035 保育士の女
「…………」
小一時間ほどで食事を終えた遥風らは、夕方まで宿の部屋の畳でゴロゴロと寝転がりながら休憩をとり。
そして夕飯の時間を夜の21時までずらしてもらった後、この宿の名物である露天風呂に向かうことになったのだが――。
「うわ、遥風のおっぱい、めっちゃ大きくなってない?」
「えー、そんなことないわよ。今日子のほうが成長すごいじゃないの。ホレホレー」
「お? そういうことしちゃう? なら私だって……おらおらぁー!」
「ちょ、やめ……んっ、そ、そんなのは反則でしょう……んん! ちょっと、やり過ぎ今日子……!」
「…………」
先ほどから露天風呂の外まで漏れている遥風と今日子の声。
当然俺は一緒に入浴しているわけでもなく、脱衣所の外にある休憩所のベンチに座り彼女らのボディーガードをしているわけなのだが……。
いかん。こういうのに慣れていないせいか、どうしてもソワソワしてしまう。
まだ客が他に誰も居ないから良いものの、誰か来たらどうするつもりなのだろう、あの二人は。
「ねえ、翔太ー? 籠に入っているシャンプーとリンス持ってきてよー」
「ぶっ――! あ、アホかお前は! 持っていけるわけねぇだろうが!」
「……おやぁ? あの死神の翔太様ともあろうお方が、慌てているということは……?」
わざと俺に聞こえるように今日子は脱衣所の外に向かい大きめの声でそう言った。
さすがにカチンときた俺は半ば自棄になり脱衣所に入り、遥風の籠から旅行用のシャンプーとリンスを掴み取り勢い良く露天風呂に向かい投げる。
「あ、いたっ!? ちょっと翔太! 投げるなんて酷いじゃない!」
「知らねぇよ! そういうのは最初っから持って風呂に入れよお前!」
「あははは! 今ちょうど遥風のお尻に当たったよ? さては翔太君、狙ったな……?」
「狙うか!! お前アホだろマジで!!」
からかう今日子にさすがに腹が立った俺は頭を振り、脱衣所を後にしようとした。
――が、ここでハプニングが起こってしまう。
「……シャンプーが……勝手に空を飛んだ……」
「……あ。やべ」
脱衣所の扉をすり抜けて外に出ようとした矢先に、別の女性客と鉢合わせになってしまった。
どうやら俺が遥風にシャンプーを投げ渡す一部始終を目撃されてしまったようだ。
「おい、遥風、今日子! 今の別の客に見られちまったから、後は上手く誤魔化しておけよ!」
「え……? マジ……?」
「やばい、どうしよう……。でも翔太の声は他の人には聞こえていないから……」
急にひそひそ話に変わる二人。
女性客はしばらく唖然としたまま立ち尽くしていたが、どうやら目の錯覚と思ったのだろう。
すぐに脱衣所に入り着衣を脱ぎ始めた。
「……おっと。俺は何をじっと見てるんだよ。変態か」
すぐに後ろを振り向き、脱衣所の扉をすり抜けて外に出る。
そして念のために場所を変えて、露天風呂内の声だけは聞こえる場所で二人とその客を監視することにした。
……念のためだ、念のため。
「……あ、きた」
「……今日子。もし何か聞かれても、適当に誤魔化すのよ?」
「分かってるって。さすがに私もそこまで馬鹿じゃないから」
露天風呂の扉が開く音が聞こえる。
女は湯船の湯で身体を流し、遥風らとは少し離れた場所で静かに湯船に浸かっているようだ。
さきほどチラっと姿を見ただけだが、年は遥風や今日子とそんなに変わらないくらいに見える。
他に連れが居ないところを見ると、観光客ではなく地元の人間なのだろうと想像できた。
「……あのう」
「へ?」
しばらく無口のまま入浴していた女性が、ふいに遥風と今日子に声を掛けたようだ。
中の様子を見るわけにはいかないが、二人の緊張感だけはここからでも伝わってくる。
「お二人はどちらから来られたのですか?」
「え? あ、ええと……東京から、です」
「ああ、やっぱり。私も去年、都内からこちらに引っ越してきたばかりなんです。何もない所ですけど、住んでみると意外と住み心地が良くって」
「へぇ、東京に住んでたんですかぁ、奇遇ー。こっちには仕事の関係で?」
「はい。私、保育士をしているんですけれど、ここから車で四十分ほど行った田舎にある児童養護施設で働いているんです」
何故か話が弾んでいる様子の三人。
やはり女でも裸の付き合いとなると、色々と話したくなるものなのだろうか。
それに先ほどの空飛ぶシャンプーの件はもう気にしていない様子だ。
いや、それよりも――。
「……児童養護施設って……もしかして『天神村』にあるっていう……?」
ちょうど良いタイミングで今日子が俺の知りたい情報を女性に聞いてくれる。
「あ、はい。ご存じなんですか? ……ああ、でも最近あの村は村おこしで賑わっていますからね。つい先日もテレビの全国放送で、村の中心にある製薬工場の特集とかもやっていましたし」
「そうそう、それ。そのテレビを見て天神村を知ったんです私達。で、知り合いがその児童養護施設で昔、お世話になっていたみたいで、ついでだから見に行ってみようかなって思ってたところで」
遥風が話を上手く繋いでくれている。
この調子でいけば、もしかすればこの女性に村の案内を頼むことができるかも知れない。
「へぇ……。本当に奇遇ですね。私の借りているマンション、この近くなんですよ。それでいつもこの露天風呂だけ借りに来ているんですけれど……。もし良かったら明日、村の案内をしましょうか? 明日は日曜日だし、仕事もお休みなので」
「え、ご迷惑じゃないですか? せっかくの休日なのに……」
「良いんですよ。私も久しぶりに都会の話とかも聞きたいですし、こんな田舎町なので休みの日もあまりやることが無くて暇を持て余してたところですから」
「やったー! これで山道とかで迷わないですむよぅ、遥風」
「ふふ、確かに天神村は山の中腹にありますけど、道路は一本道なでの迷うことは無いですよ。じゃあ、明日の朝、車で迎えに来ますので、三人で一緒に行きましょう」
笑顔でそう答えた女性は湯船から出ようとした。
そこでふと思い出したように二人を振り返り、恥ずかしそうに再び口を開く。
「ああ、もう私ったら……。すいません、まだ自己紹介をしていなくて。『堤曜子』って言います。今年二十歳になったばかりの、新人保育士なんですよ」
「え、本当に奇遇じゃんー! 私もあと三ヶ月で二十歳になりまーす! 『木浦今日子』って言いまーす」
「もう、今日子……恥ずかしいよ。コホン、私は『春日部遥風』。今日子よりは一つ下で、来年の三月に十九になります。『曜子さん』って呼んでも良いですか?」
「はい、もちろんです。では明日、宜しくお願いしますね。今日子さん、遥風さん」
二人と別れた女性は露天風呂の扉を開き、脱衣所に向かった。
俺は再びその場を移動し、脱衣所の前のベンチへと戻る。
数分後、女性が脱衣所から出てきたところで、俺は『死神の目』を発動した。
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【本名】堤曜子
【国籍】日本
【年齢】20歳
【性別】女
【身長】160cm
【体重】49kg
【血液型】0型
【概要】天神村にある児童養護施設で働く新人保育士の女性。
元は都内にある保育園で勤務をしていたが、職場のいじめに遭い退職。
ネットで転職先を探している最中、蓮常寺家が運営する孤児院から要請があり、これを快諾。
根は真面目だが多少抜けているところがあり、本人はそれを非常に気にしている。
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「名前も偽名では無いし……特に怪しい所も無い」
俺は空間に表示された情報を消去し、腕を組み考える。
これまでに『死神の目』で得られた情報は工場長の大垣、県知事の尾長、そして保育士の堤だ。
この三人の中で最も蓮常寺定宗と関りがありそうなのは孤児院で働いているという堤曜子だろう。
話の中で彼女は『去年引っ越してきた』と言っていたから、まだ勤め始めて一年も経っていないのかもしれない。
それでもある程度の情報収集は期待できるはずだ。
――俺は去って行く堤の後ろ姿に視線を向け、彼女を見送った。




