問題は山積み3
「疲れたぁ」
雪は家に帰るなり自室に直行し、お気に入りのソファへダイブした。
雪の母親が見ていようものなら、服が皺になるやら、だらしがないやらと小言が飛んできていただろうが、今晩はこの部屋どころか家にいるのも雪一人だけだ。よって、服に皺付いたところで文句を言われる事はない。
それに、この後は特に出かける予定もないのだから、家でゆっくりするだけなので、その点も問題もない。
「師匠といると勉強になるし楽しいけど、今回のは疲れたなぁ」
今回は、肉体的な疲れ、というよりも適性検査という慣れない体験から来る精神的な疲れが大きい。
だから、体を動かした後に来る心地よい疲労感というよりは、体の芯にずっしりと来るような少し重い疲労感だった。
雪が修と会う時というとそれは指導日になるわけで、基本的には実技が中心でたまに座学という形だ。
しかし、ここ数日間は指導が目的ではなく、雪の魔術師としての適性を探るための検査が目的だ。そのため、内容も普段とは大きく違った。
最初は幾つかの武器を順に渡されて、それぞれに魔力を込めたり、実際に振ってみたりと、まるで武器屋に来ているかの様な事をした。
それが終わると次に待っていたのは魔術だ。
こちらも修が事前にピックアップして来ていた、一等級から二等級までの様々な魔術を試すことになった。
それも、単純に魔術を行使するだけじゃなく、出来もしない魔力量の調整を指示されたり、構築速度を調整したり、詠唱破棄を試してみたりと、試してみたこともないことのオンパレードだった。
自認はしていないが、どうみても魔術馬鹿である今の雪でも流石に一日くらいは休みが欲しいと思った位だ。もちろん、休みなしと言われれば苦も無くできてしまう程度には魔術馬鹿は継続しているわけではあるが。
そんなわけで適性検査がひと段落したため、修からは次の指導まで二日ほどあけようという提案があった。
一応、雪としては明日の午前中休めば午後から修の指導を受けてもいいと思っていたのだが、一度やりすぎ禁止と注意をされている為、自重して修の提案を飲んだ。
兄からの話では、修は外界演習辺りからほとんど休みなしだった様だ。
とは言っても流石はプロの魔術師と言うべきか、雪から見ると全く疲れている様には見えなかった。
「プロの魔術師はその位普通なのかな?」
雪はそう呟くと、左手を掲げて左手首に巻いたブレスレットを眺める。細いシルバーのチェーンに赤い宝石のついたもので、それほど高級そうなものには見えない。
雪はそのまま体を起こして、ソファーに座り直すとそのブレスレットに魔力を込める。
訓練のおかげか、魔力を扱う感覚も少しだが掴めるようになってきており、自身の魔力がブレスレットに流れ込んでいくのが僅かにだが感じ取れた。
本来必要とする量よりは幾分多い魔力を雪によって流し込まれたブレスレットから虹色の燐光が舞い始める。そして、それとほぼ同時に、雪の手元には修に貸し出された鞘付きの片手剣が現れた。
「これは……普通の市販品だよね?流石に」
雪は手に持った片手剣をじっくりと眺める。
特に凝った意匠もなく、特別軽い訳でも、重い訳でもないシンプルな片手剣だ。
今回ばかりは修の言う通り、特別な物ではなさそうだった。
(結局また魔道具を借りることになっちゃったけど……)
左手首に嵌っているブレスレットは片手剣を召喚するための魔道具だ。
以前、修から貸し出された腕輪型の魔道具と交換という形で貸し出されることとなった。
ちょうど交換時期だったからとサラっと渡されたが、なんとなくグレードアップしているような気がしてならない。
「ほんとは自分で召喚できたら早いんだけど」
魔術省に勤めているか、修のような雇われの魔術師は、魔術絡みの犯罪や魔獣の出現などに対応する事も少なくない。
そう言った場合は緊急性が高い場合が多いが、それでも、見える形で武器を携帯することは法律で禁止されている。
魔術師そのものが危険であると言う認識が世間からは少なからずある事が大きな原因で、無闇に市民を刺激しないためにとられた措置だ。
勿論、魔術師は「召喚魔術」かそれと同等の効果をもつ魔道具を使って、異空間から武器を出し入れできる為、仕事に支障はない。
雪は少し思い立って、「召喚魔術」の魔法陣を構築してみる。
「やっぱり無理かぁ……」
雪は途中で崩れて消えてしまった魔法陣を眺めながら、あまり残念そうな様子は見せずそう呟いた。
それもそのはずで、雪が今試そうとしたのは五等級の魔術で雪の実力と言うどころか、見習いと言う括りでもまだまだ早い代物だ。
雪が今試そうとしたモノ以外にも「召喚魔術」は様々あり、武器を召喚することを目的としたものであれば代表的なものは三つだ。
その三つを、上中下の難易度で分けるならば、座標と武器を指定するものを下級、特定の武器もしくは場所から召喚するものを中級、そして亜空間に保存しそこから召喚するものが上級となる。
下級の魔術であれば見習いでも使えるが、縛りも多く、召喚にも時間がかかり、何より指定の場所に指定の武器がなければ使えないため使い勝手が悪い。
その為、多くの魔術師が中級か上級を完璧にするまで魔道具を利用する。
「あ、そうだ……」
雪は思い出したかの様に呟くと、武器をしまって体を起こす。
そのままソファーから体を下ろすと、ソファーの前に設置された木製のローテーブルの上に置かれたタブレット端末に手を伸ばす。
雪はまだ真新しいタブレットを手に取ると、使い慣れていない様子で画面を操作してメモ帳アプリを開くと、専用のタッチペンを手に取った。
「慣れるためにも使わないとね」
文字を書くことは魔法陣の構築技術向上に繋がると言うのは修の持論であり、雪もそれを教えられていた。
修の教えによって、始めて日記をつけ始めた雪であるが、元々、地道にコツコツと物事を続けることが得意な雪にとって、それは全く苦にならずにあっさりと日課となっていった。
そんな雪の日記の中身はというと、一般的なものから少しズレている。
本来メインであるはずの日々の些細な出来事や感想は僅かで、指導を受けた内容など、魔術に関してのものが大半であるからだ。
そんな訳だから、後で見返すのも大変だし、内容をまとめ直すとしても手間がかかるため、雪は外界演習の待機期間中にタブレットを購入しておいたのだった。
「まずは、使える魔術でも書いておこうかな……」
そして何やかんやで肝心の目的のところは何もできずにいた雪だが、今日、ようやく一つ目のページが作成される所だ。
雪はまだまだページの少ないメモアプリに「魔術習得表」と言うタイトルをつけて、新規メモを作成する。そして、「習得」と「習得中」の二分類に分けて魔術を書き出していく。
雪は一分近く悩んだ後「習得」の欄に「灯火」と「閃光」の二つを書き込む
悩んだ結果書き込まれた二つの魔術は外界演習の慌ただしい戦闘の最中でも使うことのできた魔術だ。
雪の個人的なメモだとは言え、甘い基準を設けても仕方ない。その点、実践で安定して使うことのできたこの二つに関しては、修に見せても合格が貰える自信があったのだ。
「他は習得中だよね……」
他の魔術で雪が使える、というと「結界」と「火花」になるのだが、流石にこの二つを習得の欄に入れることは出来なかった。
前者は魔術が持つそもそものポテンシャルが高すぎて、その基本的な所しか使えておらず、後者は必殺技と化している暴発での扱いだ。
「ふ、二つ……」
自分のことながら、改めて徒弟制度に合格している魔術師見習いとは思えない有様だ。
(ダメダメ。二つも使えるようになったと思わなきゃ)
雪はそう自分に言い聞かせる。
ほんの数ヶ月前までは十数年間ゼロだった訳だから、たった数ヶ月の成果としてはかなり上出来だと言えるだろう。
「師匠の言うとおり、ちゃんと増やしていかないと」
雪はそう呟くと、自分に今必要な習得すべき魔術を探すために、ネットの海へと潜っていった。