いつも通りの彼ら
深夜。もう間もなく、日付が変わる頃。
布団に入ろうとしていた日比谷修の動きを止めたのは、一本の着信だった。
「……嫌な予感がする」
そう呟いて、修はベッドへ向かっていた足を止め、ソファの横にあるローテーブルの上で震え続けている携帯端末を手に取った。
ディスプレイに表示された名前を見た瞬間、予感が的中してしまったことを悟り、ため息をついた。
「またか……」
修の脳裏に浮かんだのは、彫りの深い目元と高い鼻筋を持つ、整った容姿の男――親友であり悪友であり、さらには雇用主でもある長崎兵吾だった。
この時間帯に兵吾からの電話に、ろくな記憶はない。
今までの経験からしても、今回もまた緊急性が高く、面倒な案件であることは火を見るより明らかだった。
「どうするかなぁ……」
修がプロの魔術師として活動を始めてから、すでに七年が経つ。
キャリアとしては中堅の域に差し掛かっているが、魔術師業界的にはまだ若手と見なされる年齢だ。
そんな修に二年前、兵吾経由で舞い込んだのが、魔術省直属の仕事だった。
正確には、魔術省直属の“傭兵”という立場である。
正式な職員ではないが、政府に雇われた立場であり、報酬は良く、仕事は安定している。
サポート体制や福利厚生も整っていて、経歴としても申し分ない。
修は即答で承諾したが、後になってノルマの多さと仕事の過酷さに悲鳴を上げることとなった。
二年も経てば、さすがに仕事には慣れる。だが、慣れたからといって、気が進むわけではない。
修の指は、ディスプレイに表示された緑の通話ボタンへなかなか伸びなかった。
着信音が止まることを祈りながらも、この手の依頼は居留守を使っても無駄であることは、すでに理解していた。
――どうせやることになるのなら、早く動いた方がマシだ。
そんな結論に至り、耳元で囁く悪魔の声を振り払いながら、重い指を通話ボタンへと運んだ。
「こんな時間に、何の用ですか」
「なんだよ、なかなか出ないから寝てるのかと思った」
「寝るところだったんだ。それで、今回はまた緊急案件か?」
「いや、そこまで緊急じゃない。けど、できれば今、遅くとも明日の昼までには返事がほしい」
「それ、世間一般では超緊急って言うんだぞ」
ため息をついた修は、言葉を付け加えるように続けた。
「あと、前回みたいな案件は絶対にゴメンだ」
魔術省直属の傭兵には月ごとにこなすべきノルマがあり、一定数の依頼を受ける必要がある。
とはいえ、選択の自由はあり、依頼を断ることも、好きなものを選ぶこともできる。
ただし、ある程度の自由であり、魔術省からの直接依頼を断り続ければどうなるかは、考えるまでもない。
前回の仕事では、なぜか巨大化した黒いヤツらの処理をする羽目になった。
本来の対象は別だったが、現場に到着した頃にはヤツらがほぼ全てを壊滅させていたため、仕方なく対応したのだ。
ちなみにその「なぜか」が人為的なものである可能性を修が報告した結果、魔術省は一時大混乱に陥った。
とはいえ、修にとっては他人事でしかなく、むしろ「ざまあみろ」とさえ思っていた。
なお、兵吾もその地獄の真っただ中に巻き込まれていたため、さすがに同じような事態は御免だと考えているようだった。
「今回はそういう系じゃないから安心しろ。けど、今までで一番責任重大な案件でな。しかも拘束期間が長い。信頼できる人間にしか頼めない」
だからこそ、お前に頼みたい――兵吾はそう続けた。
若手魔術師のホープ、そして次世代を担う天才とまで言われている彼に、そこまで買われていることに対し、修は苦笑するしかなかった。
「最近は戦闘系の依頼ばかりだったろ? 今回の仕事は給料もいいし、怪我するリスクも低い。ぶっちゃけ、かなり当たり案件だと思うぞ?」
「へぇ……ずいぶんと勿体ぶるな。そんなうまい話、本当にあるのか? まあ、内容を聞くまでは受けないけど」
そう言いつつも、兵吾からの依頼を断るのは簡単ではないし、修としても可能な限り引き受ける主義だ。
だが、内容もわからずに「はい」と答えるほど無謀でもない。
自分の実力では荷が重いと判断すれば、命を守るためにも、仕事を失敗させないためにも、断るのが修のポリシーである。
「ちゃんと説明するって。今回、修に頼みたいのは――魔術師見習いの“師匠”。つまり、徒弟制度の指導役だ」
「……は?」
兵吾の言葉に、修は思わず携帯を取り落としそうになった。
「マ、マジで言ってる!?」
「さすがにこの時間に、そんな質の悪い冗談を言うほどヒマじゃない」
それは修にとって、想像すらしていなかった案件だった。
仮に回ってくるとしても、十年は先のことだと思っていた仕事だ。
徒弟制度とは、魔術省が二年に一度主催する、十五歳から二十四歳までの魔術師見習いを対象とした教育制度である。
その“師匠”に選ばれるというのは、多くの魔術師にとって名誉なことであり、また実力・人格ともに高く評価されている証でもある。
師匠になるには、通常、まず候補として選出され、そこから厳しい審査を経る必要がある。
その審査基準や倍率は非公開だが、経歴や実力だけでなく、人間性まで見られると修は聞いていた。
というのも、十五歳の少年少女を二年間、一対一で指導するという責任があるからだ。
そもそもこの制度の目的は、未熟なまま命を落とす若手魔術師を減らすため。
だからこそ、適性のない魔術師に師匠を任せるわけにはいかないのだ。
つまり、徒弟制度の師匠に選ばれるということは――国から“一人前”と認められた証でもある。
そんな大役が、まだ二十代半ばの自分に突然回ってきたのだから、驚かない方が無理だった。
「なんで俺なんだよ……俺、魔術大学出身のエリートってわけでもないし、審査も受けてないぞ?」
「今回は特例扱いで、審査はパス。そもそも“うちの直属”だから必要ないんだよ」
「確かに、直属になるときに審査は受けたけど……」
「直属であるってのがデカいんだよ。人間性って簡単に見抜けるもんじゃないけど、直属傭兵としての実績で、そこも既にクリア済みってこと。それに、修はこれまでに多数の依頼を成功させてるし、魔術省から見ても“実力・人格ともに安牌”ってわけ」
「安牌って、お前な……」
「つまり、信頼されてるってことだよ」
「……まあ、言いたいことは分かった。にしても、なんでこんなギリギリに?」
「それは俺も聞いてない。たぶん、直接的なトラブルじゃないと思うし、気にしなくていいよ」
多くの魔術師はフリーの傭兵として活動していたり、外界探索などの危険な仕事をしていたりする。
そういった仕事には危険がつきものなので、突然連絡が取れなくなることも珍しくはない。
たぶん今回も、それが理由だろうと修は推測した。
「ちなみに、例の有名な魔術師見習いたちも今回合格してるけど、お前が師匠を担当することはないから安心しろ」
「ああ、それは助かる……」
修は内心、心底ほっとした。
その“例の見習いたち”とは、魔術師界隈だけでなく国中で話題となっている四人組――
魔術の才能はもちろん、容姿端麗、名家出身と、天が三つも四つも与えてしまったようなスペックの持ち主たちである。
しかも彼らは同世代で、かつ友人同士というのだから、注目されないわけがなかった。
ネットで話題になって以来、一気に“アイドル”のような扱いを受けており、今では世界的にも注目され始めている。
「とりあえず、裏があるとかそういう心配はしなくていいんだな?」
「今回に限っては、普通にやってれば問題ない。暴力沙汰を起こしたとか、ブラックリスト入りしてるような見習いはそもそも除外されてるからな」
「“今回に限っては”じゃなくて、今後も頼むぞ」
「そこは、素直に俺を褒めてくれよ」
やや皮肉っぽく返した修だったが、結局のところ断る理由がないことも理解していた。
いつも通り、文句を言いながらも受ける自分の姿が目に浮かぶ。
「で、直属の仕事はどうなる?」
「期間中のノルマは免除。もし他の依頼を受けるとしても、指導に支障が出ない範囲で、って条件付きだな」
「……まあ、一応聞くけどさ。どうする?」
――もちろん、修の答えは一つだった。
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