032 八神の過去
――大型客船プラチナローズウィップでの事件から三日が経過した。
連日、テレビや新聞、ネットなどでもこのテロ事件が報道され、世界中の関心を集めている。
犠牲になった人の数は乗客が452名。乗務員が36名。
遺体の損傷が酷く身元不明となった者が16名と報道されている。
不思議とテロによる怪我人はおらず、逃げる際に捻挫や打撲を受けたものが数名いるにとどまったらしい。
一夜で起きたテロの死者数としては、世界でも過去に類を見ないほどの数であり、今もテレビで日本の臨時国会が放送され、テロ対策を強化するための法案を成立させようと政治家達が躍起になっていた。
そして、俺はといえば――。
「はーい、出来たわよ、朝御飯。ハムエッグと牛乳、それに昨夜の残りのカレーライス」
「うげ、朝からカレー食うのかよ……。てか昨日の朝もカレーが出ただろう?」
「嫌なら食べなくてよし。貴方今、居候の身であることを忘れていないかしら?」
「う……。食べます……」
テーブルに綺麗に並べられる料理。
俺はハムエッグを頬張りながら国会中継のチャンネルを変え、朝の情報番組を視聴する。
「やっぱどこにも八神の情報は出ていないな。魔界との連絡も三日も途絶えたまま。一体どうなってんのか、さっぱり分からん」
――そう。
あの日の夜、八神が射殺されてからというもの、俺は魔界とのコンタクトが一切取れなくなっていた。
ジェロモからの連絡も無ければ、最上級死神からの帰還指示も来ないまま、俺は遥風の住んでいるマンションでヒモのような生活を送っている有様だ。
「普通、死神って召喚者との契約が完了したら、すぐにまた魔界に戻るのよね?」
「ああ、その通りだ」
「でも翔太はあの時、途中で契約を破棄したわ。で、すぐに大友が再契約を申し込んだ……。なのに魔界の審判神はすぐに現れなかったじゃない」
遥風も席に座り、テレビニュースを見ながら朝食を食べ始める。
確かに遥風の言う通り、契約を破棄した俺はルールどおりに事が進むのであれば、すぐに魔界に強制送還されるはずだった。
『契約破棄』も立派な死神にとったら違法行為だ。
本来であれば、俺は再び魔神裁判に掛けられるはずなのだが、その通達者である審判神すら姿を現さないのは明らかに異常だ。
「もしかして、もう翔太は魔界に戻らなくても良いってことなんじゃない?」
「はぁ? どうしてそうなるんだよ」
「ほら、翔太って毎回ルール違反をしているでしょう? だからもう、人間界にずっと居て、そこで生活を送りなさいっていう神様からの通達、とか?」
そう言った遥風は何故か嬉しそうにしている。
確かにそれも罰といえば罰になるのだろうが、俺からしたらそんなものご褒美以外の何物でもない。
やりたくもない『殺し』から解放され、こうやって遥風と一緒にずっと生活を送ることが出来る――。
人間と死神。
そんな関係を超えて、お互いに生きていけたらどんなに幸せなことだろう。
ピンポーン。
「あ、きたきた」
玄関のチャイムが鳴り、遥風は席を立つ。
そして扉を開け、客人を部屋に招いた。
「やっほー、翔太君。どう? 遥風との新婚生活は?」
両手いっぱいに買い物袋をぶら下げた木浦今日子は、遠慮も無しに台所に袋をドンと置いてそう言った。
もうすっかりショックから立ち直ったのか、それとも元々神経が図太いのかは分からない。
「……お前、毎日同じことを聞いてくるよな。そして毎回同じ返答で悪いが、俺と遥風はそういう関係じゃねぇ」
「えー? 嘘ぉ。じゃあ、どうして遥風とキスしたの?」
「ぶっ――!」
「ちょ、今日子……!? あれだけ翔太には秘密にしておいてって念を押したのに……!」
俺は喉にパンを詰まらせ、慌てて牛乳で喉に流し込む。
だがそれが余計だったのか、今度は鼻から牛乳が飛び出る始末。
「大丈夫、翔太?」
「……げほっ、す、すまん。ていうか、あのアホ女を黙らせてくれ遥風」
遥風の用意してくれたボックスティッシュを鼻に当て、俺は噴き出した牛乳をふき取る。
今日子にいたってはケラケラと笑い転げている。
あれから毎日、同じようなやり取りでよく飽きないものだ。
彼女の住んでいる場所だって遥風と同じこのマンションなのだ。
二階と三階でお互いの部屋に行ったり来たりしているのだから、もはや一緒に暮らしているのとほぼ変わりがなかった。
「今日子も食べるでしょう? 朝御飯」
「うん、もちろんー。サラダも買ってきたから、皆で食べよう~?」
手際良く総菜のサラダを小皿に用意し、自前のドレッシングを掛けテーブルに用意する今日子。
そして彼女を交え、再び三人の朝食を再開する。
「あ、まだやってるんだ、この国会中継。昨日もずっとこのニュースで見飽きちゃったよー、もう」
いつの間にか朝の情報番組でも国会の中継に切り替わっており、今日子は別のチャンネルに番組を変える。
何回かチャンネルを変えると、唯一国会中継をやっていないご当地のバラエティ番組のようなものに切り替えた。
「朝からバラエティ番組なんてやってるのね。こんなのこの時間から見る人とかいるのかしら」
「えー、私、結構見るよ? どこのニュース番組も同じようなのばっかだから、こういうのも新鮮でいいじゃん」
サラダを美味しそうに頬張り、今日子はテレビを食い入るように見だした。
朝食を食べ終わった俺は席を立ち、テレビの脇にあるソファに腰を降ろす。
「……あれ? ここって『天神村』じゃん」
「天神村?」
腹が膨れ、眠気に襲われていた俺に声を掛けてくる今日子。
テレビに視線を向けると、白色の作業着を着た中年の男がレポーターの質問に笑顔で答えているシーンが映っていた。
「今日子、この村のことを知っているの?」
「うん。だってここ、あの『八神家連続不審死事件』の聖地とされた村だもん」
「はぁ? 聖地? ……てか、八神家連続不審死事件って――」
俺は身を乗り出しテレビ番組に釘付けになる。
どうやらこの村にある、広大な製薬工場で働く工場長にフォーカスを当てたご当地を特集する番組らしい。
テロップの右上のほうに『山形県の片隅にある自然豊かな村、天神村特集』との見出しが付いている。
レポーターに質問されている男の姿の横には『尾長製薬工業天神村工場長、大垣良太』とあった。
「……」
俺は念のために『死神の目』を発動する。
まさかこんな朝のバラエティ番組から事件に直結するような出来事など起こるはずもないのだが、俺はほとんどと言っていいほど八神祐介に関する過去を知らない。
あいつは今、一体どこで、何をしているのだろうか――。
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【本名】大垣良太
【国籍】日本
【年齢】46歳
【性別】男
【身長】173cm
【体重】71kg
【血液型】0型
【概要】山形県の最北地にある天神村出身の男性。
同村にある広大な製薬工場の工場長を勤めている。
製薬工場の親会社は創業七十年を誇る尾長製薬工業株式会社。
仕事熱心であり、部下からの信頼も厚く、次期市長選に出馬するとの噂もある。
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「あー、今、覗いてたでしょうー、翔太君」
「うわ、本当に? 翔太っていつもそんなことしているわよね。覗き魔なのかしら」
二人のうるさい小娘に小言を言われ、俺は『死神の目』を解除した。
どうもこの二人がいると調子が狂ってしまう。
俺は溜息を吐き、ソファから立ち上がった。
「? 何処か行くの?」
「散歩。まあマンションからはそんなに離れねぇから心配すんな」
俺は二人を残し、玄関の扉をすり抜けていく。
恐らくこの三日間の様子だと、魔界は今大変なことになっているらしいと容易に想像が付く。
それがジェロモや八神が仕掛けたものなのか、それとも最上級死神の画策なのかは分からない。
しかし俺に対してここまでスルーということは、遥風や今日子に害が及ぶ可能性は低いだろう。
「――行ってみるか。その『天神村』っつう所に」
俺はお天道様の光を浴びて大きく伸びをし、そう呟く。
問題は遥風や今日子をそこに連れて行くかどうか、だ。
観光目的であれば危険は少ないのだろうが、もしかしたらその村に八神のターゲットーー『落ち神』とやらが潜んでいるかもしれない。
俺には『死神の目』があるが、それだけではどうしても情報収集能力に限界がある。
住人に聞き込みをしようにも、俺は死神だから普通の人間には姿が見えないし、会話をすることもできない。
情報収集能力に長け、住人に怪しまれずに聞き込みができ、尚且つ死神である俺とコミュニケーションが取れる人物――。
「……はぁ。すぐ近くにいるにはいるんだが、どうしたもんかねぇ……」
俺の深い溜息が風に乗り、空に舞って行った。




