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036 神の住む山

 次の日の朝。

 朝食を終えた遥風と今日子は女将にお礼を言い部屋を出て、宿の入り口のソファで堤の出迎えを待った。

 そして約束の時間の十分前に彼女は到着し、遥風らと共に宿を出る。


「山形にはどれくらい滞在されるんですか?」


「うーん、まだ決めていないんですけど、いちおうレンタカーはあと三日借りてるし、今夜の宿はまた別に探そうと思ってます」


 堤の運転する車に乗り込み、遊佐町方面へと進んでいく。

 助手席には今日子が座り、後部座席に遥風と俺が乗っている形だ。

 俺達が乗ってきたレンタカーは一応あの宿のすぐ近くのコインパーキングに止めたままだ。

 もし別の宿が見つからなければ、またあの宿を借りられるように女将にはお願いだけしてある。


「もしよろしかったら、天神村にも民宿がありますので、お泊りになってみては如何でしょうか。昨日も言いましたけれど、今、天神村は村おこしの最中なので民宿の料金もかなり格安ですし、天神山の登山もお勧めですよ」


「天神山……」


「はい。ここからだと良く見えますよね。あれです」


 車を十五分ほど走らせると、そこはもう景色が一変していた。

 眼前に広がる自然豊かな山岳地帯。

 高速道路を走っている時も何度か見えはしたが、実際にこうやって近づいてみるとかなり大きな山だと分かる。

 山岳の手前には田園地帯が広がり、堤はその間にある一本道の県道を山に向かって登り始めた。


「あの山の向こうは、もう秋田県ですね。この県道は山の中腹にある天神村で行き止まりになりますので、秋田県方面に向かうには、一旦酒田市まで下ってから海岸線沿いにある国道を北に向かわないといけないので面倒なんですけれど」


 まるで観光ガイドのように周辺の情報を色々と教えてくれる堤。

 これならすんなりと天神村の情報も集められるだろう。


「どうする、遥風? 早めに今夜の宿を決めておかないと、あの女将さんにも迷惑かけちゃうだろうし……」


「うーん、そうね。レンタカーはあそこに止めたままでも大丈夫だから、せっかくだし今夜は天神村に泊まっちゃう?」


 そう言った遥風は横目で俺の顔色を窺った。

 少しだけ悩んだ俺だったが、今は村おこしの真っ最中で、しかも登山目的の観光客もかなり多く見受けられた。

 堤にも怪しい所は全く無いし、ここはお言葉に甘えても問題は無さそうにも思う。

 俺は遥風の質問に首を縦に振って答えた。


「じゃあ曜子さん、申し訳ないんですけれど、後でその民宿も案内してもらえますか?」


「はい、もちろんです。あとニ十分ほどこの道を登って行ったら天神村に到着しますので、まずは私の勤めている孤児院にご案内しますね。その後に民宿に寄って、それからもし時間があれば製薬工場の見学や天神山の散策なども良いかも知れませんね」


「うわ、ツアーだねツアー。めっちゃ楽しみ!」


「そうだよね。東京に住んでいたら、あまりこういう自然に触れ合うことも少ないし」


「天神山の麓には湖もありますから、そこでバーベキューとかもできますよ」


「「バーベキュー!!」」


「…………はぁ」


 俺ははしゃぐ二人を見て深く溜息を吐いた。


 もう完全に当初の目的を忘れてるだろう、こいつらは……。





 天神村に到着した俺達は車から降り、胸いっぱいに自然の空気を吸い込む。

 ここから見える天神山の風景はまた、絶景だ。

 頭上いっぱいに広がるそれは、俺の目にはまるで天界人が住まう城のようにも映る。

 頂上付近に社のようなものが見えるが、きっとあれが越智守神社なのだろう。


「どう? 翔太。何か見える?」


 堤と話し込んでいる今日子をその場に残し、遥風はこっそりと俺に話しかけてきた。

 これぐらい彼女と距離があれば、普通に遥風と話していても怪しまれないだろう。


「いや、社が見えるだけだ。『神』の気配はそれなりにあるっちゃあるんだが……」


「? どうしたのよ。言葉を濁すなんて」


 不思議そうな顔をして首を捻る今日子。


「こういった古くからある山ってな。元々何らかの『神』は関係してるんだよ。この天神山も社が立てられたのは江戸時代かも知れねぇが、山自体が出来たのは何十万年も前の話だろう? 一人や二人『神』が住み着いてても何もおかしくはねぇ。ただ……」


「ただ?」


「人間界に住み着いている神はロクな奴がいない。……それこそ『落ち神』ってのも含めてな」


「遥風~? ここから孤児院まで歩いていけるみたいだから、散策しながら行こうー?」


「あ、はーい! だってさ。行くわよ、翔太」


「へいへい」


 今日子に呼ばれた俺達は堤の後に付いて行き、山の中腹に沿って西へと歩いていく。

 のどかな田園地帯が広がる田舎町だが、所々に登山目的の観光客で賑わっているのが見える。


「家族連れが多いんですね。あ、そうか。世間じゃ今、子供達は夏休みですもんね」


「ええ、そうですね。麓の湖も夏だけは遊泳を解禁しますので、今は登山だけではなく、レジャー目的のお客さんも多いですね」


「うわぁ、水着持ってくるんだったー、失敗したー」


「ふふ、私の水着で良かったらお貸ししますよ? 今年はちょっと忙しくて長期休暇が取れないので、まだ来ていない水着が何着かありますから」


「え? ホントですかぁ? どうしよう、遥風。泳いじゃう?」


「今日子……。それはさすがに悪いわよ……」


 俺が睨みを利かせていることに気付いたのか。

 遥風が空気を読み、今日子を窘めている。

 ていうか、お前らは数日前までさんざん大型客船でプールを楽しんだだろうに……まったく。


「あ、見えてきましたね。あそこが天神村の児童養護施設です」


 十分ほど歩いた先に、緑の広がる土地に平屋が四つほど連なった施設が見えてきた。

 門の前まで進むと、そこには『天神村 児童養護施設 蓮常寺学園』という、木で出来た看板が掲げられていた。

 その右に掲示されている白塗りの看板には、施設の住所や電話番号が記載され、設立年月日は『1997年4月3日』と表記されている。

 運営主体は『社会福祉法人 遊佐町社会福祉事業団』というところらしい。


 俺はそれら一つ一つを記憶していく。


「あら、曜子さん。今日はお休みじゃなかったのかしら?」


 ちょうど施設の玄関から一人の中年の女性が出てきて、堤に声を掛けた。


 ――その瞬間、俺は全身に鳥肌が立ってしまう。


「……?」


 遥風が俺の様子に気付き、首を軽く捻る。


「……はい。今日はこの方達を施設に案内するために来まして。紹介します、春日部遥風さんと木浦今日子さんです。こちらはこの施設の施設長を勤めている蓮常寺佳代子れんじょうじかよこさんです」


「すいません、突然お邪魔しちゃって」


「よろしくお願い致しますー」


 堤に紹介されて頭を下げる遥風と今日子。

 

 『蓮常寺佳代子』――。

 

 俺はとっさに『死神の目』を発動する。



----------

【本名】蓮常寺佳代子れんじょうじかよこ

【国籍】日本

【年齢】59歳

【性別】女

【身長】156cm

【体重】65kg

【血液型】B型

【概要】天神村にある児童養護施設で施設長を勤める女性。

    蓮常寺家の長女であり蓮常寺定宗の娘である。

    七年前に天神村を起点とした『八神家連続不審死事件』により当施設は一旦は閉鎖したものの、

    県と児童相談所の要望もあり六年前に新たに再建され、その際に定宗から施設長の座を譲り受けた。

----------



「あら……うふふ。そう――ゆっくりしていってくださいね」


 そう言い残した佳代子は何とも言われぬ笑みを残してその場を去って行った。

 呆気にとられた遥風達は二人で顔を見合わせている。


「……すいません、蓮常寺さんはいつもあんな感じですので。この施設は代々蓮常寺家の方が継いで運営してきているみたいなんですけど、私みたいなおっちょこちょいな新人が急に来て迷惑を掛けてしまっているので……」


「迷惑って、保育士の募集を出したのはこの孤児院のほうからなんでしょう?」


「ええ、まあ……。でも人材派遣会社を通したので、履歴書とかは見られたんでしょうけれど、すぐに就職が決まって、それから一年経つのですけれど、ずっとあんな感じですね」


 そう言い堤は少しだけ寂しそうに笑ったが、すぐに気持ちを持ち直して笑顔に戻った。


「ごめんなさい、せっかくの旅行の雰囲気を台無しにしたら駄目ですね。施設内を紹介します。――あ、ちょっと待ってくださいね」


 急にスマホの音が鳴り、堤はボタンを押して電話に出た。


「――はい、あ……そうなんですか。いえ、今、孤児院のほうに来ています。ええ、ええ、はい。畏まりました。十四時でしたら、ここを十一時頃出発すれば間に合うと思います。はい、ええ、すいませんでした。いえ、こちらの手違いですので――」


「……なんか急な仕事かな?」


「うん。やっぱ申し訳なかったわね、案内してもらっちゃって」


 電話を切った堤は深く溜息を吐いて遥風らに振り向いた。


「……ごめんなさい。ちょっと急な仕事が入ってしまいまして。でも十一時にここを出発すれば間に合いますから、あと一時間半くらいは村を案内できると思います」


「いや、こちらこそごめんなさい。後は私達二人で大丈夫ですから、気にしないでください、曜子さん」


「いいえ、そういうわけにはいきません。せっかくお二人と知り合いになれたんです。時間ギリギリまで案内させてください」


 そう言った曜子の表情は若干の曇りが見え隠れしている。

 休日にいきなり仕事の電話が掛かってきたら、誰もがそうなるだろうが、この表情は――。


「ちなみに、何処まで行かれるんですか? 十四時に約束で十一時に出発って、結構遠いですよね?」


「あ、ええ。ちょっと県庁の近くまで」


「県庁!? って、『山形市』ってことですか? うわ、確かに三時間ぐらい掛かるかも……」


 あまりの遠さに今日子が驚きの声上げた。

 山形市は俺達が昨日酒田市に来るまでに高速に乗って通過してきた場所だが、ここからだとゆうに100kmほどは離れているだろう。


「県庁の建物内に福祉相談センターがあるんです。中央児童相談所までは、まだそこから一時間ほど南に下らないと行けないんですけれど、そこの所長さんから孤児院の提出書類の不備を前々から言われていまして……」


「うわ、それは堤さんの仕事じゃないんじゃないの? 運営に関する書類の用意を一保育士にやらせるなんて……。しかも休みの日に」


「良いんです。他の児童指導員の方や内務の方も忙しいみたいですから……。所長さんもわざわざ中央から県庁まで一時間かけて来て下さるので、そこで十四時に落ち合って書類を提出する手筈になっています」


「所長さんが自ら来るの? へー、仕事熱心な方なんですね」


「はい。田子浦さんという方で、色々と面倒を見てもらっているんです。確か彼もこの村の出身だと聞きましたが」



 ――その後も堤は孤児院での仕事の話をしながら建物の案内をしてくれた。

 本来、『孤児院』という言葉は使わず『児童養護施設』というのが正式名称なのだそうだが、この施設は虐待などで親元を離れた子供達は預からず、親がいない児童だけを専門的に預かる機関として機能していることから『孤児院』という昔ながらの名称で呼ばれているらしい。

 八神が言うには、この施設は『落ち神』のための人肉牧場だったそうだが、どう見ても普通の児童養護施設にしか映らない。


 だが、俺はすでに確信していた。


 あの『蓮常寺佳代子』という女――。

 

 ――あの女は、ヤバい。


 死神の俺が身震いしてしまうほどの、邪気。

 これまで奴は一体、どれだけの人間の『死』に直面してきたのだろう。

 それらが身体に染み付き、どれだけ綺麗に洗っても落ちきれないほどの血の臭いが充満していた。

 もうこの施設には無闇に近づかない方が良いだろう。

 ある程度情報を得たら、さっさとここから退散した方が身のためだ。



 俺は三人の後ろを付いて行きながら、あの女が戻ってこないか周囲を注意深く監視し続けていた。




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