038 神の贈り物
翔太と別れた私は一人、のどかな田園風景を眺めながら農道を歩いていく。
今日子のことは彼に任せておけば大丈夫だろう。
それよりも私が心配なのは翔太自身のほうだった。
八神祐介が育ったという孤児院に行ってからというもの、ずっと彼の様子がおかしいのだ。
きっとまた私を不安にさせないようにと色々と気遣ってくれているのだろうが、それは大きな間違いだった。
一人で考えて、一人で悩んで、一人で解決しようとする――。
恐らく彼は、今までずっとそうやって生きてきたのだと思う。
――そう。私がそうしてきたみたいに。
彼と、私は、似ている。
本心をなるべく表に出さず、憎まれ口ばかり叩く。
歳は親子ほども離れているというのに、彼の言葉や態度、一つ一つが手に取るように伝わってくるのだ。
それらが全て愛おしくて、私はそれを決して放したくはなかった。
「……なんて、恥ずかしいことを考えてみたり」
頭に浮かんだ言葉を振り払い、頬を軽く叩く。
いつから私はこんなポエムチックな女になったのだろう。
こんなことだから、彼に『惚れやすい女だ』と揶揄されてしまうのだ。
もうあと一年で、私もようやく成人を迎える。
そうすれば彼にもっと『女』として意識してもらえるようになる――かもしれない。
「……ああ、もうやめやめ! どうしてこんなに『死神』なんかのことで頭がいっぱいになってるのよ!」
「おや、『死神』とは物騒ですね、お嬢さん」
「あっ……やば」
考え事をしていたせいか、すぐ近くに人が歩いていることにさえ気付かずにいた私は肩を竦めて周囲に視線を向ける。
どうやら声を掛けてきた中年の男性以外に人はいないようだ。
私は軽く会釈をして先に進もうとする。
「工場見学に向かうんだったら、一緒に行きましょう。ちょうど私もこれから仕事に向かう途中ですので」
「え? あ、いや、でも……」
急に馴れ馴れしく背中に手を回そうとする男。
私はついいつもの癖で、その手を払い早足で去ろうとした。
しかし、男の顔を見てはっとした私は手が止まる。
――昨日テレビに映っていた工場長の男だ。
「……もしかして、大垣良太さん、ですか?」
「? ああ、そうだけど、よく私の名前を知っているね。君はどこから来た子だい?」
男は満面の笑みを浮かべ、私の背中に手を回す。
どうやら翔太と別れて工場に向かったのは正解だったようだ。
この男から少しでも有益な情報が得られれば、翔太の役にも立てるはず――。
「はい、東京から来ました~。大垣さんのことは昨日、テレビに出ていたのを見て、それで覚えていたので」
若干声を高くし、中年男性が喜びそうな態度をとる。
こちとら伊達にキャバクラ嬢をやっているわけではない。
今日子に仕込まれた接客術は、こういったところでも役に立つのだ。
気を良くした様子の大垣は周囲の目を気にしつつ、私の耳元でこう囁いた。
「……君、さっき『死神』って言っていたよね。もしかして、あれが欲しくてわざわざここまで来たのかな?」
「……『あれ』?」
私は首を傾げて惚けるような態度をとった。
もしも大垣が死神のことを知っていたとしたら、すぐにでも引き返し翔太に伝えないといけない。
私は高まる心臓の音が聞かれないようにと、冷静を装うことに注力する。
「はは、惚けなくてもいいよ。もうあれはかなりの数が出回っているからね。東京なんか、今じゃ高校生ぐらいの子だってやってるそうだから。今は昔と違ってネットなんかで簡単に手に入るようになったけど、たまにこうやって君のようにこの村まで買いに来る若い子もいるからね」
「そう……ですか。じゃあ工場の見学が終わったら、それを頂きに伺ってもいいですか?」
大垣が何のことを言っているのか分からなかったが、ここは一旦話を合わせておく。
だが話の内容的に、本物の『死神』のことではなさそうだ。
ネットで死神が簡単に手に入るなんて翔太が知ったら、泡を吹いて倒れてしまうだろうから。
「ああ、もちろんいいとも。君みたいな可愛い子だったら、いくらでも無料であげるよ。私はこれから仕事があるから……そうだね。今夜はどこの宿に泊まる予定だい? 場所を教えてくれれば、後で迎えにいくから」
大垣はにやりと笑い、今夜泊まる宿の場所をメモしようとする。
一瞬悩んだ私だが、ここは天神村に関する重大な情報を得るチャンスでもある――。
夜になれば今日子や翔太もいるし、危険だと判断すればすぐに山を降りれば、きっと大丈夫だろう。
「ありがとうございます~。でもタダというわけにはいかないので、ちゃんと代金はお支払いします」
「そうかい? まあそれでも良いけれど……どうせお金のことなんか分からなくなるくらい、気持ち良くなっちまうんだが」
「? 何か仰いましたか?」
「あ、いやいや、こっちの話さ。ええと……ああ、あの民宿に泊まっているのか。じゃあ今夜の22時頃に車で迎えに行くから、それで良いかい?」
民宿の名前を告げた私に、大垣は一枚のメモを差し出してきた。
そこには彼の携帯の番号が走り書きされている。
もう幾度となくこういうやりとりをしているのだろう。
あまりにも手慣れた手つきがそれを物語っていた。
「見えてきたね。じゃあ私は持ち場に戻るから、ゆっくり見学していったらいいよ」
大垣はそう言い、工場の従業員入り口へと向かっていく。
その後ろ姿を見送った私はリュックからスマホを出し、ネットを検索する。
キーワードは『尾長製薬工業』、『山形県飽海郡遊佐町天神村』、『死神』、『値段』などだ。
それらの情報を組み合わせ、ネットの海から足がかりを探す。
「……『G2』?」
検索された情報の中から気になる単語が複数現れた。
『G2をお探しの方はこちらのアドレスまで』、『死神が欲しい人 単品一万五千から』、『死神G2阿片欲しい人連絡ください』等々……。
私は工場前の見学者用のベンチに座り、更にネットで検索を続ける。
どうやら『死神』はある麻薬を指す隠語であり、その麻薬というのが『G2』というものだそうだ。
「語源は……『Gift of the fallen god』で『G2』……。え、これって……」
驚きのあまりスマホを落としそうになる。
Gift of the fallen god――。
それを直訳すると『落ちた神の贈り物』となるからだ。
「落ち神……。だから『死神』が隠語……」
私は急いでその情報のリンク先をコピーし、翔太の持っている今日子のスマホに転送する。
蓮常寺定宗、天神村、尾長製薬工業、そして――麻薬の『G2』。
『落ち神からの贈り物』と訳されたこの不気味な麻薬が、どんな意味を示すのか――。
身震いをした私は気を取り直し、他の観光客に混ざって工場内を見学に向かった。




