきりしておく必要がある。
「その上でまずは欠点を克服するところからになる。当然、厳しいし辛い訓練になるとは思うけど、それを克服しないと魔術師として生きるのは厳しい」
「へ?私の問題って治るんですか?」
修の言葉に、雪は呆気にとられた表情をして、そう返す。。
修としてはハッキリとこのままではまず無理だし、厳しい修行になるぞと、半ば脅しのような言葉をかけたつもりだったのだが、どうやら雪にとっては違ったらしい。
「えぇっと。治るかは詳しく見てみないとわからないけど、無理ではないと思う」
「ほ、ほんとですか!!」
雪はガタッと椅子から腰を上げ、まるで修に掴みかからんばかりに机の方にぐっと身を乗り出した。
「か、葛西さん。落ち着いて、とりあえず」
雪はそんな修の言葉に顔を真っ赤にすると、縮こまるようにして椅子に腰を下ろす。
「すみません。その、真剣に向き合ってくれる人が久々で……」
顔をそのまま真っ赤にしたまま、膝に手を置いた雪は顔を真っ赤にしながら俯き加減でそう言った。
まぁ、そうだろうな、と修も納得した。
雪の問題を根本的なところで解決するには、結局、雪が精密な魔力の操作を出来るようになるしかない。それは、簡単な事じゃないどころか非常に難しい。
「私ってあの葛西一族の人間なんです」
知ってますか、と尋ねる雪に修は頷いた。
葛西とは日本でも屈指の魔術師の名家の一つだ。魔術師であれば、その名を知らない者の方が少ないだろう。
「私以外の家族は皆、魔術師として実力があって、活躍してるんです」
「そんな中で私が産まれて、私も魔力量的には歴代で一番だったらしいんです。でも、実際にはこんなザマで。私が魔術師になりたいって言うから、初めは皆色々と手を尽くしてくれたんですが、やっぱり治らなくて……」
俯き加減でそう言う雪から弱い笑みが見えた。
だから彼女は努力したのだろう。しかも並半端じゃない努力だ。なぜなら、筆記試験の一位という数字は、あの天才四人組を超えているだけじゃなく、おそらく史上初の満点なのだから。
「家族もそうですし、お医者さんも、学校の先生も、皆優しいから研究者になるように勧められていたんです。でも私は諦めたくなくて……」
確かに彼女の今の実力では、実践の魔術師としては非常に厳しいだろうが、研究者としてなら十分活躍できる素質がある。
「徒弟制度が最後の希望だったんです。だから、本気で私の欠点に向き合ってくれるんだなって、私の夢を諦めないで、本気で接してくれると思うと嬉しくて。そんな師匠となら私も頑張れると思って……」
雪はそう言うと真っ直ぐに修の目を見つめた。
これは彼女が修に向けた期待であり、修の責任だ。目を逸らすわけには行かないな、と修は心に誓った。
ただ、それはあくまで心持の話だ。こんな恥ずかしい告白を目の前でされると修まで恥ずかしくなる。
結局真っ直ぐな雪の視線と空気に耐えきれなくなった修がふっと目を逸らすと、雪もふと熱が引き、今までの自分の台詞がフィードバックする。そして、またまた面白いほど顔が真っ赤になった。
そこから、その場を逃げ出そうとする雪を止めるのに修が大そう苦労したのはまた別の話だ。