041 呪いの発症
「残り七割の『不明』とされた成分――それは『落ち神』から採取したものだ」
俺は淡々と彼女らに説明していく。
現代科学では判明できない成分――。
『死神』の血や肉は本来、この世界には存在しない代物なのだから当然だ。
「『G2』には鎮痛効果や酔狂効果以外にも強烈な『人肉嗜好』が現れるという特徴がある。この麻薬に元死神の血肉が混ざっているのだとしたら、当然だろうな」
「ち、ちょっと待ってよ……。じゃあ翔太も死神だから人の肉が好物だってこと?」
「んなわけあるか。死神にも色々いるんだよ。『人肉を好む死神の種族』もいるっつう話だ」
「あ、そうなんだ……。ビックリした……」
遥風に話を遮られたが、俺は気を取り直して先を続ける。
「そしてこれが八神家の書棚にあった本だ。『人喰いの呪い』――。呪い、と聞いて何か思い出すことはないか?」
「『呪い』……あっ! 八神さんの『能力』……?」
今日子がそれに気付き、声を上げる。
「そうだ。奴はその身に『呪い』を受けたから、代償としてあの『等価変換』の能力を身につけたと言っていた。そしてそれが自身の『本質』であり『正体』であるとも、な」
「嘘……まさか、八神さんは……」
遥風が口を押えたまま震えている。
――そう。
全てはあの孤児院と製薬工場のせいで、奴の人生は狂わされてしまったのだ。
「『人喰いの呪い』のせいで『等価変換』を身につけたというのが、呪いの副産物なのか何なのかは本人に聞かねぇと分からないが、それ以外は全て説明が出来る。まず、『G2』を大量生産するには、試薬が必要だろう? そしてその試薬を投与されたのが、当時孤児院に居た八神と、奴の妻を含めた八神家全員だった」
俺はメモに八神家全員の名前を記載していく。
八神の妻である八神唯。その姉である八神仁美。
父の八神幸三、母の八神妙子。祖父の八神慎之介、祖母の八神芳江。
「落ち神の野郎は何十年も掛けて旨い人肉を作り上げる方法を見出した。だが奴はそれだけでは満足しなかったというわけだ。『幸福値』を更に押し上げるために、自身の血肉を混ぜた麻薬を蓮常寺定宗らに製造させ、それを八神らに盛ったんだろう。食事に混ぜたか、飲み物に混入させたかは知らねぇがな」
「そして、今から七年前に、八神さんの奥さんが『発症』した……?」
「ああ。落ち神のいるあの小屋から一家全員、命からがら逃げ出したまでは良かったが、奴の『呪い』が発症したんだろうな。そして人肉を欲する衝動を抑えきれなくなった八神唯は、自害を選択しようとした。――しかし、それが出来なかった」
「……出来なかった?」
今日子が首を傾げてそう言う。
それを確認した俺は、メモの横の空白に死神のルールを記載した。
「『死神を殺すことができないルール』は知ってるな? だからこそ俺の持つ『神殺し』の能力を最上級死神が欲しがっているわけなんだが――」
「殺すことができない……あ」
「そうだ。『G2』には落ち神の血肉が混ざっている。完全とまではいかなくとも、麻薬を摂取した者にも『死神のルール』が適応されるはずだ。死神を殺すことが出来ない――つまり、死神は自ら死を選ぶこともできない」
俺がそう言うと、二人ははっと息を呑んだ。
つまり、八神唯は自害をすることができなかったことになる。
「……酷いよ……そんなの、無いよ……。だったら、奥さんは……お願いするしか、ないじゃない……。大切な……最も愛している人に……」
言葉を濁し、涙を堪える遥風。
今日子は優しく遥風の頭を撫でてくれている。
「ああ。これは、嘱託殺人だ。七年前に最初に発症したのが八神唯。八神は自分の妻が『人喰いの呪い』の発症者と知り、悩んだだろうな。同じく『落ち神』から逃げ隠れて生活している義理の父や親戚にも相談したんだろう。そして出した結果が、『死神召喚』だった」
後は八神が話した内容と同じだ。
奴は七年前にジェロモ・クレインを召喚し、妻を殺害させた。
わざわざ死神を召喚したのは、妻に『不死』の能力まで宿っている恐れがあったためだろう。
当時の奴は『神殺し』の件までは知らなかったはずだ。
そこで召喚したジェロモと通じ、奴に事情を話したからこそ、二人は共犯者の道を歩むこととなったのだ。
そして八神は、麻薬の効果として『不死』の症状は現れず、『自害不可』の症状だけが現れることを確認した。
「次に発症するのが誰かも分からないまま、一年後には次々と八神の親戚が『呪い』を発症した。そして今度はライアーハート・オルダインを召喚し、一家を全員殺害してもらったわけだ。これは俺の勝手な想像だが、八神はその頃に『等価変換』の能力を開花し、ライアーハートにそれを使ったんじゃないかな」
ライアーハート・オルダイン――。
あの残忍で凶悪な上級死神が人間界に召喚されることなど滅多にない。
何かよっぽどの理由があったのだと思ってはいたが、目的は恐らく八神の『呪い』なのだろう。
人外の力を得た人間に唾を付けておけば、いつか必ず役に立つ――。
あの男の考えそうな事だ。
「一家全員の嘱託殺人が済んだ八神は、その後もジェロモと連絡を取りながら数年間、姿を眩ませていた。恐らく『呪い』が発症したらジェロモに殺してもらうよう算段でも付けていたんだろう。八神の、あの稀に垣間見える狂気――。あれが『呪い』の影響だと考えると合点がいく」
俺は八神のことを二重人格者だと揶揄していたが、そうではなかった。
呪いに苦しみ、全ての罪を背負って、奴は生き続けてきたのだ。
――そして、ずっと『死に場所』を探していた。
「奴は俺の情報をジェロモから聞き、俺を召喚した。もうその時点で、奴は事が済んだら死ぬつもりだったんだろう。偽のテロの情報を流し、自身を警察に殺害させるつもりでな。あそこで大友が死神となって突然現れなければ、誰一人死ぬことなく、奴の目標は達成されたのさ。俺にあの船の乗客、4300人を殺すように持ち掛けたのだって、俺の人間性を確かめるためと、『呪い』の代償で得た『等価変換』という力を俺に見せるため――。八神は何もかもお見通しで、俺はただ奴の掌で踊っていただけってわけだ」
俺はペンを置き、深く溜息を吐いた。
今頃どこで何をしているのか分からないが、再会したら一発ぶん殴ってやろうと心に決めている。
どうせ八神の事だから女神を欺いてでも、死神に転生することくらい朝飯前なのだろうが。
問題なのは、どうして奴から連絡が一向に来ないのか、なのだが――。
「……これからどうしよう、翔太。夜になったら大垣が私を迎えに来るけど……」
「いや、大垣の誘いはもういい。すぐにでもこの村を降りた方がいいだろうな」
「えー? だってバーベキューとか湖で泳ぐとかまだしてないし……」
「……お前な。今までの話、本当に聞いてたのかよ……」
今日子の言葉にガックリと肩を落とす俺。
この女は肝が据わっているのか、それとも何も考えていないのかさっぱり理解が出来ない。
「じゃあ車の手配もしないとね。あと曜子さんにも連絡を入れておかないと。せっかく色々お世話になったのに、何も返せないままで――」
そこまで言った遥風は急に言葉を止めた。
立ち上がり宿を出る準備をしていた俺は彼女を振り返る。
「……どうしよう。曜子さん今、その『田子浦』っていう人に会いに行っているんじゃ……」
遥風が俺に視線を向ける。
だが、今回ばかりは彼女の言葉に耳を傾けるわけにはいかなかった。
「あの子の問題は、あの子自身で解決するもんだ。そしてこの村の問題も、この村の人間が解決するしかない」
「そんな……! だって、もしかしたら曜子さんも、あの『落ち神』に食べられちゃうかもしれないじゃない……!」
「そ、そうだよね……。あの孤児院の施設長の人の態度を見ても、曜子さんが一番危険な気がするよね……」
遥風に同調する今日子。
しかしこれ以上この村の者と接触を続けるわけにはいかないだろう。
こうしている今だって遥風や今日子に危険が迫っているかもしれないのだ。
たまたま昨日今日会ったばかりの子の心配をしていられるほど、俺の気持ちに余裕があるわけでもない。
「……お願い、翔太……」
「翔太君……」
二人にせがまれ、俺は深く溜息を吐いた。
この村に到着してから俺は一体何度溜息を吐いているのだろうか。
「……だあぁぁ、もう分かったよ! さっさとタクシーでも何でも手配してこの村を降りて、堤に会いに行くぞ! ……ったく、会ってどう説明するんだよ、お前らは……」
この二人以外、誰にも聞こえない俺の嘆きが宿に木霊したのは言うまでも無く――。




